机「9」文字事件 -2-

これは『机「9」文字事件』に関する記事の【パート2です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

机「9」文字事件 -1-


 

【真相】「9」の数字が意味するところ

校庭に突如現れた意味深長な「9」の数字、その意味は―、

“「少年隊」と「光GENJI」の合計メンバー数である10から1を引いたもの”

その答えは、それまで世間が抱いていたどこか奇妙で謎めいたイメージを見事に裏切った、なんの脈略のない稚拙なものであった。
ところが「9」の意味に対するこの答えは、本事件に関係のない第三者が横槍を入れたものであり、真実ではなかった。しかし、世間はそのことをまだ知らずにいた。なぜならこの時点ではまだ、真実を知る本事件の犯人グループが逮捕されていなかったからである―。

 

こうして事件後まもなく届いた犯行声明文によって、本事件に注目していた日本中の人々が肩透かしを食らう中、捜査は端然として進められていた。
そして同年1988年4月、事件が動く。事件の管轄であった成城警察署は、4月30日までに犯人グループの計9人を建造物侵入、警備員に対する逮捕・監禁容疑で逮捕した。

犯行を呼びかけた主犯のAは、園芸リース販売業の男(当時22歳)。砧南中学校の第3期生であった。このAは在学中「多摩川ブラックエンペラー」という暴走族に属していた非行少年であった。卒業後はマルチ商法や地上げ屋といった犯罪行為で金を稼ぎ、高級車を乗り回し、高級マンション住まいであったといわれている。
また、校庭に描いた「9」のデザイン・設計を担当したのは信州大学の農学部3年生であったB(当時22歳)。このBもまた同中学の卒業生、つまりAと同級生であった。
犯行グループ9人のうち5人は同中学の卒業生、1人は同中学に在学していたが途中で転校、ほか3人は同中学とは関係のないAの友人であった。
犯行を企てたAであったが、犯行の1週間ほど前から犯行メンバーを集めるために友人20人に声をかけていた。ところが10人に断られたほか、犯行当日に1人が現場に現れなかったため、結果としてこの9人になった。

逮捕直後にAが供述した犯行動機によると、それは「宇宙人への交信」「1999年に日本のトップに立つという意思表明」であったということで、語られたその動機はまるで取って付けたようなものであった。
結局、謎めいた「9」の意味するところは、『犯行グループの人数』を表すほか、『主犯Aの好きな数字』であるという偶発的で、何の意味を持たないものであった。
(先述のとおり、犯行グループの人数は当初10人となるはずであったが、当日に1人が来なかったため結果として9人になっている。また、Aが「9」を好きな理由は、”一桁の数字では最も大きな数字だから”ということである)

逮捕されても尚、おどけた様子であったAであるが、要するにその動機は世間を騒がせたかったということであった。しかし皮肉にも、その思惑どおりに世間は踊らされてしまった。

 

主犯のA、ほか2人はその後起訴され、後に行われた裁判で有罪判決が言い渡された。

A懲役1年6ヶ月・執行猶予3年ほか2人懲役1年・執行猶予3年残る6人罰金1万円の略式命令が下された。

 

美しい「9」を描いた手法について

この「9」(正確には「9.」)の文字は約30m×20mという大きなもので、地上からの視点でこれほど整然と形作るのは困難である(とりわけ「9」の円形は非常に難しい)。
校庭に下書きの跡や、机や椅子をずらして修正した痕跡がないことから、犯行は計画的かつ組織的に行われたものであると考えられた。

 

犯人グループの逮捕後、「9」をデザイン・設計したBがその描き方を解説している。以下はそれを筆者なりに整理し図解にしたもの―、

 

校庭には夜間照明があり、まずはその明かりの中心に目印となる机を1台置いた。
(明かりの中心を起点としたのは、単純に暗闇の中で作業しやすくするため)

 

そこから、東西南北の方角9歩の地点に1台ずつ置く。

 

そして、その各1台の両脇にも1台ずつ置く。

 

並んだ各3台同士の間に1台ずつ置く。

 

3台の間に置いた1台の両脇に1台ずつ置く。
この作業を繰り返して机と机の隙間を埋めていき、整えながら綺麗な円を作る。

 

こうしてできた円の右下に直線を付ければ、「9」になる。

どちらかといえば、アルファベットの「Q」の小文字『q』に近い形状。

 

尚、「9」の隣には9脚の椅子で作られた「. (ピリオド)」が添えられているが、これは「6」と間違われないようにする目的があったとされている。
この「9」の数字は当然のことながら校舎に向けて作られたものであり、その屋上から見下ろせば自然と「9」になる。ところが”6に見間違われないように”と考え、わざわざ数字の上下を示す様子を考えると、校舎からだけでなく周辺の高いビルないし、上空のヘリコプターからみられることまでも想定していたのではと思わせるその周到ぶりである。

綿密に計算された設計・デザイン、どこか神秘的なその様式美―、
犯人グループの9人はまるで、巨大ピラミッドを造った古代エジプト人のようだ―。

 

オラクルベリー・ズボンスキ(小野 天平)

 

【付記】事件の余波

本事件後、深夜の学校敷地内に侵入し、学校の備品を用いた同様の犯行が発生した。
本事件と同年の1988年8月5日、三重県名張市の小学校にて、プールサイドに置かれていた机や椅子、テントがプールの水中に沈められているのが発見された。
この犯行に及んだ4人組は後に補導されたが、彼らもやはりこの小学校の卒業生たちであった。取り調べの際、模倣犯であることを追及された4人は、”『机「9」文字事件』のことは知らない”と供述した。
彼らの供述が本当であり、この事件が模倣犯でないとしても、「卒業生が深夜の母校に忍び込んでいたずらをする」というこの類の事件は何ら珍しくない。そして彼らの供述が嘘であり、それが模倣犯であったとすれば「二番煎じ」、それも質の低下した「下位互換」「亜種」、白ける上に迷惑甚だしいだけの事件である。
こうした事件は死傷者が出ないだけ可愛いものであるが、まさに”馬鹿が馬鹿を呼ぶ事件”の類であるといえ、「まさかこんなことで逮捕されるとは思わなかった」というセリフが付きものの事件である。

また本事件後、学園祭といった学校行事の際、机と椅子を用いて校庭に文字を書く催しを行う学校があったり、テレビ番組が同様の企画をするなど、世間は犯人グループの意のままとなった。
尚、本事件をモデルとした小説やテレビドラマ、アニメ、漫画なども数多く存在する。

これらを鑑みれば、逮捕され有罪判決が下ったものの、本事件を企てた主犯Aの”勝利”であるといわざるを得ない。

 

【多摩川ブラックエンペラー】
1960年から1992年にかけて存在した暴走族。
数々の暴走グループとともに、暴走族の連合体である『関東連合』を結成。関東、とりわけ都内では有名な暴走族であった。
1976年にドキュメンタリー映画『ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR』が公開されると瞬く間に知名度が上がり、それまでの活動拠点であった東京都内から千葉県、神奈川県、茨城県などの関東地域、さらには静岡県や愛知県にまで勢力が拡大。暴走族最盛期ともいえる1970年代にはメンバー数が2,000人を超えた。
有名な元メンバーには、俳優の宇梶 剛士がいる。

尚、前出の「関東連合」であるが、これは暴走族の集団、ひいては半グレ(暴力団に所属していない犯罪集団)組織。要するに、”なんちゃって暴力団・ヤクザ集団”である。