机「9」文字事件 -1-

 

“校庭に突如現れた「9」の文字。整然としたそれはまるでミステリーサークルのようだった”

 

机「9」文字事件の概要

1988年(昭和63年)2月21日、東京都世田谷区で発生した事件。
同日の未明、中学校に侵入した犯人グループにより警備員が監禁された上、教室から机や椅子が運び出され、これらを並べて校庭に「9」の数字が描かれた。

その目的も動機も皆目見当が付かず、当時マスメディアを賑わせた怪事件である。

 

事件の解説

1988年2月21日午前1時頃、東京都世田谷区鎌田の区立砧南(きぬたみなみ)中学校に男たちが侵入。
男たちはストッキングを被り、軍手をはめた姿で宿直室に押し入り、夜間警備に当たっていた警備員の男性(当時38歳)を拘束した上でトイレ内に監禁した。

それからおよそ3時間後となる午前4時頃、現場では人の気配が消える。ちょうどその頃、粘着テープとビニール紐で椅子に縛り付けられていた警備員は自力でこれを解き、トイレ内から脱出。宿直室へ戻って警察へ通報した後に校庭へ出てみたところ、そこに大量の机と椅子が整然と並べられている奇妙な光景を目にする。
地上からではその意味が分からなかったため屋上から見下ろすと、校庭に「9.」の文字が描かれていた。
(アラビア数字の「9」の右脇には、ピリオドと思われる点が添えられていた)

当時の写真。奇妙なほどに整った形をしている。

 

「9.」の持つ意味も気になるところであるが、まず注目すべきは校舎から運び出された机と椅子の数である。校庭の「9.」を描くために使われた机は447、椅子は9、かなりの数に及ぶ。
1階(1年A組~E組)から机199、2階(2年D組とE組)から机28、3階(3年A組~E組)から机220、こうして計447の机が運び出された。尚、階段から最も近いF組からはなぜか持ち出されていなかった。また、運び出された机の中身は何ひとつ盗まれることなく、教室に残された椅子の上にそれぞれ律儀に置かれていた。

推定される犯行時間は約3時間。この間に、計450以上にも及ぶ机と椅子を校舎から運び出し、暗闇の中でこれほどまでに整った「9.」の文字を描くのはそう容易いものではないはずである。
(机はスチール製であったため、1台当たりの重さは13.6kgもあった)

尚、机や椅子が運び出されたのは、警備員が監禁された校舎ではなく、別棟となる南校舎から運び出された。
(わざわざ南校舎から運び出した意図は明らかになっていないが、「机や椅子を運び出す際の物音から、監禁した警備員に何をしているか悟られないようにするため」、もしくは「主要な教室が南校舎に集中していたため」であると筆者は推察)

その後の警備員の通報により警察が現場に駆けつけたが、その日が日曜日であったこと、また現場検証のために校庭の文字は翌22日の朝までそのままにされた。
そして月曜日となる22日の朝(午前8時頃)、登校してきた生徒たちが校庭の机から自分のものを探し、各自教室に戻した。この日、学校ではこれといった混乱はなく、授業は平常通り行われた。

 

事件後の動き

事件後、捜査当局は事件に対してさまざまな角度から捜査を開始。
約3時間という犯行時間でこれほどの作業(犯行)を完遂していることから、当局は少なくとも10人以上による犯行であると推察。捜査員の中には、30人ほどによる犯行と見立てる者もいた。
また、「9」の意味については、「何かの推理小説に登場する数字」という非常に漠然としたものから、「砧南中学校の卒業第9期生(この年の前年卒業生が第9期に当たる)」や「犯人グループの人数」という現実的な説まで、幅広く推察された。
尚、これほど幅広い推察が展開されるということは、それだけ見当が付かないという裏返しであるといえる。

こうして警察が翻弄される中、事件が世間に知れ渡ると、週刊誌やテレビでは「9」を巡ったさまざまな推理が行われた。例えば、「野球に関係する(野球は9人で行うため)」や「日本国憲法第9条の”9″」といったように、9に纏わればなんでもありな様相を呈した。
“出題者は犯行グループ、回答者はメディア”。こうした様はさながら推理ゲームのようであった。

