オウム真理教女性信者殺害事件 -2-

これは「オウム真理教女性信者殺害事件」に関する記事の【パート2です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

オウム真理教女性信者殺害事件 -1-


 

コラム 【サティアン】

ここでオウム真理教を語る上で外すことのできない『サティアン』について解説していきたい。

“サティアン”という一般には聞き慣れない言葉は、オウムの絶頂期ともいえる1995年に広く世間に知れ渡った。これは「真理」という意味であり、サンスクリット語からきている。
当時はテレビのニュースでもしきりにこの言葉が流れてきたもので、現在ある程度の年齢以上の方であれば、その記憶があるのではないかと思う。
筆者も95年当時、9歳または10歳という年齢であったので、”サティアン = 秘密基地”というような子どもなりの解釈をしていた記憶がある。これはどこか幼稚な捉え方のように思われるかもしれないが、実はこの「秘密基地」という見方は意外と芯を捉えている。事実、サティアンは人里離れた富士山の裾野に位置し、また秘密裏に銃器や生物兵器、違法薬物などが密造されていた。(詳しくは後述)

 

オウム真理教はその主な拠点を「富士ケ嶺 (ふじがね)」に置いていた。これはマスメディアでは一般に「上九一色村 (かみくいしきむら)」と呼び、こちらも”サティアン”とセットでテレビのニュースからよく耳にしたものである。
尚、上九一色村は2006年、南北に分けてそれぞれ他市・他町に編入されたため、現在は存在していない。違和感を持つ方もいるかもしれないが、本記事で以後「旧・上九一色村」と表記するのはそのため。
オウムの拠点といえば、もう二か所ある。それは静岡県の富士宮市。ここにも旧・上九一色村と同様にサティアンがあった。そして旧・富沢町にも1棟。

 

オウム真理教の人間たちにとって、活動・生活の拠点であったサティアン―、
最盛期には富士ケ嶺周辺に、倉庫や個人の専用施設といった付随施設と共に計30棟以上が点在していた。
サティアンは1989年から建造がはじまり、最終的に「第1」から「第12」まで造られた。これらは1995年5月の教団弱体化を契機にして、1996年までにすべてが閉鎖。やがて第7サティアンを除く全棟が取り壊された。
第7サティアンにおいてはその建物の性質上、1998年12月まで残されていた。(第7サティアンの詳細については後述)

サティアンが閉鎖されて教団が撤退した後は、興味本位で訪れる一部の人々によって観光名所化したが、建物の取り壊しと共に、周辺に平穏が取り戻された。

ちなみに、1997年7月に旧・上九一色村で開園した「富士ガリバー王国」というテーマパークがかつて存在していた。これは一般にサティアン跡地にオープンしたといわれているが、実際は第6サティアンから約3kmほど離れた場所にあった。(とはいえ、目と鼻の先の距離ではあるが)

富士ガリバー王国


ガリバー王国はそのアクセスの悪さや近隣にあった「富士急ハイランド」の存在、そしてやはり”上九一色村 = オウム”という負のイメージを払拭できず、経営破綻により僅か4年ほどで閉鎖。その後数年間は廃墟のまま残り、『ほんとにあった!呪いのビデオ 15』の第10話「ニューロシス」のロケ地となったほか、「オウム施設跡地」のデマにより、更地となるまでは半ば心霊スポットのようになっていた。

 

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サティアン一覧

富士宮市

富士山総本部道場
サティアンという名称こそ付いてはいないが、立地的そして機能的にみてもサティアンである。信者らの証言によると、ここにはゴキブリが多かったという。

第1サティアン
富士山総本部道場の隣に建っており、教団内では「サティアンビル」と呼ばれていた。
1995年1月頃には、「電磁波攻撃を受けている」として建物に鉄板が貼られた。

手前の三角屋根が「富士山総本部道場」。隣接した白い建物が「第1サティアン (サティアンビル)」。

 

第4サティアン
教団の『郵政省』と『AUM MAT STUDIO』が置かれていた。この”MAT”とは、「MANGA ANIME TEAM (マンガ・アニメ・チーム)」の略。尚、”AUM”は「オウム」の英語表記である。
ここでは主に、信者獲得のためのOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)や漫画が
制作されていた。

 

