スウェーデン人女性ジャーナリストバラバラ殺人事件 -2-

これは「スウェーデン人女性ジャーナリストバラバラ殺人事件」に関する記事の【パート2です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

スウェーデン人女性ジャーナリストバラバラ殺人事件 -1-


 

事件の解説

2017年8月10日―、
この日、ウォールさんは世界の注目を浴びる天才発明家マドセンを取材するために、隣国デンマークを訪ねた。
そして首都のコペンハーゲンから、マドセンの造った潜水艦「ノーティラス号」に単身乗り込む。

ノーティラス号内で取材をするウォールさん (このときはまだ海上である)

 

マドセンと共にノーティラス号に乗船するウォールさん
(生前最期の姿 / 8月10日20時30分頃)

 

“潜水艦に乗ったまま、深夜になっても戻らない”

これを不審に思ったウォールさんの交際相手は、日付の変わった翌11日の午前2時半頃、警察に行方不明の通報。
これを受け、救急救助当局がコペンハーゲンから東の海を捜索したところ、スウェーデンとデンマークを繋ぐオーレスン橋の南側にある灯台から、2人が乗っていると思われる「ノーティラス号」の位置を確認した。
(一説には、マドセンが救難信号を発信したともいわれている)

 

救助隊が潜水艦の元へ行くと、艦内にいるはずのウォールさんの姿がない。これについて尋ねられたマドセンは、「彼女ならすでに下船した」と説明した。
しかし救出と併せて、このときマドセンはウォールさん行方不明に関与しているとして逮捕された。

(マドセンは取り調べにおいて、ウォールさんを”8月10日の22時半頃にコペンハーゲンの港にあるレストラン付近で降ろした”と供述。
ところがその後マドセンは、”航海中に艦内で頭をぶつけて死んだので、水葬した”と供述を変え、死体遺棄の事実を認めた。尚、この”頭をぶつけた”というのは、潜水艦の重いハッチがウォールさんの頭に落下したということであった。
また一説には、”一酸化炭素中毒で死んだ”と供述したという話もある)

救助されたマドセン

 

そしてマドセンが救助された直後、ノーティラス号は沈没した。
(これはマドセンが証拠隠滅のために、意図的に沈没させたとみられている)

8月21日―、
コペンハーゲンのアマ―島にて、サイクリングをする人が海に浮かぶ女性の胴体を発見。ケーエ湾から海岸に流れ着いたこの遺体は、頭部、両腕、両脚が切断されており、文字どおり胴体のみであった。また、遺体には金属が括り付けてあり、これは海底に沈めるための重りであるとみられた。
さらには、遺体には多数の傷がつけられており、これには遺体内から発生するガスを放出させる目的があるとみられている。
(発生したガスが遺体内で充満、これにより遺体が浮いてきてしまうのを防止するため)

そして23日に行われた警察の会見では―、
DNA鑑定の結果、見つかった胴体のみの遺体が、行方不明となっていたウォールさんであると判明したことが伝えられた。
また、引き揚げられたノーティラス号の艦内からウォールさんの血痕が検出されたことも発表。
尚、ここではウォールさんの死因については言及されなかった。これは遺体の損傷が激しかったために、この時点でまだ特定できていなかったとみられるが、後に窒息死もしくは首を斬られたことによって死亡した可能性が高いと結論付けられた。

10月4日―、
家宅捜索を受けたマドセンの作業場内にあったハードディスクから、ウォールさんを拷問の末に斬首して殺害した様子を記録した動画が見つかる。
そして10月12日には、マドセンがウォールさん殺害・遺体切断に使用したとみられるノコギリがケーエ湾で発見される。
さらに11月23日には、コペンハーゲン沖でウォールさんの左腕が発見された。

ここまでの取り調べや裁判においてマドセンは、死体損壊・遺棄を認めた一方で、ウォールさんへの性的暴行と殺害は一貫して否定。ウォールさんの死はあくまで事故死であると主張し続けていた。

