これは「島根女子大生死体遺棄事件」に関する記事の【パート3】です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。
事件発生(都さんが行方不明となった日)から3年が経ち、事件は死体遺棄罪の公訴時効を迎えてしまう―、
そこで警察は、本事件を死体遺棄事件から殺人事件に切り替え、公訴時効の適用を回避。これにより、捜査の継続に踏み切った。
【死体遺棄事件から殺人事件へ】
当初、本事件は死体遺棄事件として扱われていたが、発見された遺体の状況からみてもそれが殺人事件であることは明らかであった。
事件から3年を機に、警察は本事件を殺人、死体損壊・遺棄事件として捜査を継続する。
合同捜査本部は都さんの生活圏内(学生寮・大学・アルバイト先・臥龍山、これらを結ぶルート)を重点的に捜査した。
【カンガルーバー】
オーストラリア発祥。元々はカンガルーとの衝突による衝撃を軽減させるためのもの。
カンガルーバーの一例
捜査は難航―、
事件は発生から7年が過ぎる。公訴時効はないにしろ、事件は風化の一途を辿るばかりであった。
そうした中、2016年に入ると合同捜査本部は、過去に性犯罪歴のある人物を洗い直していた。
これと併せて、Nシステムのデータを改めて洗い出す。そこで事件当時、浜田市に隣接する益田市に住んでいたひとりの男が被疑者として浮上した。
【Nシステム】
「自動車ナンバー自動読取装置」。通称「Nシステム」。
道路に設置され、走行中の自動車のナンバープレートを自動的に読み取り、手配車両のナンバーと照合するシステム。
さまざまな事件において、手配車両の追跡の際に大きな効果を上げている。
本事件被疑者:矢野 富栄
矢野 富栄 (やの よしはる)
山口県出身。
本事件当時(2009年)、33歳の会社員であった。島根県の益田市に居住。
2009年4月—、
職業安定所の紹介で地元・山口県下関市に本社のある住宅設備会社の面接を受け、採用が決まる。尚、それまでは、夜にラーメン店、昼にコンビニでアルバイトしていた。
(矢野はこの会社の採用面接の際に「これからの時代は太陽光発電だ」と熱い思いを語っていたという。大人しいという周囲の印象とは裏腹に、弁の立つ様子が窺える)
同年5月より、同社に入社。益田営業所に配属される。これに伴い島根県へ転居。仕事はソーラーパネルの営業であった。
矢野の営業成績は優秀で、1件数百万円にもなる高額な契約を数か月で6件受注するなど、会社に大きく貢献していた。面接時もそうだが、営業で(ましてや高額な)これだけの結果を出せるということは、間違いなく言葉は巧みであり、人当たりは良いはずである。
(筆者は矢野のコミュニケーション能力が高かったと推察している)
こうした営業成績をはじめとした矢野の仕事ぶりから、当時の矢野は”一人支店長”のような位置づけであったといわれている。すると入社から間もないながらも、”仕事を任せられる”とその信頼は厚かったと推察できる。
尚、入社後の住まいは、会社が借り上げた賃貸物件。2階建ての一軒家であった。
ラーメン店アルバイト時代 女性従業員の証言
営業マン時代 上司の証言
ちなみに、後に被害者となる都さんが住んでいた浜田市でも矢野は営業活動を行っていた―。
1976年、山口県下関市神田町の米穀店を営む家庭に生まれる。家族構成は父親、母親、弟、矢野の4人家族。父は2008年に死去。
米穀店は矢野の祖父母の代から続くもの。この店は後にたたまれ、それからは母親がクリーニング店を営んでいた。
2011年には、矢野の弟が実家の建て替えと併せて美容院を開いた。(美容院店舗は住宅と併設)
建て替え前の矢野の実家
2016年の夏頃―、
この頃から弟夫婦が住む矢野の実家には、捜査員が頻繁に訪れるようになっていた。
そして弟の美容院は、矢野が被疑者となったことが明るみになる少し前に閉店。その後、弟は消息不明。この件で弟家族に何が起きたかは分かっていない。
「下関市立神田小学校」に通う。
神田小学校
【神田小学校】
下関市内には同名の「神田小学校」が2校存在した。通常、これはあり得ないことであるが、市町村の合併によって実現してしまった。
“矢野が通っていた神田小学校”の出身者には、俳優の松田 優作がいる。2017年、他校に統合されて廃校となった。
中学校は「下関市立向洋中学校」に通う。
矢野は成績優秀、スポーツも得意。部活は陸上部に所属し、中距離をやっていた。3年生のときには部長を務め、リーダーシップもあった。
また端正なその顔立ちから、いわゆる”イケメン優等生”であったといわれている。性格は真面目で引っ込み思案、とりわけ女性と話すのは苦手であったという。
