グリコ・森永事件 -1-

 

“企業脅迫事件の数珠つなぎ”

 

『グリコ・森永事件』の概要

1984年1985年(昭和59年・60年)―、
大阪府と兵庫県を主な舞台に、大手食品会社を標的にして起きた一連の企業脅迫事件の総称。
日本全国の警察機構が協力体制を取って捜査に当たる重要事件、『警察庁広域重要指定事件』に指定され、この中で「114号」の番号が与えられている(警察庁広域重要指定114号事件)。
関連するその事件の多さもさることながら、それらすべての事件の公訴時効が成立し、文字どおり「完全犯罪」として事件から40年近く経った現在も、深い謎に包まれた事件として語り継がれている。(2020年11月現在)

尚、警察庁広域重要指定事件では初の未解決事件となった事件である。

※記事内の「本事件」とは、『グリコ・森永事件』のことを指します。

 

【警察庁広域重要指定事件】
通常、事件が発生すると、その事件が起きた地域の管轄警察署(通称:所轄)が事件の捜査を担当する。ところが例外的に、同一犯による犯行と思われる事件が複数の都道府県で発生した際、全国の警察が協力体制で捜査に臨むべきであるとして、この「警察庁広域重要指定事件」に指定される場合がある。尚、この決定は警察庁の裁量による。
また稀な例ではあるが、事件件数が1件である場合においても、捜査の過程で管轄外となる他の都道府県警察への協力要請をするに伴い、この指定の対象となることがある。
逆に、同一犯による複数の事件が起きても、それらがひとつの都道府県内に留まると見込まれた場合には、指定の対象とはならない。

この組織体制が制定されたのは1956年(昭和31年)。この時点ではまだ現行の前身といえるもので、これは「重要被疑者特別要綱」と呼ばれた。
これが制定されるに至った経緯は、それまでの警察組織は各地域での縄張り意識が強く、広域に及ぶ事件が発生した際に連携が取れず、捜査の妨げとなるケースが多発したことによる。

長く難しい名称であるが要するに、”広域事件が起きたときには、地域が違くても同じ警察同士、協力し合おうよ”―、ということである。
ちなみに、この警察庁広域重要指定事件に指定された事件の犯人が逮捕・起訴されると、軒並み「死刑」ないし「無期懲役」となっている。故に、”警察庁広域重要指定事件 = 重要事件”といえる。

 

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事件の解説

これから記述するのは、『グリコ・森永事件』となる一連の事件です。以下に挙げる事件は時系列で示しています。

 

 

江崎グリコ社長拉致事件

1984年(昭和59年)3月18日
「江崎グリコ株式会社」の社長・江崎 勝久(当時42歳)が自宅にいるところを何者かによって拉致されたことから、本事件(一連の事件)は端を発する。

 

この日の21時頃、江崎は兵庫県西宮市にある自宅にいた。
江崎の自宅がある敷地内には母・芳江(よしえ)さんの住む別宅があったが、このとき拳銃と空気銃を携えた2人の男が別宅の勝手口を破って押し入った。そして男たちは芳江さんを縛りあげた上で、江崎宅の合い鍵を強奪。そして同敷地内の江崎宅へ向かった。
男2人は合い鍵を使い、勝手口から江崎宅に侵入。まずは江崎の妻・美恵子さんと長女・一子(かずこ)さんを襲い、2人を後ろ手に縛った上でトイレ内に閉じ込めた。次に、このときちょうど次女と入浴中であった江崎を銃で脅し、全裸のまま拉致した。
(男2人は敷地の外に逃走用の車をスタンバイさせていた。このことから、犯人グループは実行犯の2人と運転役1人の計3人であったとみられている)

男らが立ち去った後、美恵子さんは両手に巻かれた粘着テープを自力で解き、警察に通報。これにより、事件が発覚した―。

 

3月19日、グリコの取締役宅(大阪府高槻市)に犯人グループからの電話が入る。
この通話の中で、電話口の男はその詳細を語らず、ただ指定した場所へ来るようにだけ指示をした。
そして取締役が指定場所へ訪ねると、そこには一通の手紙が置かれていた。その内容は、江崎の身代金としての現金10億円と金塊100kgを要求するものであった。

