これは「井の頭公園バラバラ殺人事件」に関する記事の【パート2】です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。
発見されたバラバラ遺体はそれぞれ「特別な半透明のポリ袋」を二重にして入れられていた。
(一説には、小さい穴の開いた水切り用のポリ袋に入れられた上で、半透明のポリ袋に入れられていたともいわれている)
【特別な半透明のポリ袋について】
これには「東京都推奨炭カルパック」と印刷されていたといわれている。
“カルパック”―、
要するに炭酸カルシウム入りのポリ袋のことである。燃焼してもダイオキシン発生量を抑える効果や、発熱量が低いため燃焼炉を傷めにくいという効果がある。そのため、事件当時の平成初期には炭酸カルシウム入りのポリ袋使用が推奨されていた。
現在は燃焼炉の進歩に伴い、かつてほどその使用が求められてはいない。
炭酸カルシウム入りポリ袋の一例。
バラバラ遺体はこれと同種のものに入れられていた。
本事件で見つかった遺体はポリ袋に入れられていたが、そのポリ袋の扱い方には特徴がみられた―、
例えば、水漏れや匂い漏れを防ごうとする際、普通であれば2枚のポリ袋を使って二重に包むものである。ところが犯人は、「1枚で二度包む」という特殊な方法で遺体を包んでいた。
(まず、内容物を一度包んで口を結ぶ。そして余った部分でさらにもう一度包んでまた口を結ぶ)
この「1枚で二度包む」という方法は、料理人や魚屋、漁師、釣り人などがそれぞれ漬物やキムチ、魚などをポリ袋に入れる際に用いる。
本事件の遺体ポリ袋は包み方も特殊であったが、口の結び方もまた特徴的であった。
(口の結び目が解けにくいよう、漁師らが用いる特殊な結び方で固く閉じられていた)
バラバラの遺体はいずれも長さや高さが一定のサイズ(20cm)に揃えられており、これにはノコギリ(手ノコ)が用いられたと推察されている。
ちなみに、公園内に設置されたゴミ箱の投入口サイズは縦20cm・横30cmであり、遺体はこれに合わせて切断された可能性が高い。
(遺体切断には電動ノコギリを用いたとするのが一般的な説)
事件当時、公園内各所に設置されていたゴミ箱
遺体の切断方法であるが、これには少なくとも3パターン存在しているとみられている。
(例えば、「丁寧に(雑に)切断しているもの」。「骨を最後まで切断しているもの」。「骨の途中までノコギリを入れ、そこからポキンと折っているもの」など)
このことから、複数人で分担して(または交代で)切断した可能性が考えられる。もしくはひとりで解体作業をしていて、ノコギリを替えて(刃が傷んだなどの理由で)切断された可能性も。またもしくは、作業は一人で行ったが、この人物がだんだんとコツを掴んでいったことで、上手いもの(丁寧なもの)や下手なもの(雑なもの)が混在したということも考えられる。
尚、バラバラ遺体には血抜きが施され、遺体からは血が一滴残らず完全に抜き取られていた。
この血抜きを行うためには一般家庭の設備では難しいほか、猟師や精肉業などに従事するか医学的知識を備えていないと到底できるものではない。ましてや、これほどまでに徹底した”仕事”は素人では不可能といっても過言ではない。
これを裏付けるように、遺体には入念に洗われた形跡がみられ、非常に綺麗であった。
(血抜きには給水のために大量の水を必要とするほか、それを排水するための設備が必要)
また、両手足の指紋は削ぎ落されていた上に、手のひらは傷付けられて掌紋が分からないようにされていた。
このように、バラバラ遺体の様子からは徹底した施しがみられ、その”仕事ぶり”は完璧といってよいものであった。
遺体の死因特定はできなかったものの、毒殺の形跡はみられなかったほか、交通事故で負うような傷も遺体からはみられなかった。しかしながら、肋骨周辺の筋肉組織(横隔膜)にわずかな出血が確認されている。