旧・上九一色村

旧・上九一色村にあったサティアン群はエリアごとに区分けされており、各エリアには「第一」から「第七」の通し番号が振られていた。

各施設の位置関係 (当時)

 

第一上九

第2サティアン
当初は麻原一家の住居であったが、後に麻原の愛人らも住むようになった。
また、ここにはマイクロ波による焼却装置が設置されており、死体を焼却・隠蔽する際に重宝された。
さらに、施設内には重厚な電動油圧式の扉で隔たれた秘密地下室があり、これは逮捕の危険が迫るなど有事の際に、身を隠すためのシェルター的役割を果たしていた。

【マイクロ波による焼却装置】
教団が開発したマイクロ波による焼却炉。
マイクロ波発生装置とドラム缶を組み合わせて作られた。大きさは4人家族で使用される冷蔵庫くらい。
この装置の出力は、一般家庭で使われる電子レンジの5~10倍。人間の死体は3日ほどで骨まで焼かれ、粉のみになる。後に警察が5kgの食用肉で試したところ、数時間で跡形もなくなった。
尚、教団内では「勝利者」と呼ばれており、”マイクロウェーブ焼却装置”と大それた扱いであるが、要するに巨大な電子レンジである。
家庭用の電子レンジもマイクロ波を利用して食品を温める。電子レンジは英語で”microwave (マイクロウェーブ)”。

 

第3サティアン
作業場や物置として使われていた。

第5サティアン
教団関係の印刷物はここで印刷される。いわゆる「印刷工場」。また、「法務省」も置かれていた。法務省は教団の訴訟関係事務を受け持つ。

第2、3、5サティアンが建っている「第一上九」。周辺には何もない。

 

第二上九

第6サティアン
1階部分は麻原一家の住居。とはいえ、人が住むような環境ではなく、ただの倉庫みたいなものであったといわれている。
ちなみに、後の麻原逮捕時に発見された隠し部屋があったのは、この第6サティアンである。

 

[付随施設]
ヴィクトリー棟
第6サティアンに近接した建物。警備担当の出家信者がここに詰め、24時間体制で監視していた。監視塔。

監禁用コンテナ
ここに監禁された者は、24時間体制で監視された。この監視は自治省の信者が8時間交代で行われた。
(自治省は教団内の警察的役割を担う)

オウム真理教男性信者殺害事件」(第2のオウム事件)で被害者男性が監禁されていたのもこのコンテナ。

黒い屋根の平べったい建物が第6サティアン

 

第三上九

第7サティアン
1993年2月から建造が開始された。そのため、数あるサティアンの中では比較的新しいものであった。同年9月からは建物内でサリンプラントの建設が行われた。
尚、このサリンプラントで完全なサリンを製造することはできなかったが、それにほど近い最終工程までは実現している。この「不完全なサリン」は後のオウム事件で使われることになる。

 

[付随施設]
クシティガルバ棟
物置を改造して建設した施設。第二厚生省大臣であり、”教団の化学者”である土谷 正美の実験室。ここでは化学兵器や爆薬が製造された。第7サティアンに先立って1993年8月26日に完成。
この実験室内の機器は実に300点ほど、その総額は6,000万円にも及ぶ。中には大手メーカーでも所有していないような機器もあり、その環境は先進的。実験そのものも本格的であった。
土谷はここで生活し、実験に明け暮れていた。

 

第7サティアン

 

第7サティアン内部のサリンプラント

 

 

第四上九

第8サティアン
オウム真理教の会社「マハ―ポーシャ」のパソコン組み立て工場。
当時、教団は自社組立てのパソコンを店舗販売していたが、これが他社に比べて大幅に安かったことから、秋葉原に通うオタクたちの間では有名であった。

第12サティアン
自動小銃密造工場。
自動小銃の組み立てが行われたほか、サリン噴霧車の製造も行われた。

 

第五上九

第9サティアン
自動小銃部品密造工場。

第11サティアン
自動小銃量産工場。ここは自動小銃を量産するための拡充施設として使われる予定であった。

 

第六上九

第10サティアン
出家信者の子弟たちが生活する施設。また、ここには緊急連絡網の配信センターがあり、警察捜査の接近を各拠点に警報していた。
この際のアナウンスは、「〇〇地方の降水確率は50%です」というように気象予報を装い、カムフラージュしていた。
(この「降水確率」は「警察捜査が来る可能性」を示していた)

