安室奈美恵実母殺害事件 -2-

これは『安室奈美恵実母殺害事件』に関する記事の【パート2です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

安室奈美恵実母殺害事件 -1-


 

事件の解説 (時系列でみる事件当時の様子)

【事件当日】3月17日

1999年3月17日、この日は安室 奈美恵の復帰後初のシングル「RESPECT the POWER OF LOVE」の発売日。朝の情報番組などではこれを取り上げ、解禁されたばかりのミュージックビデオが流されていた。

一方、現地の沖縄では―、

10:40

大宜味村喜如嘉(きじょか)の路上で、恵美子さんと夫・辰信さんが道路の反対側へ渡ろうと横断歩道を歩いていた。このとき2人は並んでおらず、恵美子さんが先を行く形で歩いていた。そこへ突如、謙二(辰信さんの弟)の運転する車が現れ、恵美子さんを轢いた。
突然の事態に驚いた辰信さんが恵美子さんに駆け寄ろうとすると、謙二は車をUターンさせて辰信さんめがけて突進。辰信さんはボンネット上に飛び込んでなんとかこれを回避するも、衝突の衝撃で軽傷を負う。
そして車は再びUターンしてくる様子であったため、辰信さんは恵美子さんを電柱の陰まで運んで避難させた。すると謙二は車を降り、鉈(なた)を持って襲い掛かってきたため、辰信さんは近くに落ちていた鉄パイプで応戦。

ちょうどこの頃、事態に気付いた周辺住民らが集まり、現場はパニックに。人が集まってきたことで謙二は車に乗り込み、逃走した。

10:47

救急隊が到着。このとき恵美子さんは既に心肺停止状態。病院へ搬送される。

10:50

現場からの通報を受け、沖縄県警本部と各署は広域捜査の方針を打ち立てる。150名の捜査態勢を敷き、山狩りを実施。

11:17

恵美子さんと辰信さんが病院に到着。念のため、軽傷であった辰信さんも一緒に入院。

11:48

恵美子さん死亡が確認される。

12:20

この頃には事件の第一報が関係者やマスコミに届くが、事実関係が定かではなかったために、情報が錯綜する。
この日、自身が出演の新CM
イベントを14時に控えていた奈美恵は、このときすでに会場入りしていた。そこで事件のことがマネージャーを介して奈美恵の耳に入るが、「お母さんが事故に遭ったらしい」とワンクッション置く形で、ここではあくまで”事故”というニュアンスで伝えられた。これを聞いた奈美恵は動揺、慌てて姉に電話をかけるも繋がらず、母親の安否がはっきりしない状況に焦りと苛立ちを隠せない様子をみせた。

13:10

関係者から奈美恵に事実がようやく知らされると同時に、事件を知ったマスコミが会場に殺到。事件発生と会場の混乱から、主催者は急遽イベントの中止を発表。

13:30

奈美恵の所属事務所に報道陣が殺到。事態を受けて、事務所専務が対応に当たる。
奈美恵は沖縄へ向かうためにすべての仕事をキャンセルするも、このとき春の旅行シーズンであったために、当日航空券の確保は困難を極めた。

13:45

現地沖縄では、捜査員が事件現場から5km地点の山中で謙二の車を発見。同時に車内で意識不明の謙二を確認、病院へ搬送した。車内からは殺虫剤の粉末などが見つかった。

14:50

奈美恵が沖縄行きの航空券を確保。この情報をキャッチしたマスコミが羽田空港に集まりだす。

15:30

スポーツ新聞各紙(日刊スポーツ、スポーツ報知、スポーツニッポン)が都内各所で事件に関する号外を配布。

15:40

奈美恵が夫のSAM(当時)と共に羽田空港に到着。
このとき待ち構えていた150人以上にも及ぶマスコミ、さらには空港内の騒ぎで集まった野次馬でごった返す。押し寄せる人の圧力と、憔悴により足元がおぼつかないことで転倒しながらも、奈美恵は搭乗手続きへ。そして悲しみを堪えきれず、泣きじゃくりながら手続きを済ませた。

15:55

奈美恵とSAMが飛行機に搭乗。
ところが彼女に密着するマスコミ関係者も多数搭乗したために、奈美恵の心情に配慮した航空会社側が異例の機内アナウンス。取材の自重を促す。そのため機内でインタビューなどの取材をする者は現れなかったが、某媒体の記者が小型カメラで奈美恵を盗撮。
(その映像は後にテレビで放送された)