向洋中学校
同級生の声
福岡県北九州市門司区にある私立の進学校「鎮西敬愛高等学校(現・敬愛高等学校)」へ進学。そこでは特進クラス。理系であったという。
中学校同様、高校でも陸上部に入部。また矢野には柔道経験があり、黒帯の腕前であった。
イケメンで学業優秀、スポーツ万能。まさに文武両道といえる中高時代の矢野であったが、学校では目立たない存在であったといわれている。
敬愛高等学校 (北九州市)
同級生の声
担任の声
矢野は1年浪人し、国立の九州工業大学に進学。実は現役で防衛大学校に合格していたが、ここには進学しなかった。
せっかく進学した国立大学であったが、入学後にはバンド活動にのめり込むようになる。そのためか、やがて勉学が疎かになり、遊びにも明け暮れるようになる。
また、それまで女性が苦手な矢野であったが、この頃にはナンパをするようにもなり、まるで人が変わったかのようであった。
結局、矢野は大学を中退することになる。
九州工業大学
大学を辞めた矢野は地元・下関へ戻り、フリーターをしながらバンド活動を開始。ライブも定期的に行っていた。
尚、よく出入りしていたライブハウスのオーナーには、「バンドに打ち込むために大学を辞めた」と語っていたというが、真相は分からない。
ライブハウス オーナーの声
矢野はバンドでドラムを担当。
ドラマーとしての周囲の評価は高く、ドラム演奏は上手かったといわれている。また、矢野はピアノも弾けたという。
(尚、一部で”矢野がインディーズデビューしていた”との情報もあるが、これは定かではない)
やがてバンドメンバーとの関係が悪化し、矢野はバンドを脱退。それに伴い、新たな音楽活動の環境を求めて上京。
ところがその後、「局所性ジストニア」を発症(25歳頃といわれている)。これにより、矢野は音楽の道を諦める。
そして、アルバイト生活を経た後、ソーラーパネルの営業マンとなった。
【局所性ジストニア】
別称:「フォーカルジストニア」。
同じ動作を繰り返し続けることで発症する神経疾患。
筋肉がこわばり、手や指などが思うように動かせなくなる。ピアニスト、ギタリスト、ドラマーなど、ミュージシャンに多くみられる。
筆者:ズボンスキ
局所性ジストニアを発症するほどですから、矢野はドラムに相当打ち込んでいたことが窺えます。かなり上手かったのではないかと。
バンドがデビューしたという噂も信憑性が高そうですね。
実は矢野、本事件を起こす5年前の2004年、路上の女性を刃物で脅してわいせつ行為に及ぼうとし、女性に怪我を負わせる3つの事件を起こしていた。
矢野は一連の犯行により逮捕・起訴され、懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けていた。
【3つの事件】
一連の事件は福岡県北九州市や東京都杉並区で起こした。杉並区の事件に関しては、わずか15分の間に2人の女性を襲ったといわれている。
これら3つの事件は入念に計画されたものではなく、衝動的なものであったという。
都さんが被害者となった本事件においても、矢野と都さんに接点はなかったことからその衝動性が窺える。また、衝動性の裏返しともいえる計画性のなさも露呈している。
それは損壊した都さんの遺体を臥龍山の山中に埋めずに、置いていたことが裏付けている。
(後述:「事件の謎 ① 矢野はなぜ遺体を埋めなかったのか」にて)
ちなみに本事件において、都さんが行方不明となった2009年の10月26日 月曜日、矢野は仕事が休みであった。
(翌日は仕事。そのため、矢野はこの日、都さんを拉致・殺害したと本記事では推察)
その子ども時代から周囲が持つ、「真面目」「大人しい」という矢野の人物像―。
勉強にスポーツ、音楽、仕事。何をさせても優れている万能な”デキる男”。そんな矢野の中から、周囲が知らない異常な欲望が見え隠れする。
2009年の事件当時―、
国内で流行していたSNS「mixi (ミクシィ)」。
そのmixi内で矢野は「dr.よしゆき」と名乗り、プロフィール写真には髪を茶色に染めた自身の横顔を掲載していた。さらに、プロフィール欄には以下のような自己紹介文が書かれていた。
「とりあえず、なんでもいい。メッセージをくれ。話はそれからだ!!」
さらに、警告として次のことも書かれていた。
「来る者は拒まず、去る者は地獄の果てまで追っていきます。声をかける際は心してください」
思わずゾクッとするような、粘着質なパーソナリティーが窺える。
また、プロフィール欄で自身の好きな本として以下を挙げている。
いずれもダン・ブラウンの作品で、グロテスクな描写が出てくる。
