市川一家4人殺害事件 -3-

これは『市川一家4人殺害事件』に関する記事の【パート3です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

市川一家4人殺害事件 -1-

市川一家4人殺害事件 -2-


 

事件の解説

解き放たれた欲望の化身

家庭内暴力に耐えかねた母・Yは関を別居させることに。

そして―、
1991年6月
、Yは費用60万円ほどを投じて、千葉県船橋市本中山のアパートに関をひとり住まわせた。

 

息子の暴力から解放されたY―、
その一方で、ひとり放たれた関自身は近隣住民とのトラブルを頻発させていた。

関がひとり暮らししていた本中山のアパートは、中山競馬場の近く。「下総中山駅」から徒歩5分の駅近物件。家賃は10万1,000円。
18歳の無職が毎月この家賃を払えるはずもなく、この年の秋には家賃滞納。結局、Yがそれからの家賃を支払うことに。
恐らく関は家賃を含む生活費をYから受け取っていたとみられるが、関がこれを家賃に回すはずもなく、遊びの金に使っていたことは容易に想像できる。

下総中山駅 (しもうさなかやま)
北口 (2019年12月撮影)

 

お払い箱同然に千葉県のアパートに放られた関であったが、ひとり暮らしとなったことでやりたい放題できるようになっていた。
その中で関は、兼ねてより出入りしていたフィリピンパブに足繁く通うようになる。一方で、交際女性との同棲生活を始めては破綻、始めては破綻を繰り返していた。
結局、関は同棲生活を3人の女性相手に試みたが、いずれも1か月ほどの短期間で相手が部屋を去っていった。これらすべての原因が暴力であった。

 

悪夢へのカウントダウン

1991年10月19日 16時50頃、関は車で東京都江戸川区上篠崎の道路を走行していた。
そしてこのとき関は、前を走っていた車両の速度が遅いことに腹を立てる。煽り運転の末、赤信号で停止した車両の元へ駆け寄り、「ノロノロ走りやがって」と怒鳴りつけた。
さらには、開いていた運転席側の窓から手を突っ込み、エンジンキーを回してエンジンを停止させる。それから運転手の男性(当時34歳)を降ろし、顔面を何度も殴った。それだけに留まらず関は、そこからすぐ近くにあった祖父・Gの店の支店へ連れ込み、厨房に置かれていた焼き台用の鉄の棒(長さ約112cm)で男性に暴行を加えた。

これにより男性は、頭部・胸部・左ひじへの打撲や挫創の怪我を負った(全治3週間 / 傷害罪)。

【関の愛車】
関は1991年2月、18歳で転免許証を取得。この翌月にトヨタの高級車「クラウン・ロイヤルサルーン」を433万円で購入。
この購入は頭金50万円の4年ローン(48回払い)によるもので、関はこの頭金をそれまで乗っていたバイクの売却で得た金と、アルバイトで貯めた金で支払った。
しかし結局、このローンもアパートの家賃同様に支払いが滞り、Yがこれを代わりに支払うようになっていた。

当時のトヨタ「クラウン」の一例

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結婚

執拗に同棲生活を試みてはそれを反故にする関であったが、あるとき馴染みのフィリピンパブでひとりのホステスと知り合う。
やがてこれが恋愛関係に発展し、2人の交際がはじまった。

【関と交際のホステス】
名前はエリザベス。フィリピン国籍の当時21歳。1970年10月29日生まれ。
“東南アジア最大のスラム街”といわれる首都マニラの貧困地区「トンド」出身。

関によれば、交際のきっかけはこのホステスからのアプローチ。
交際開始後、一方的に求婚されていた関はこれを永住権目的であると考えていたため、結婚する意志はみせなかった。しかしそれでも尚、懇願する必死な姿をみた関は根負け、彼女との結婚を決意した。“家事が上手で献身的”という部分を評価したという。

 

フィリピン人ホステスとの結婚を決意した関に対して、両親は猛反対。ところが関はこれを無視して1991年10月31日に結婚。結婚後は同アパートで妻と暮らした。

関の両親は”フィリピン人ホステスとの結婚”を反対していたのではなく、”結婚”を反対していた。当然である。

 

そしてまだ結婚から間もない1992年1月22日
妻は「病気の姉の様子を見に行ってくる」と単身フィリピンへ帰国。これに了承した関は妻を見送ったが、
そのまま妻が帰ってくることはなかった。

【妻の逃亡】
これは間違いなく、関の暴力が原因。そしてまた、結婚前の関自身が考えていたように、妻の結婚の目的は長期滞在や永住権であったと筆者も考える。
結婚の動機は何にせよ、彼女がその結婚生活に耐えきれなくなったことは明白。

 

その後妻の逃亡を悟った関は、鬱屈した気分に陥る。そこで”新しい女を引っ張り込もう”と画策。

これこそが、本事件の火種となる―。

 

暴走

妻に逃げられたことでその暴走を加速させた関は1992年2月上旬、夜更けにGの店に赴き、窓ガラスを割って侵入。
実はこの頃、Gは関から危害を加えられることを避けるため、店に寝泊まりしていた。これを知っていた関は就寝中であったGを無理やり起こし、売上金120万円を強奪した。

そして2月下旬には、親戚宅に合い鍵で侵入し、従兄弟(当時高校3年生)の大学進学準備金110万円を盗む
被害に遭った親戚は、合い鍵で侵入されたことから犯人が関であることを確信。その上で被害届を提出した。
これに乗じて、同様の被害に遭っていたGも弁護士を伴い刑事告訴に向けて動くも、管轄の市川警察署がこれに取り合うことをしなかった。

【本事件の分岐点】
2月に起きたこれら2つの事件―、
所轄の市川署が真摯に対応していれば、関の逮捕は間違いなくできていたはずである。逮捕さえできれば、その犯行の状況から関を少年院送りにできたことは間違いない。となれば、関を社会から隔離できていたわけで、その後に起きる凄惨な事件を回避できていたかもしれない。

 


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