ところが2018年4月25日―、
コペンハーゲンの裁判所は、マドセンに終身刑を言い渡した。
これは―、
頭部と両腕、両脚を切断した上、解体した遺体と衣服を袋に詰め、発見されないように重しを付けて海に沈めた計画性。
また、遺体の性器周辺にみられた14か所に及ぶ刺し傷、またウォールさんの体内からマドセンのDNAが検出された事実。これらから窺える残虐な性的暴行。
自身の快楽のために、ウォールさんを拷問の末に殺害するという残忍な犯行様式。これに加え、その様子を映像に収め、データを保存していたというサイコパス性。
さらに、裁判中の証言内容を何度も変更していたこと。これにより、マドセンの一連の供述は虚偽であると判断された。

マドセンに言い渡された終身刑は、これらを鑑みた上で出された判決であった。


こうして一審で終身刑が言い渡されたマドセンは、刑期の短縮を求めて控訴
しかし二審においても、一審の判決が支持された。ここでマドセンは上告を断念。これにより、マドセンの終身刑が確定した。
(マドセンが最高裁への上告を断念したのは、面会禁止期間の延長を恐れたためであるといわれている)

 

判決後も一貫してウォールさん殺害を否定していたマドセン―、
ところが事件から3年が経過し、マドセンはようやく殺害の事実を認めることとなる。
驚くべきは、マドセンのこの証言を引き出したのは警察ではなく、デンマークのドキュメンタリー制作の取材班であったということ。
この取材班の記者は、獄中のマドセンとそれまで計20時間以上に及ぶ会話を重ねていた。そしてこっそりとその会話内容を録音し続けていた中で、記者がウォールさんを殺害について尋ねると、マドセンは「私が彼女を殺した」とこぼしたという。さらに—、

「罪に問われるべき人間はたったひとりで、それは私だ」

重要なこの証言を引き出したドキュメンタリー制作班によれば、マドセンはこの証言を放送することを了承しているという。

 

『スウェーデン人女性ジャーナリストバラバラ殺人事件』

それは天才発明家が持つ裏の顔が露になった事件であった。
マドセンは、過去に2本のポルノ映画への出演していたことが判明したほか、異常性癖、ポルノやダークネットへの強い関心を抱いていたことも明らかになっている。
マドセンの研究所に勤めていたある人物は、「彼の異常な性的嗜好に対する欲求が、日を追うごとに手に負えないものになっていた」と語っている。

 

本事件の犯人であるピーター・マドセンは、取材のためにノーティラス号へ訪れたウォールさんを艦内で拷問・殺害し、その様子を撮影。これは間違いなく、快楽殺人者であるといってよい。
そして―、
ウォールさん殺害後、マドセンは証拠隠滅のために、名声の結晶ともいえるノーティラス号を自ら沈めた。
海底で朽ちる潜水艦は、まるでマドセンのようにも映る。

 

ともすれば、人類を宇宙へと導いた世界初の民間人―、
世界の寵児であったマドセンは、

“Mad Inventor / マッド・インベンター”
(狂気の発明家)

としてその生涯を閉じることになりそうだ。

 

尚、本事件によって、デンマーク警察は通常の事件捜査の一環として、未解決の類似事案を再点検している。
そのなかには、1986年にコペンハーゲン湾でバラバラ遺体が発見された未解決事件『ピル治験女性バラバラ殺人事件』も含まれている―。

 

事件後の動き

ウォールさんの身に起きた悲劇は、彼女の家族や友人、恋人など、多くの人々に悲しみをもたらした。
そしてなにより、ウォールさんの死によって大きな衝撃と不安を感じたのは、彼女と同じくして危険を顧みず活動する女性フリージャーナリストたちであった。

こうした中、国際女性メディア財団は『キム・ウォール・メモリアル・ファンド』を設立。
募金を募り、ウォールさんの遺志を継ぐような取材活動を行うジャーナリストに対して活動費を支援している。

