SMクラブ下克上殺人事件

 

“人間不信に次ぐ人間不信”

 

『SMクラブ下克上殺人事件』の概要

1995年(平成7年)12月21日、東京都品川区で発生した怨恨による殺人事件。
SMクラブで働く兄弟がその組織体制、人間関係に不満を募らせた結果、オーナーらを殺害及びそれら遺体を遺棄した。

風俗業界を舞台とした闇深い平成事件のひとつである―。

 

事件の解説

主犯の陸田 真志(むつだ しんじ)は本事件(95年)を起こす以前、アメリカにいた。
陸田が渡米した目的はデザインを学ぶためであり、目下の目標であったデザイナーになるべく、陸田はそこで学びの日々を送っていた。
不自由な異国での生活も次第に慣れてくると、陸田にとってそれは”刺激的な”場所であり、陸田は様々な誘惑に引き寄せられるようになる。
やがて陸田は渡米した本来の目的を忘れ、金品を奪うための暴力事件を度々起こし、そしてついには逮捕されてしまう。

デザインを学ぶためにアメリカへ渡った陸田―、
その志は高かったはずであるが、その陸田が現地で道を踏み外したのは、それまで信用していた人物に裏切られたことによる人間不信が原因であったといわれている。

自暴自棄になり、人は信じず、金だけが陸田の信じることのできるものに変わっていた―。

 

ほどなくして保釈された陸田は、日本に帰国。そして、兄と共に五反田(東京都品川区)のSMクラブで働きはじめる。
兄弟で飛び込んだ風俗業界であったが、そのクラブは売り上げが伸び悩んでおり、オーナーはこれを打破するべく陸田にある提案を持ちかけた。それは、一定の売り上げ以上に達すれば、そこから売り上げの5%を陸田に還元するというもの。
オーナーは慶応義塾大学卒。地頭が良く、経営のセンスに優れ、このとき計6店舗の経営を行っていた。そのオーナーからみても陸田には光るものがあり、日頃から陸田の仕事ぶりを評価していた。
オーナーはそんな陸田の士気を高めれば経営状況は好転するものと踏み、この「5%の約束」を交わしたわけであった。

するとオーナーの読みは的中。陸田自身の有能さと、人間不信から生まれた金への執着心が後押しし、陸田はたった1ヶ月で1,000万円を超える月の売り上げを叩き出す。
ところが、オーナーは5%の約束を反故にし、陸田に還元すべき金を支払わなかった。さらには、これに抗議した陸田に対し、「文句があるなら辞めろ」と吐き捨てた。
このことで陸田はさらなる人間不信に陥り、またオーナーに対する不信感や不満を募らせた—。

 

そしてその後も、陸田にとって受け入れ難い出来事が続く。
陸田は店長のポストを降ろされ、ある日それに代わるAという人物をオーナーが店に連れてくる。ところがこのAには経営力が乏しかったことから、Aは名だけの店長として、実際の店の経営は陸田が引き続き行っていた。
しかしあるとき、陸田とAが経営方針を巡って対立。その結果、Aはオーナーに相談して陸田、そしてその兄も解雇へ追い込もうと画策した。
(経営方針については―、陸田はあくまで法の許すギリギリの範囲で経営を行っていたが、対するAは違法行為を伴って経営しようとしていた。陸田はそれに異を唱え、これがこの度の対立へと発展した。陸田が正しい)

やがて「陸田兄弟を排除する」というAの目論見を知った陸田は、自分らが解雇される前に一矢報いることを決意。兄とそして、同じようにオーナーやAに不満を持つ部下らと結託し、2人の殺害計画を立てた。

 

そして1995年12月21日
陸田兄弟は、勤務明けのAが店の事務所で眠っていたところを殺害。その方法は、バタフライナイフや斧によるものであった。
陸田兄弟はオーナー殺害の次なる犯行に移ろうとするも、兄がA殺害によるショックで体調を崩してしまう。そこで陸田は翌22日入店希望者の面接を口実にオーナーを呼び寄せ、部下らと共に犯行に及ぶ。それから陸田は、2人の遺体処理を部下3人に命令して手伝わせた。
遺体はコンクリート詰めにした上で木箱に入れられ、茨城県鹿島港の海中に沈められた―。