死亡時の特定もできなかったが、”遺体は古くないもの”とみられ、遺体発見日から1~3日ほど前に殺害されたものと推定された。
また、遺体からは手がかりとなるような付着物は採取できなかった。
遺体の特徴を整理、総合的に判断―、
遺体の解体作業は以下のような人物(たち)によって行われたと筆者は推察する。
【組織の犯行であると考える根拠】
・公園内のゴミ箱の投入口サイズに合わせて遺体を正確に切断
・完璧な血抜き処理
・遺体の指紋切除
⇓
・事務的かつ経験に基づいて犯行が行われたことが窺える (根拠1)
・専門知識を有することが窺える (根拠2)
・場当たり的な犯行とは感じさせない* (根拠3)
*結果的には発覚してしまったが、公園内のゴミ箱に遺棄して無事に回収・焼却されれば証拠は完全に隠滅できる。
遺体を遺棄しようとする際、普通であれば公園内の池に投げ入れることを考えがちである。しかし、それでは証拠(骨)がいつまでも残ってしまう。また、池の水はすべて抜かれて清掃されることがあり、この際に死体遺棄が発覚してしまう。
こうしたことを冷静かつ的確に捉えている様が窺える。素人の短絡的な犯行には思えない。
手足の指紋は削り取られ、完璧な解体処理かと思われた。ところがごく一部に処理の甘い部分がみられ、警察はそこからわずかに残された指紋やDNAを採取した。
その結果―、
遺体発見から3日後の1994年4月26日(火)、この遺体の身元が判明した。
川村 誠一さん (当時35歳)
略歴
1958年生まれ。東京都出身。
職業
一級建築士。
事件の約2年前から東京都港区新橋にある建築事務所に勤務。事件の直前に積算部の主任に昇進したばかりであった。
新橋の事務所に勤める以前は、東京都新宿区高田馬場(たかだのばば)の事務所に約10年間勤めていた。
【積算】
設計図や仕様書から材料またその数量などを導き出し、建物を建てるのに必要な工事費の見積もりを算出する仕事。
家族
妻 (当時35歳)、息子 (当時3歳)。
妻とは自身が小学生時代から参加していたボーイスカウトの「リーダー会*」で知り合った。
*OB・OG会のようなものであると思われる
事件当時、妻は妊娠中。
(事件発覚から約5か月後の9月25日に次男が誕生)
妻は事件発覚後、息子たちを連れて井の頭公園の見えない場所へ引っ越した。
自宅 (誠一さん生前まで)
自ら設計した住宅に、妻子と自身の両親と共に居住していた(二世帯住宅)。事件当時、新築であった。
川村さん宅住所:東京都武蔵野市吉祥寺南町1丁目
各所の位置関係
自宅は井の頭公園からすぐ近く、園内の井の頭池からほんの少しばかり東にいったところに位置している。
公園までは歩いて3分もかからず、自転車なら30秒程度で着く。
誠一さんのパーソナリティー (周囲の人たちの証言より)
妻の証言
「夫は明るい人で、小さなことは気に留めない温厚な性格でした。人から恨まれるようなことは考えられません」
「夫は外泊もしたことがない人。必ず家に帰ってきました」
「どんなに遅くなっても必ずシャワーを浴びて寝る人でした」
「事件の心当たりはまったくないですね。私たち夫婦の仲は良かったですし、例えば、夫の浮気なんていうような夫婦間のトラブルだってありませんでした。
ただ、警察の方がひとつ気になることを―、
“旦那さんは仕事の後、どこか寄り道する場所があったのではないか”
と言っていました。
というのも、仕事が終わって会社の人に送ってもらったとき、途中で車を降りたことが何度かあったそうなんです。場所は高井戸の周辺らしいのですが・・・。
警察でもその先の足取りは掴めていないようです。それは私の知らないことでした」
寄り道の場所は新旧いずれの職場においても、自宅までの途中に位置している。
次なる【パート3】では事件をさらに深掘りする―。