16:10

沖縄の病院で謙二の死亡が確認される。死因は殺虫剤「メソミルを経口投与したことによる服毒。後に警察は自殺と断定した。

18:50

奈美恵とSAMを乗せた飛行機が那覇空港に到着。
すでに到着ロビーは多くのマスコミと野次馬で溢れかえっており、2人がそこへ姿を現せば混乱は必至の状況であった。そのため、2人は関係者通用口から空港の外へ出て車に乗り込む。
2人を乗せた車はパトカーに先導され、事件の管轄である名護署へ向かった。

20:03

2人が名護署に到着。
奈美恵は霊安室に安置された恵美子さんと対面。そして5分ほどで退室した後、別室にて事件の詳細が伝えられた。事件に関する詳しい説明を受けている約25分の間、奈美恵は終始無言であった。

20:40

警察署から市内のホテルへ向かう。

 

【通夜】3月18日

事件当時のテレビ報道
(「ナイスデイ」:フジテレビ)

事件から一夜明け、県警と所轄の名護署は被疑者死亡の上で謙二を殺人・殺人未遂罪で書類送検した。

10:30

沖縄県内の大学にて恵美子さんの司法解剖が行われ、死因は頭部を強くぶつけたことによる「外傷性くも膜下出血」と判明。後に恵美子さんの死因が警察発表によって世間に伝えられた。

13:00

奈美恵とSAMは宿泊先のホテルを出発。

14:05

通夜が行われる実家に2人が到着。悲痛のあまり前の晩に一睡もできなかった奈美恵の顔は憔悴。
実家前には関係スタッフや警備員が多数配置されたほか、報道陣は実家から50m以内立ち入り禁止という厳戒態勢の中で営まれた。

15:50

恵美子さんの棺が実家に到着。そして夫の辰信さんも実家にやってくる。スタッフは当初、辰信さんには奈美恵との対面は遠慮してもらうつもりであったが、実家の前で悲しむ辰信さんの姿を目にした奈美恵が辰信さんを家の中へ招いた。

18:00

通夜がはじまる。

19:15

奈美恵とSAMが実家を後にする。

19:20

奈美恵の盟友であるMAXが那覇空港に到着。

20:10

MAXの一同が実家を訪れる。

 

【出棺】3月19日

14:10

恵美子さんの棺が実家を出て火葬場へ向かう。

14:30

奈美恵とSAMが先んじて市内の火葬場に到着。このときマスコミは完全にシャットアウトした。

15:10

恵美子さんの棺が火葬場に到着。
棺が前室に入り、やがて火葬炉の扉が閉まる。すると奈美恵は全身の力が抜けたようになり、SAMにもたれかかった。
遺体を焼く間、奈美恵は一旦火葬場を離れる。再び戻ってきたときには恵美子さんは遺骨になっており、その姿をみて奈美恵は涙を流した。

18:25

遺骨が実家に戻る。

 

【告別式】3月20日

この日の告別式は14時に予定されており、式場には朝から多数のマスコミや野次馬が会場前に詰めかけた。

12:20

実家から会場に遺骨が到着。

12:40

奈美恵とSAMを乗せた車が会場に到着。

13:40~15:00

告別式で奈美恵はSAMと向かい合わせに座り、ハンカチを握りしめながら無表情で悲しみを堪えていた。その一方で式中、隣で終始泣いていた姉を気遣う一幕もあり、気丈に振舞う様子が窺えた。式には奈美恵の共同制作者である音楽プロデューサー・小室 哲哉のほか、奈美恵の実父も参列。
式が終わると奈美恵とSAMは足早に会場を後にした。

奈美恵の隣で終始涙する姉のミキさん

17:00

事件の被害者であり、亡くなった恵美子さんの夫、また犯人・謙二の兄でもある辰信さんが市内のホテルで会見を開く。
辰信さんはこの会見の中で、奈美恵やその兄姉に対して涙ながらに陳謝した。

 

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犯行動機

本事件の犯人・謙二は、事件の約3年前から40代女性と交際していたが、これを恵美子さん夫妻に猛反対されていた。そのため、これを巡って恵美子さん・辰信さんと謙二の間には喧嘩が絶えなかった。
この状況に嫌気が差した交際女性は謙二から離れていくことになるが、それが恵美子さんらが反対したことによると勘違いした謙二は、2人の殺害を画策。
つまり謙二が2人を襲い、結果として恵美子さんを殺害したのは、自分の恋愛を邪魔されたことによる逆恨みがその犯行動機であった。

 

これが当時、警察発表によって世間に伝えられた謙二の犯行動機である。しかし筆者は、このほかにも謙二が2人を襲うに至った動機があると考える。それは、金。
というのも、謙二には消費者金融に借金があり、かつて恵美子さんにも「金を貸してほしい」と頼み込んでいたがこれを断られている。