 

二次的な事件が発生

そして―、
事件から2日後となる2月24日、砧南中学校に犯行声明文が届く。差出人は「日本帝国主義革命連合軍・別動・黒い九月一派」。
(尚、この犯行声明文は本事件の犯人グループが送ったものではないことが明らかになっている)

この犯行声明文によると、校庭に描かれた「9」の数字の意味は、当時人気を集めていたアイドルグループ「少年隊」と「光GENJI」の合計メンバー数である10から1を引いたものであるという。
ではなぜ、メンバー数の合計10人から1人引くのか―、
それは、”両グループの中から1人を暗殺する”という脅迫の意図があった。

また、同様の犯行声明文が共同通信社にも届き、これには以下のようなことが書かれていた。

 

「ジャニーズの芸能人は今後、一切活動してはいかん。これを無視すれば、取り返しのつかんことになる。コンドウがその1人や」

「ジャニーズの芸能人は、わが祖国日本の伝統文化に多大な損害を及ぼした。よってこれからわしらの報復戦争がはじまる」

 

この文中に出てくる”コンドウ”とは、ジャニーズ事務所に所属の近藤 真彦を指している。
中学校宛て、共同通信社宛て、これら2つの犯行声明文は、その内容から同一人物から送られたものであると推察できるが、これらの声明にはどこかブレがある。
例えば、中学校宛ての声明では、”光GENJIと少年隊の中から1人暗殺する”としているが、共同通信社宛てでは近藤 真彦を名指しで脅迫しているほか、この年の前年(1987年)12月に起きた近藤の母親の遺骨盗難事件への関与を示唆している。
(ちなみに、近藤は光GENJI、少年隊のいずれにも属していない。近藤が所属していた「たのきんトリオ」は1983年に解散済み)
一方で共通しているのは、どちらもジャニーズに対する嫌悪を示しているほか、”いかん”、”~や”、”わしら”といった方言のような特徴が散見していたことである。

【近藤真彦の母 遺骨盗難事件】
1986年11月、近藤の母が事故で亡くなった。ちょうどこの頃、近藤は日本レコード大賞を受賞することが決まっていたが、何者かによって墓が荒らされ母親の遺骨を盗まれてしまう。
その後、ジャニーズ事務所に「遺骨を返してほしければ、レコード大賞を辞退しろ」という主旨の脅迫文が届く。これを受け、近藤は受賞の辞退を本気で考えたが、父親の説得により受賞する決意を固めた。
この事件は未解決に終わり、母親の遺骨は現在も返ってきていない。(2020年11月現在)

 

これらの犯行声明文の差出人は同一犯であり、文中の「わしら」というフレーズから「男性」「複数犯」の可能性が考えられる。この犯行声明文の差出人は脅迫罪に当たるが、その後の逮捕には至っていない。
本事件の「9」の数字もさることながら、この副次的な脅迫事件も不可解。とはいえ、その犯行様式からみてとれるのは、中学校宛てに比べて共同通信社宛ての声明文の方が、より踏み込んだ内容で書かれているということ。これはつまり、メディア媒体である共同通信社の方が、犯行声明文の拡散性が高いと見込んでいるためであると考えられる。要するにこの脅迫事件の犯人は、若い女性を中心に人気を集めるジャニーズのタレントたちを妬み、強い嫌悪感を抱いていたと同時に、強い自己顕示欲を抱いていたことが窺える。

この「近藤 真彦殺害予告事件」は、『机「9」文字事件』の騒動に乗じた第三者(妬心を拗らせたアンチ・ジャニーズ)が火に油を注ぐような形で起こした”便乗事件”であった―。

(一説よると、犯行声明文はレコード会社にも送られていたともいわれている)


次なる【パート2】では、事件の謎である「9」の真相が―。

 

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