[付随施設]
ジーヴァカ棟
第一厚生省大臣・遠藤 誠一の研究室。ここでは生物兵器や違法薬物が製造された。教団との関連が強いサリンの研究もここで行われた。

 

第七上九

倉庫群がある。

 

旧・富沢町

富士清流精舎
ここでは1993年6月頃から自動小銃の設計作業が開始された。また1994年4月下旬頃からは銃器製造工場にするための整備が行われた。
1995年1月1日には自動小銃1丁が完成。教団は最終的に、ここで1,000丁の製造を計画していた―。

 

サティアンの特徴

その建物の多くは信者らの手によって建造されていたが、これは外部の業者に依頼するとお金が掛かるからというそのままの理由による。オウム信者の中には各方面の専門的知識や技術を持つ者が多くいたため、教団はこうした人材を有効活用していた。いうまでもなく、こうした作業に賃金などは発生しない。
(ちなみに、前出「マハーポーシャ」のパソコンが他社よりも断然安く販売できたのは、修行という名目で信者らにパソコンの製造をさせていたからである。その安さの秘密は”人件費ゼロ”にあった)

 

一般に宗教施設といえば―、
その世界観を象徴するような装飾が施されているが、サティアンは”手作り”であったために無機質かつ質素な造りで、それは工場か倉庫といった外見であった。
そのほかとしては、”窓が小さい”といった特徴もみられるが、これは意図されたものであり、その理由として教団は「毒ガス攻撃を受けているから」と説明している。要するに、窓を小さくすることで外気を可能な限り遮断する目的があるということである。
しかし筆者としてはそれはあくまで建前で、「外部からできるだけ中の様子を見えなくするため」、「信者が脱走しにくくするため」というのが本当の理由ではないかと考えている。事実、サティアンには脱走防止のためのサーチライトまであった。
さらに居住環境に関していえば、第6サティアン1階には麻原一家の住居。そして2階を埋め尽くすように「蜂の巣ベッド」と呼ばれる木組みの3段ベッドが並び、ここにはおよそ500人が就寝。3階には、のぞき穴が開いた金属張りの個室(監禁部屋)が並んでいた。
尚、幹部であっても独房のような個室(2畳程度)しか与えられなかった。

蜂の巣ベッド

 

 


また、出家信者に子どもがいる場合、その子どももサティアンで暮らすことになるケースもあるが、居住施設は大人と子どもで分けられていたため、親子で寝食を共にすることはできなかった。
(子どもが遊んでいる間、親はひたすら修行)

出家信者らはこうした環境で日々生活を送っており、サティアンはさながら強制収容所のようであった。

 

その他教団関連施設

上記のサティアン以外にも―、
北は札幌、南は那覇、全国24か所に支部や道場が点在していた。また支部は日本のみならず、モスクワ(ロシア)、ニューヨーク(アメリカ)、ボン(ドイツ)、スリランカにも置かれた。(1995年4月時点)

また、サティアンの名を冠した「サティアンショップ」が各地の支部に併設され、オウムソングのカセットや「修行するぞTシャツ」、「サティアンクッキー」といったオウムグッズが販売されていた。
こうしたショップは独立型の2店舗も含め、最盛期には全国に13店舗が展開されていた。(1995年12月時点)

 

 

そして、教団の拠点には非公然の施設等も存在していた―、

・今川アジト
東京都杉並区に所在の一軒家。スパイ活動の拠点であった。

・渋谷アジト
東京都渋谷区宇田川町のマンションの一室。同じくスパイ活動に利用された。

・西荻アジト
東京都杉並区所在の一軒家。指名手配犯となった教団関係者の潜伏先であり、「ジェービーテレコム株式会社」の名義で借り受けていた。

・八王子アジト 1
東京都八王子市に所在。

・八王子アジト 2
アパートの一室。東京都八王子市館町に所在。

・核シェルター
「マハ―ポーシャ」のパソコン事業で得た金で1998年頃から建設。長野県にあった。

・静岡県の山
信者からの布施として得た土地。熱海からほど近く、海が見える景観の良い場所。ここで国家転覆のための軍事訓練を行っていた。

 

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