グリコの社長・江崎の拉致、そして要求された莫大な身代金―、
こうした異例の事態を受け、兵庫県警と大阪府警は連携体制を取り、それぞれの警察本部を設置。すぐに合同捜査が開始された。
(尚、兵庫県警と大阪府警が連携体制を取ったのは、江崎が拉致されたのが自宅のある兵庫県、身代金の要求を受けたのが取締役の居住する大阪府であったため。先述「警察庁広域重要指定事件」の解説のとおり)

身代金要求からまもなくして、再び犯人グループからの電話が入る。この通話では、身代金受け渡し場所の変更が伝えられた。
その後、グリコは犯人側の指示に従って身代金受け渡しに臨んだが、犯人たちが現場に現れることはなかった。
(一般的な見解では、犯人らが姿をみせなかったのは「警戒していた」「様子を窺っていた」と考えられる。しかし筆者はそれとは異なり、犯人らはこのとき端から現場に現れる気はなかったと考える)

 

“犯人たちの意図は一体”

身代金受け渡し場所に現れなかったその動きに加え、あまりにも非現実的なその身代金の額から、犯人グループとのやり取りに対する懐疑的な声が合同捜査本部内では上がっていた。
(それもそのはずで、有名企業の社長とはいえども、10億円などそう簡単に支払うことのできる金額ではない。なにより、10億円といえば100万円の束が1,000。その量も凄まじいが、重さは約130kgにも及ぶ。これに加えて金塊100kg。かなりの”大荷物”である)

警察組織の中でさえも、犯人側の無茶な要求に応える必要性を疑う見方もあったが、グリコはその要求どおりに現金10億円と金塊100kgを用意した。

 

こうして江崎救出のための物的準備が整い、残る問題は犯人側との接触であった。警察がその後の方針を固め、家族がそれを見守る中、事件は急展開を迎える―。

江崎の拉致から3日後となる3月21日、大阪府茨木警察署の元へ国鉄職員からの通報が舞い込む。それは、監禁されているはずの江崎を保護したという報告だった。
江崎は大阪府摂津市の東海道新幹線車両基地近くを流れる安威川(あいがわ)沿い、そこにあった治水組合の水防倉庫に監禁されていたが、そこから自力で脱出。そして対岸にみえた大阪貨物ターミナル駅構内へ駆け込み、そこにいた作業員たちによって14時30分頃、無事に保護されたということであった。

安威川

 

【国鉄】
「日本国有鉄道」の略。
その名のとおり国が保有する鉄道で、政府が100%出資する特殊法人(公社)。
1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化に伴って「JRグループ」が発足。要するにJRの前身。

【治水】
:ちすい
洪水や高潮などの水害や、地すべり・土石流などの土砂災害から守るための事業のこと。

 

※江崎が監禁されていたと思われる場所は筆者の推測です。また、掲載の地図写真は2020年現在のものであるため、表示されている建物が事件当時とは異なります。

 

江崎は脱出直後に会見を開き、報道陣へ向けて監禁時の心境を吐露した。

「ずっと命の危険を感じていました」

「家族のことが心配でした」

江崎グリコ本社で会見を開いた江崎 (1984年3月21日 / 大阪)

 

