伊勢市女性記者行方不明事件 -2-

これは『伊勢市女性記者行方不明事件』に関する記事の【パート2です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

伊勢市女性記者行方不明事件 -1-


 

事件の解説

もうひとつの事件

辻出さんが失踪した1998年(平成10年)11月24日―、
この日彼女が会社を出たのは23時頃であったが、そもそも彼女がこの時間まで会社に残っていたのは、いうまでもなく残業していたからである。なにせ彼女は前日まで4泊5泊旅行に出るほどの長い休暇を取っている。その穴埋めをするために、この日は遅くまで仕事をしていたと考えられる。

 

ここで本事件を語る上での大前提としていえるのは、辻出さんは自らの意思で失踪したのではないということ。
これを裏付けるものとして次のような事実がある―、

失踪当日の夕方、ある男(以下:X)が何度か辻出さんの携帯に電話をかけている。その通話の中でXは、「今夜会いたい」と彼女に話している。すると辻出さんは、「22時頃に仕事が終わる」とXに伝え、この夜2人は会うことになった。
そして22時頃、Xが辻出さんの働く伊勢文化舎の周辺に到着。そして彼女に電話を入れると、「23時頃に終わるからもう少し待ってて」と言われる。そこでXは辻出さんが仕事を終えるまで、伊勢文化舎からほど近い「大東京火災海上保険 (現・あいおい損害保険) 伊勢支社」の駐車場に車を停め、車内で時間を潰していた。
そして23時過ぎ、辻出さんから「仕事が終わった」との電話がXの元へ入り、2人はその駐車場で落ち合った。そして彼女は自身の車をそこに残して、そのまま行方不明となった。

写真は2021年撮影のもの。
「伊勢文化舎」は移転済み。画像内で示す地点には現存していません。(2021年現在)

 

そして翌25日、何の連絡もせず出社してこない辻出さん。
ところがこれに対し、同僚は不審には思わなかった。というのも彼女はその前日、深夜まで残業していたからである。会社の人間としてみれば、”前日遅くまで仕事していたから、まだ寝てるんじゃないか”という感覚だったのだろう。
また、実家に両親と暮らしていた辻出さんであったが、彼女がその晩帰宅しなかったことに対し、母・美千代さんと父・泰晴さんもまた心配しなかった。なぜなら失踪前の旅行でその間に仕事が溜まり、彼女はそれを片付けるため会社に泊まり込んでいると思っていたからだ。

保険会社の駐車場に放置された辻出さんの車―、
失踪翌日となる25日の昼頃、駐車場を所有する保険会社の通報を受けた伊勢警察署からの連絡が辻出家に入る。これにより両親は、彼女が失踪したことを悟った。

 

辻出さんは写真フィルムを現像のためカメラ屋に出したきり、その後受け取りにきていない。この写真とは、失踪直前に出た「4泊5日旅行」のものと思われる。
かつて東南アジアの旅行で政府軍に拘束された際、フィルムを守るためにそれを下着の中に忍ばせるほどの人が、同じ東南アジア旅行の写真を現像に出したまま受け取りに来ないだろうか。

また失踪当夜、彼女はダウンジャケットを会社に置いたまま退勤している。11月下旬、また深夜ということもあって気温は低かったはず。この時期にアウターなしで外出は間違いなく寒い。辻出さんはダウンジャケットを忘れていったのか、または暖房を効かせた自動車移動を前提に考え、構わず置いていったのか。辻出さんが会社を出た後、またすぐ会社に戻ってくるつもりであったことは考えにくい。

なにより、責任感・使命感の強い辻出さんが突然会社を辞めるなどということは考えられない。それも一切の連絡もなしにだ。
そしてその後実家に戻らないこともおかしい。家族や同僚・知人なども、「突然家出をする理由が見当たらない」と皆口を揃える。

明らかにこれは事件―。

辻出さんの車が放置されていた保険会社の駐車場。ここで彼女はXと落ち合い、1~2時間一緒に車内で過ごした。(写真は事件当時のもの)

Xは辻出さんの失踪直前まで一緒にいたことから、本事件が事件として扱われると真っ先に被疑者となった。
事実、Xは”辻出さん最後の姿をみた人物”として、本事件における最重要人物であることは間違いない。

 

【最重要人物】被疑者の男 X

携帯電話で連絡を取り合い、辻出さんの仕事後に夜遅く会うなど、その関係が気になるX―、

このXという男は、辻出さんが過去に行った取材の中で出会った人物である。

事件当時、三重県では大型イベントによる振興が盛んに行われており、辻出さんが勤める伊勢文化舎の主力であったタウン情報誌『伊勢志摩』では、これらを取り上げていた。
同誌の担当であった辻出さんはある時、地域で交流関係が広い人物を探しており、そうした中で尾鷲市役所が彼女に紹介したのがXであった。
Xは尾鷲市と隣接する海山町*(みやまちょう)で熱帯魚販売店を経営、地元の青年会議所で副理事も務めるなど、地元では幅を利かせていた。

*合併により、2005年に廃止

このXは子ども向けの地域イベントで講師を務めたり、女性に対して紳士的に接するなど、「子どもや女性に優しい人」 「良い人」と辻出さんには映っていた。そのため彼女はXに信頼を寄せていくようになるが、やがてこれは恋愛感情に変わっていったとみられる。実際に彼女は同僚にXの顔写真をみせ、「かっこええやろ」と自慢していたことも分っているほか、Xと2人きりで食事に行ったり、携帯電話でのやりとりを交わすなど、2人が仕事上の関係を超えていたことは明らか。
さらには辻出さんの担当誌『伊勢志摩』の中でXを取り上げた際、その号の編集後記で彼女は、「〇〇さんの、自然の中での表情ときたら。実に嬉しそうなのだ。自然には人を笑顔にさせる力があると思う」とXについて記している。その文面は、どこか辻出さんの私情が反映されているようにも感じられる。