 

また、ウォールさんの両親はドキュメンタリー本「A Silenced Voice」を出版。両親は彼女と同じくジャーナリストである。

このように世界では、キム・ウォールというひとりのジャーナリスト、ひとりの女性、ひとりの人間が、確かにそこにいたことを人々の心の中に刻み込んだ。

 

あとがき

男性はその中にどんな性的嗜好を秘めているか分からない。
中にはマドセンのような異常な性的嗜好を持つ者もいる。そしてそうした欲望を満たすために、それを実行してしまう者がいる。
本事件のみならず、こうした快楽殺人は世界中で起きているが、その実行者は往々にして男性である。
ターゲットが女性の場合、襲われた女性はまず実行者には勝てない。
男女では身体のつくりが違う。現実として、女性より男性の方が力が強いのだ。

ですから、女性には十分な危機管理能力を持って過ごしていただきたい。
本事件のウォールさんのように、女性ひとりで潜水艦に乗り込むなんていうことは危険極まりない。ましてや、水面下の潜水艦ともなれば完全密室。
そこに初対面の男性と二人きり。万が一、身の危険を感じとっても逃げることはできない。
実際、取材前のウォールさんは、単身でマドセンの潜水艦に乗り込むことに対して不安を感じていたという。

“長年のジャーナリストとしての経験が察知した危険”

しかしながら皮肉にも、それまで幾多の危険な取材をやり遂げてきたという自信が、これをかき消してしまった。
この取材を単身で取材することはあまりにも危険すぎたのだ。

 

これは”たられば”になってしまうが―、
もしもウォールさんがアシスタントとして、信頼のおける男性をマドセンの取材に同行させていれば、この結果を免れていたかもしれない。

 

我々の生きる世界は平和に映るが、身近にたくさんの危険が潜んでいる―。

 

オラクルベリー・ズボンスキ(小野 天平)


追記

2020年10月20日―、
コペンハーゲン郊外の刑務所に収監されていたマドセンが脱獄した。

強固なセキュリティーの敷かれた現代・先進国の刑務所―、気になるのはその脱獄方法である。
地元メディアによれば、マドセンはピストルのようなもので刑務官を人質に取った上で、「自作の爆弾を持っている」と脅迫。これにより刑務所からの脱出を成功させたという。

結果として、マドセンの所持していたピストルや爆弾は偽物、はったりであった—。
刑務所内となれば、ピストルの持ち込みは当然のことながらあり得ない。それもさることながら、刑務所内で爆弾(ピストル)の製造などが可能なのか、これも甚だ疑問である。故に収監中であったマドセンのピストルおよび爆弾の所持が疑わしいのは明白であった。ところが、警務官たちはマドセンの脅しに屈し、その脱獄を許してしまった。
これはにわかには信じがたい出来事であるが、相手はかつて世界の注目を集めた”天才発明家”。そのため、警務官たちはマドセンのピストルや爆弾の所持を信じてしまったのだろう。

 

マドセンの脱獄後、通報を受けた警察は付近の捜索を開始。するとそれからわずか5分後に、刑務所から1km圏内の地点でマドセンを発見。
このときマドセンは爆弾ベストらしきものを着用していたために、警察は慎重に対応。そして爆弾解除用のロボットを出動させるなどして、まもなくマドセンを逮捕。
こうしてマドセンの脱獄は未遂に終わった。

 

かつてマドセンは獄中で記者に語った―、

「罪に問われるべき人間はたったひとりで、それは私だ」

あの言葉は嘘であったのだ。

“天才発明家”ピーター・マドセン、この男は自らの犯した罪を忘れたのだろうか。なにも反省していないようである。
彼はもう二度と生きて娑婆には出てこれないであろう。

[2020年10月25日 追記]

 

created by Rinker
¥833 (2024/04/20 23:04:36時点 Amazon調べ-詳細)