恵美子さんの娘は国民的歌姫である安室奈美恵。その彼女から母である恵美子さんに金銭的支援があろうことは、誰もが想像できること。謙二にしてみれば、恵美子さんは金持ちの義姉というように映っていたのだろう。しかし借金の申し込みを拒否されたことで、“金はあるのに、貸してくれない”と謙二が恵美子さんに対して不満を抱いた可能性は極めて高い。
そもそも、恵美子さんと辰信さんが謙二の交際について猛反対していたのは、謙二の経済状況によるものが大きいといわれている。
謙二の交際に対する反対―、
これは正確に言えば、交際女性と結婚するつもりであった謙二に対して、「借金があるのだから止めた方がいい」というものであった。要するに、
本事件を引き起こした根本的な要因は金
往々にしてこうした事件には金銭が絡むが、本事件においてもそれは例外ではなかったというわけである。

恵美子さんと実兄を襲った平良 謙二

 

事件後の動き

報道により事件が世間に知れ渡ると、奈美恵の所属事務所には多くの励ましの手紙が届き、ホームページには同様のメールが多数送られた。

3月20日

事件から3日後となるこの日に放送された「ポップジャム」(NHK)では、本事件の発生を受けて奈美恵の出演部分がカットされた。

3月25日

事件後初となる奈美恵のコメントがFAXにて、マスコミや関係各所に向けて送信される。

「遺族・兄・姉とも話し合い、与えられた仕事を頑張ること、それが母の願いではないかと受け止めております」(一部抜粋)

その胸中を短い文章で綴った。
送信されたFAXは2,000通に及んだともいわれている。

3月27日

事件の影響で一時休止していたアサヒ飲料「nice One」のテレビコマーシャルが解禁される。

3月29日

この日に収録・放送された「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」(フジテレビ)の生放送スペシャルに出演。事件後初のテレビ出演であったこともあり、奈美恵が登場すると会場の観客から大声援が贈られた。
そしてこの出演で奈美恵は、新曲「RESPECT the POWER OF LOVE」を歌い切った。

5月4日

恵美子さんの四十九日が沖縄の実家で行われる。
奈美恵は自身の出席でマスコミが押し寄せることを考慮し、これを欠席した。

 

おわりに

奇しくも再婚相手の弟に殺されてしまった恵美子さん。48歳の若さでした。
娘の安室 奈美恵はこのときまだ21歳。彼女は夫であったSAMさんや家族、ファンをはじめとした周囲の人たちに支えられてその悲しみを見事に乗り越えました。
とはいえ、ときにはひとりで思い悩むこともあった彼女。そんなとき、まだ幼かった息子さんの笑顔に救われたといいます。
そしてまた彼女は事件後、左腕にタトゥーを施しています。

JUN,30 in 1950
My mother’s love lives with me
Eternally in my heart
R.I.P
MAR,17 in 1999

1950年6月30日 (恵美子さんの生年月日)
母の愛は私と共に生きている
私の心の中で永遠に
安らかに眠れ
1999年3月17日

このタトゥーの下には「HARUTO」と、息子さんの名前も。
何らかの理由により、これらのタトゥーは既に除去済みですが、彼女の支えのひとつであったことは間違いないでしょう。

 

事件から約20年―、
日本を代表する歌手として、第一線で活躍し続けてきた安室 奈美恵。2018年に引退して芸能界を去った今も尚、多くの人々に愛されています。

華やかな歌姫、その裏には底知れぬ悲しみを抱えたひとりの女性の姿があったのです。

オラクルベリー・ズボンスキ(小野 天平)

 

【メソミル】

野菜畑において、害虫対策として利用される。鮮やかな青色と硫黄臭が特徴。
メソミルでの自殺は、除草剤「パラコート」に次いで多い。ヒトの致死量は体重50kgで約1.3g。

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【MAX】
:まっくす


日本の4人組・女性ダンスグループ。
安室 奈美恵と同じ「沖縄アクターズスクール」出身。またかつては、同事務所発足のダンスアイドルグループ『SUPER MONKEY’S』(後に「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」へ改名)で共に活動していた。その後それぞれに「安室 奈美恵」「MAX」で独立。

“出身”が同じ両者であるだけに、互いに姉妹的存在として挙げられる。一般にMAXは安室 奈美恵の盟友(テレビでも”親友”と報道された)とされているが、両者の間には確執があるともいわれている。
事件当時、真っ先に通夜会場へ駆けつけた彼女らであったが、その時点での安室との関係性は分からない。

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