これは「井の頭公園バラバラ殺人事件」に関する記事の【パート3】です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。
1994年4月23日に誠一さんの遺体が発見されているわけであるが、誠一さん失踪は同年4月21日である。
以下は失踪当日、誠一さんの足取りを時系列で記したもの。
7時30分頃
誠一さん、仕事へ向かうため吉祥寺の自宅を出る
8時30分頃
出勤。
新橋の建築事務所に到着
12時頃
電話で自宅の妻に「今日は飲んで帰る」と連絡
17時30分頃~
退勤。
その足で高田馬場にあるかつての勤務先を訪問。その後、元同僚ら(5~6人)とJR「高田馬場」駅近くの店で飲む。この集まりは、この頃ちょうど昇進した誠一さんの昇進祝いであった。
誠一さんらは、1件目は居酒屋。2件目(2次会)ではクラブで飲んでいた。
(誠一さんは2次会の際、かつてそのクラブで働いていた上海出身の女性が歌舞伎町の店でママになったことを知る)
21時頃
飲み会はお開きとなって各々が帰路につく。しかし、誠一さんは自宅へ帰らずに残った元同僚2人と新宿へ向かう。
(筆者は、誠一さんが高田馬場のクラブで話に出た「歌舞伎町の店でママになった女性」に会いに行ったと推察)
23時30分頃
JR「新宿」駅で元同僚2人と別れる。
このとき誠一さんが利用する電車、「中央本線」乗り口方面に誠一さんが歩いていく姿を2人は確認している。
これを最期に、誠一さんは消息を絶つ。
夕方
誠一さんの妻が警察に捜索願を提出
(“飲んでいた夫がその晩帰ってこなかっただけ”で、翌日の夕方に捜索願を提出したことに対し、「(捜索願提出が)早すぎる」という声もあった。しかし先述のとおり、誠一さんは「それまで帰ってこないということは一度もなかったこと」、「翌日に出社した様子がないこと」から妻は翌夕方に捜索願の提出に踏み切った)
「特に変わった様子はなく、いつも同じ楽しい酒の席でした」
「泥酔している様子ではなく、飲んでいるときも他の客とのトラブルなどはありませんでした」
「翌日には大切な会議があると言っており、新宿で飲んだ後にどこかへ行くという話はしていませんでした」
「何かに対する不安や悩みを抱えていた様子はありませんでした」
「人相や服装、所持していたショルダーバッグが「誠一さん失踪時の姿*」とよく似ていた。
電車が吉祥寺駅に着くと、その男性はいなくなっていた。吉祥寺駅で降りたのだと思う」
*警察発表の誠一さんに関する情報より
以下、時系列―。
4月22日 午前0時10分頃:@「近鉄百貨店」周辺 (現・ヨドバシカメラ / 2020年9月現在)
誠一さんに似た男性が2人組の男に殴られていた。
4月22日 午前0時10分頃:@井の頭通り
通りに面したマンションの住人たちが、井の頭公園方向で”ドーン”という衝撃音を聞く。
その後、マンション近くの路上に車のフロントガラスと思われるガラス片が散乱しているのが確認される。
4月22日 午前9時頃:@杉並区久我山のコンビニエンスストア (井の頭公園から約2km)
2人組の男が「東京都推奨の半透明ゴミ袋 (10枚入り)」を10パック購入する。
2人組の男たち―、
1人は50歳前後で黒の作業着。もう1人は30歳前後でTシャツ姿。
2人は別々に(時間差で)入店するも、それぞれまっすぐにゴミ袋の棚へ向かった。レジで会計の男はキョロキョロと周囲を気にする様子で落ち着きがなく、もう1人も入り口付近で周囲を窺う様子だった。
挙動不審な2人が計100枚ものゴミ袋を買い、その翌日に店からほど近い井の頭公園でポリ袋に入ったバラバラ遺体が発見されたこと―、
これらのことから胸騒ぎを感じ、店長は男たちの会計レシートと2人の映った防犯カメラ映像を保存。しかし男たちの身元の特定には至らなかった。
(尚、4月22日15時頃の時点では、井の頭公園内のゴミ箱内に不審なポリ袋はなかった。これは後の遺体第一発見者となる女性清掃員が、この日のゴミ回収作業をしていたことから明らかになっている)
4月23日 午前4時頃:@井の頭公園内
ポリ袋を持った不審な2人組の男が目撃される。男たちは公園内で人に出くわすと、くるりと方向を変えて逃げるようにその場を立ち去った。
1人の服装は紺色のスーツ姿、もう1人は黒いジャンパーを着ていた。身長は共に165cmくらい。黒いジャンパーの男がポリ袋を持っていた。
公園内の別の場所でも、この2人とよく似た男たちが目撃されている。
4月23日 午前11時頃:@井の頭公園内
井の頭公園内のゴミ箱から遺体(左足)が発見される
【誠一さんの住む武蔵野市のゴミ回収日】
事件当時、武蔵野市では家庭用燃えるゴミの回収日は「月・水・金」、回収作業は午前中に行われていた。
遺体発見日は燃えるゴミが回収されない土曜日であった。
次なる【パート4】では捜査の動きを解説―。