辻出さんには魅力的に映っていたとみられるXであるが、彼女が抱いていた人物像とはまるで別人、”裏の顔”を持っていた。
以下はXの妻(後に離婚)の証言である―、

東京に行ってくるといって帰ってくると、体から薬物の匂いがした」

「まったく眠らない日があり、それでも活気に溢れていた」

「自室に包丁を持ち込んで、”死んだる!”と喚き散らしたことがあった」

「すぐに激昂して物を投げつけたり、食卓をひっくり返すなどしていた」

「医学本に載っていた女性器を舐め回すほどに見続けていた」

「大量のコンドームを椅子の下に敷き詰めていた」

「自慰行為を狂ったようにし続けていた」

「こっそり希少動物を輸入して、40万円の罰金刑に処せられたことがある (ワシントン条約違反)」

 

11月24日の辻出さん失踪を受け―、
所轄である伊勢署はXが事件に関与しているとみて、事件の翌年となる1999年1月26日にXを任意同行させた。
(そもそもなぜXが被疑者として浮上したのかといえば、それは辻出さんの携帯電話の通話記録から。
警察は辻出さん失踪を事件として扱うと、まずは通信会社に通話記録を開示請求。そこから失踪当日、辻出さんとしきりに通話をしていたXが浮かび上がったというわけである)

 

Xの聴取に当たり、伊勢署は毎朝8時にパトカーでXの自宅へ赴き、深夜0時頃まで取り調べを行った。そして1時から2時頃に解放。これは2月3日まで続いた。

取り調べの中で警察は、このときすでに辻出さんが存命でないことを前提に、「殺害した辻出さんの遺体をどこに遺棄したのか」と、Xに自白を迫った。
Xは当初、「辻出とは98年の夏以来会っていない」と供述したが、後にこれを変転。’98年11月24日の事件当夜、辻出さんと会っていたことを認めた。

こうした取り調べに加え、警察はXの周辺人物に聞き込みを行ったほか、家宅捜索を実施。ところがXが辻出さん失踪に関与しているとの確たる証拠は上がらなかった。ところが―、
この家宅捜索でXの自室内から、保存された使用済みの女性用ナプキン(生理用品)が見つかる。警察はこれを押収。そして調べた結果、これに付着していた血液はB型と判明。尚、辻出さんの血液型もB型である。
しかしながら、Xの交際女性もまたB型であった。
結局、この使用済みナプキンは重要証拠品とはならず、その後Xに返却された。

1日15時間の取り調べが8日間続くという実質的な拘束。そして家宅捜索。このとき伊勢署が取った体制は、もはや”任意”の域を超えていた。

 

2月3日にようやく警察から解放されたX―、
ところが、それからわずか1週間後の2月10日逮捕されてしまう。その容疑は「逮捕監禁」であった。
その容疑内容は以下のとおり―、

1997年12月16日 13時頃から翌17日17時頃まで、Xが東京を訪ねる度に会っていた馴染みのホテトル嬢Aの両手を縛り、Aの自宅マンションに監禁した

 

身柄を津署へ移されたXに対し同署は―、
この逮捕で得た拘束期間中、辻出さん失踪についての取り調べを徹底的に行った。なにより注目すべきは、Aに対するこの逮捕監禁事件で被害届が出されたのは、その発生から1年以上も経過した1999年の2月5日であり、これが別件逮捕であることは明白であった―。


東京のホテトル嬢Aに対する逮捕監禁容疑で別件逮捕となったX。突然の逮捕に戸惑うXと、この逮捕で本事件被疑者を囲い込んだ警察。
逮捕後のXに待ち受けるものとは―。【パート3】へ。

 

【別件逮捕】
本件の取り調べ目的で、逮捕要件を満たす別件で対象を逮捕すること。
この別件は通常、本件に比べて軽微であり、本来であればそれ単体で逮捕へ動くことに消極的な警察も、別件逮捕の際には極めて積極的となる。
要するに『別件逮捕』とは、本件の被疑者を徹底して取り調べするために不可欠な拘束(時間)を得るための手法のこと。

[逮捕後の流れ]

『警察』での48時間(2日間)
ここで「釈放」「送致」のいずれが決められる。送致とは、警察から検察へ引き渡すこと。

⇓ 送致

『検察』での24時間(1日間)
ここで「釈放」「起訴」「勾留請求」のいずれかが決められる。勾留請求されると、その是非は裁判官が判断、決定を下す。

⇓ 勾留

勾留期間中は検察官による取り調べが行われる。この勾留期間は10日間
その中で、「起訴」「不起訴」か検察官が決定を下す。ここで起訴されれば、『刑事裁判』となる。
さらなる勾留が必要であると判断されると、勾留延長がされる。勾留延長の請求は検察官が、決定は裁判官が行う。

⇓ 勾留延長

勾留の延長は、勾留請求の当日も含めて10日間
この10日間で、「起訴」「不起訴」か検察官が決定を下す。ここで起訴されれば、『刑事裁判』。不起訴となれば釈放となる。

つまり逮捕されると、釈放(不起訴)か起訴か決まるまでに最大23日間かかることになる。ここで敢えて別の言い方をすれば、釈放されるまで最大23日間勾留される可能性があるということ。
尚、再逮捕されると、最大23日間追加で勾留されることになる。再逮捕は通常、当初の逮捕での勾留期間が満了した時点で行われる。そのため一度逮捕され、”再逮捕、再逮捕・・・”となれば、”23日、23日・・・”というように勾留期間がどんどん延長されていく。

ちなみに日本において、起訴されると有罪になる確率は99.9%である。

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