 

自身を理不尽に扱う2人を消した陸田は、その後店を思うがままに動かしていた。さらに陸田は部下を使ってオーナーの預金を引き出し、現金約4,000万円を強奪。
こうして、オーナーのSMクラブを乗っ取った陸田は1億円以上の利益を生み出したとみられ、その経営手腕は確かなものであった。

 

やがて―、
オーナーの預金を引き出した陸田の部下らが詐欺の容疑で逮捕されてしまう。ここで足がついたのは、殺害されたオーナーの両親が捜索願を出したことによるものであった。
部下らが逮捕されたことを受け、彼らが自分のことを供述すると考えた陸田は、警察に出頭。殺人などの容疑で逮捕された。

陸田逮捕後となる1996年9月—、
その供述により、鹿島港周辺の海底から遺体が発見され、そして引き揚げられた。遺体は腐乱して見るも無残な状態であった。

 

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裁判

1998年6月5日、東京地裁。
陸田に求刑通りの死刑判決が下される。

逮捕後、獄中生活の中で哲学に目覚めた陸田は自らの罪の重さに気付き、裁判の中でも遺族に反省の弁を述べるなどしたが、事件の首謀者であることやその計画性、残忍性などから導き出されたこの判決であった。

この死刑判決を受け、弁護側は「量刑が重い」として控訴

しかし—、
2001年9月11日、東京地裁。これが棄却。さらに裁判は三審までもつれ込むも、2005年10月17日に最高裁で上告が棄却され、陸田の死刑が確定した―。

 

尚、陸田と共謀したは、「主犯に準じる」と認定され、求刑通り無期懲役が言い渡された。
また、陸田の命令により死体遺棄や詐欺などに加担した部下らにも、それぞれ有罪判決が下された。

 

2008年6月17日―、
東京拘置所にて、陸田の死刑が執行

そして同じくこの日―、
東京拘置所では、『東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件』の犯人・宮崎 勤の死刑も執行されている。

 

終わりに

※以下に述べることは、事件を茶化したり、犯罪を肯定・助長する意図ではありません

 

本記事の締めくくりとして、この事件の名称についてその所感を言及したい。

本事件の名称は―、

『SMクラブ下克上殺人事件』

 

警察内の誰が名付けたのか知らないが、これはすごく良いネーミングである。
普通であれば、「五反田風俗店殺人事件」とか「風俗店オーナー殺人事件」といった”つまらない”名称になりそうなもの。ところが、「SMクラブ」を”きちんと”その名称に入れたこと、そしてなにより、ここで『下克上』を持ち出すとは―。これにはネーミングセンスを感じずにはいられないし、どこか事件に対する揶揄のようなものを感じる。
ところが筆者にもその気持ちが解る。だからこそ、本事件の『SMクラブ下克上殺人事件』という名称に好感が持てるわけである。

結果として陸田は人を殺してしまった。もちろんこれに対する擁護は一切できないが、陸田がクラブで受けた理不尽な扱いには同情する。それと同時に、オーナーには怒りや嫌悪の感情を抱く。

 

本事件は「怨恨」によって起きた。
そもそもは、オーナーが「5%の約束」を果たしていれば、この悲劇は起きなかったはずである。
結局のところ、このオーナーは人を利用して私腹を肥やした結果、深い恨みを買ってしまったわけであり、「殺された」というこの結果は自業自得といわざるを得ない。いってみれば、陸田はオーナーを討ち取ったのだ。

 

人から恨みを買う人間というのは得てして、道理から外れたことをしている。
その恨みを晴らすということは、いうなれば「粛正」。その粛正の術が「殺人」となる人間がいるわけであるのだから、恨みを買われるようなことをしている方はぜひとも気を付けていただきたい。

人を”自分より下位である”なんてぞんざいに扱っていると、そんな相手にいつか下克上されるかもしれない。それも、”本来の意味”での。

下克上は現代でも起こり得る―。

オラクルベリー・ズボンスキ(小野 天平)