mixiで矢野は主に仕事や趣味、音楽のことについて書き込んでいた。
以下はmixiに掲載されていた原文。
dr.よしゆき 2009年04月15日 05:23
「はじめまして。7年前から左手にジストニアを患っています。書痙と診断されておりましたが、こちらのコミュを見て、フォーカルジストニアって言うんだなと思いました。症状はドラムを叩くとき、ピアノを弾くときなどに現れ、左手を使う楽器全般の演奏が困難な状態です。最近まであきらめモードに入っておりましたが、思うところがあり、治療(まずは病院探しから)を再開しようかなと考えております。よろしくお願いします」
そのほか、出会いを求めるような書き込みもあった。
「恋人募集中です」
「出会い目的の方もいらっしゃいな★」
実はmixiで矢野と知り合い、実際に矢野と会ったという女性がいる。矢野と同じ益田市に住む女性だった。
女性によると、当時の矢野は丸刈りに近い短髪。また明るくよく喋るネット上の矢野とは違い、実際の矢野はあまり喋らなかったという。
ちなみに女性が矢野と会ったのは、都さんが行方不明となった2009年の10月のことである(恐らく本事件以前)。つまり、一歩間違えれば、この女性が被害者となっていたことも考えられる。
そのほか、自身の亡き父親に言及する書き込みも。(2009年8月13日の書き込み)
「島根から2か月半ぶりに帰郷してみると、今年は親父の初盆という事で、仏壇の周りが花とか提灯で仰々しく飾り立てられてて驚きました。 夕方には墓参りをしたり、愛犬コー太を散歩に連れて行きました。久しぶりの俺との散歩で興奮しまくってました」
仕事に関する書き込みも。
「太陽光発電システムの設置に協力してくれる家庭を探して、毎日そこらじゅうをゾンビのごとく徘徊してます」
「歩く時に屋根ばかり見るクセがつきました」
「今日、やっと1本契約取れた♪」
矢野の最後の書き込みは2009年11月1日19時28分 (都さんの行方不明から6日後)。
「一般家庭の消費電力について調べています」
このように、最後の書き込みからは事件を窺わせるような記述は一切なかった。尚、矢野のmixiアカウントは2016年12月19日に削除されている。
都さんの遺体は、肋骨がみえるほどに乳房がえぐり取られ、性別の判別ができないほどに性器が切り刻まれていた。さらに、腹部から内臓が抜き取られ、太ももは上部の肉が削ぎ落とされ、足首は関節を外してから切断されていた。
頭部はうっ血して目は充血、首の辺りには掻きむしったような痕跡がみられたことにより、都さんは絞殺されたと断定。
遺体には一部焼かれた痕跡もあった。遺体の損壊は主に刃物によるものであったが、矢野は切ったりえぐるだけでは物足りず、焼くことでも自身の嗜虐性を満たしていた。
遺体の様子
矢野に対する様々な憶測があります。
その代表的なものは、”在日韓国人説”―、
これが持ち上がった主な理由は、矢野の名前です。「富栄」で”よしはる”。普通は読めません。
この「富栄」は、韓国ではメジャーな名前です。韓国のウリ党の議長に李 富栄(イ・ブヨン)という議長がいました。また、韓国には「富栄グループ」という大企業もあります。
もうひとつの理由は、在日韓国人の方々が多くいるという下関の土地柄であると思われます。
ちなみに、かの有名な作家・太宰 治には山崎 富栄(やまざき とみえ)という美しい愛人がいました。最期は太宰と一緒に入水自殺した人です。
もしかしたら矢野のご両親は太宰 治のファンで、矢野に富栄と名付けたのかもしれないじゃないですか。
そもそも―、
矢野が在日韓国人であろうとなんであろうと、それは事件とは関係ありません。
矢野は残忍な犯罪者ですが、それとこれは別。偏見や差別はやめましょう。
本事件の謎—、その真相について。事件の結末は完結編となる【パート4】にて。
矢野の実家・弟の美容院所在地
〒750-0044 山口県下関市神田町1丁目1-12
弟によって建て替えられた矢野の実家と美容院
(住宅と店舗は内部で繋がっていると思われる)
※現在、Google マップのストリートビューで矢野の実家を見ることはできません。モザイク処理が施されています。(2020年8月現在)
店の名前は『calle』―、
これは「カジェ」と読み、スペイン語で「通り」の意味を持つ。”髪と肌に優しい自然派サロン”をコンセプトにしていたようだ。
下関市の長閑な住宅街の中、ひときわ目立つオシャレなスポットであった。
さまざまなクリエイターに店舗スペースを提供し、雑貨展を開くなどしていた
弟の美容院は、若い女性を中心に愛された人気の美容院であったことが窺える。
口コミサイトでも軒並み好評であった