「江崎グリコ社長拉致事件」における注目すべき点

この事件の焦点は、いうまでもなく江崎の拉致が何の目的で行われたかである。
金か―、それとも江崎やグリコに対する恨みを晴らすためか―。

事件の顛末を整理すると、まず犯人グループは江崎宅に押し入って江崎を拉致。その後、身代金を要求している。
すると、犯人グループの目的は金のようにも思える。しかし、ここで筆者にはある点が引っかかる。それは、「なぜ拉致の対象が江崎であったのか」ということである。
通常、身代金目的の拉致では子どもがターゲットになる。要するに、金を引き出したい人物の息子や娘である。これには、”愛する我が子を返してもらえるなら、それは金に換えられない”という親心を利用して、金を引き出しやすくする意味がある。
そしてもうひとつ、子どもは大人に比べて拉致・監禁しやすい。なぜなら子どもは大人に比べれば、小さく軽い。さらに、抵抗されても犯人が男性であれば、それはたかが知れている。また、監禁する際にも恐怖心を植え付けやすく、従順にできる。
こうした理由から身代金目的の拉致の場合、子どもをターゲットとするのがセオリーである。
しかしこの事件では、次女と入浴中の”江崎“が拉致されている。武装した男2人に対し、幼い女児を含む裸の2人。もしも筆者が犯人であったならば、ここで間違いなく次女を連れ去る。これは”模範解答”といえる。

この事件で犯人グループが江崎を拉致した理由を、筆者はこのように考える―、
それは、『この事件は劇場型犯罪だから』―。

「劇場型犯罪」とは、自らの犯行によって世間を騒がせ、その様子をマスメディア(テレビや雑誌など)、はたまた自身の身の回りを通して観ることで、快感を得ることが目的の犯罪のこと。その名のとおり犯罪を演劇に例え、犯人自身が主役、事件に騒ぐマスメディアや世間の人々を観客とした構図を描く。

劇場型犯罪は、同一犯による犯行が連続的に起こるのがその特徴のひとつ。また、一般に最初の事件を起こした後に、新聞社やテレビ局などを利用して事件を広く認知させるほか、送りつけた犯行声明の中に暗号文を仕込んだりと、ゲーム的要素を盛り込むのも同様。これにより、マスメディアや世間が事件を楽しむという特異な現象がみられるのも大きな特徴となる。
犯人自身の目的は、自らが起こした事件で世間が混乱する様子や、事件の謎の解明に奔走する様子をみることで得られる満足感。そして「この事件の真相は自分だけが知っている」という優越感・支配感。こうしたことから、犯人は自身の身元がバレるようなリスクはあまり犯さず、ひとしきり満足するとほどほどのところで犯行をぱったりと止める。劇場型犯罪に未解決事件が多いのは、そのためである。

 

筆者がこの事件を劇場型犯罪であると考える理由は、犯人グループが必ずしも金目的で犯行に及んでいないと言及できる裏付けがあるからである。
実は江崎の拉致後、犯人グループは家族側からの「お金ならお渡しします」という申し出を「金はいらない」と言って断っている。つまりこれは、犯人らは端から金が第一の目的ではなかったといえる。であるならば、この事件において犯人らがやってのけたように、要求する身代金の額も桁違いな金額の方がよい。世の中に強いインパクトを与えるからだ。

これで「金目的」の線は”ほぼ”消えた。では「怨恨」の線からはどうだろうか―、
これに関しても、幾ばくかの可能性があるといわざるを得ない。そう考える根拠としてはやはり、”わざわざ江崎を拉致していること”のほかにない。
ここからみえる犯人たちの狙いは、
「江崎に恐怖を与えること」「会社にダメージを与えること」。
(「会社にダメージを与える」ということに関して―、
この事件で犯人らは、身代金受け取りに消極的な様子であった。つまり会社から身代金を吸い上げるのではなく、事件を起こすことによって間接的にダメージを与えるということ。実際、グリコは本事件で大打撃を受けている)

その犯行様式から、対象を殺害するような犯人像は浮かばない(現に江崎は無傷で保護された)。また、身代金にも消極的。となれば、長期間に及んで江崎を監禁することは、犯人らにとって費用対効果(コストパフォーマンス)は低い。
さらに、江崎が自力で脱出できた事実を鑑みると、犯人らは江崎の監禁自体にはさほどの関心を抱いていなかったように筆者には映る。恐らくは監禁時も、その監視体制は緩かったものと推察している。
こうした理由から、
「怨恨」の線はあるにしても、それが第一ではないと考える。

「金」―、
「怨恨」―、
これらはあくまで副次的な目的であり、主たる目的は―、

『世間が騒ぎ、警察が踊らされる様をマスメディアを通して観賞する』

これだ。


まもなくして、次なる事件が巻き起こる。続きは【パート2】にて。