市川一家4人殺害事件 -6-

これは『市川一家4人殺害事件』に関する記事の【パート6です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

市川一家4人殺害事件 -1-

市川一家4人殺害事件 -2-

市川一家4人殺害事件 -3-

市川一家4人殺害事件 -4-

市川一家4人殺害事件 -5-


 

事件の解説

まるで憑りつかれたように恐喝を繰り返していた関であったが、暴力団組長から要求の200万円はほど遠い。そして自分を追う暴力団、その脅威に怯える日々の重圧。焦燥感と恐怖感に苛まれた関は、いよいよ強盗を画策する。
当初、パチンコ店の強盗を考えていた関であったが、ふと過去の出来事が頭によぎる。
それは―、

女子高生の少女に対する強姦事件(2月12日)

関は彼女の住所を知っている―。

 

本事件発生 (1992年3月5日)

かつて強姦した少女宅への強盗、その決行日

この日の事前準備として―、

少女宅に”午前中と午後”というように時間を変えて電話をかけ、在宅状況を探っていた関。これで「午後は留守、もしくは老女がひとりでいる」と把握していた。
さらに関は、2月下旬と3月1日の二度にわたって少女の住むマンションへ赴き、少女宅の806号室前まで行っている。
また、マンション1階のエントランスに防犯カメラが設置されていることを確認していた。

【関がかつて強姦した少女】
1976年(昭和51年)3月19日生まれ。
事件当時15歳。千葉県船橋市内の県立高校に通う高校1年生。
本記事では以後の表記をNとする

 

1992年3月5日(木)、この時点ですでに所持金がほとんどなかった関は、朝からゲームセンターやパチンコ店で時間を潰していた。それから中華料理店で遅めの昼食。
そしていよいよ決行の覚悟を固めた関は、現場マンションへと向かう。このとき関が考えていたことは―、

預金通帳・貴金属類・現金の窃取」
(侵入してもそこに現金200万円があるとは思わなかった関は、第一に預金通帳、次に貴金属類という優先順位をつけていた)

「ついでにNを強姦

これらが達成目標であった。

【現場マンションについて】
千葉県市川市幸2丁目の新興住宅街に立つ9階建て。
営団地下鉄(現・東京メトロ)東西線「行徳駅」から南東に約1.5kmの地点。首都高速道路湾岸線千鳥町出入り口付近。東京湾に面した立地。

 

現場マンション―、
実はその周辺には関の祖父・Gの家があったため、関には現場一帯の土地勘があった。周辺には高級マンションがあり、関もそれを知っていたが、そちらには目もくれなかった。

通常、金品の窃取をすることを考えれば、高級マンションを狙うのが合理的。その中で敢えて関がN宅に決めた理由は、Nの強姦。これが大きい。
確かに大きな収穫が期待できる高級マンションではあるが、セキュリティが強固。このとき焦っていた関は、ハイリスクで大きな収穫を狙うよりも、確実性を優先したと考えられる。
なにより関にしてみれば、当面の200万円が手に入れば御の字。現場マンションをみれば、そこに住まう住人から200万円出てくるであろうことは想像できた。

 

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決行

16時、車で現場マンション付近までやってきた関は、公衆電話からN宅に電話をかける。すると応答がなかったため、関は留守であると考えた。関は車をマンション前の公園脇に停め、足早に建物内へと向かった。

 

現場マンション―、

1階エントランスの防犯カメラを避けるため、まずは外階段で2階へ。
2階からエレベーターで8階まで上がる。

この日は木曜日。平日の夕方とあれば帰宅の時間帯であるが、このとき関は車から8階に行くまでの間に誰ともすれ違うことはなかった。

 

そしてNの自宅である「806号室」前に着くと、関はためらうことなくインターホンを鳴らした。やはりここでも応答がなかったため、関は留守を確信。

留守の806号室。問題はいかにして侵入するかであるが、まずは試しに玄関ドアのノブを回してみる―、するとドアは開いた。
留守を確信していただけに関は、人がいたということに驚いてその場からすぐに逃げ去った。
ところが関はこれで決行の中止とはせず、8階エレベーター横の階段に座って806号室の様子を20分に渡り窺い続けた。この間に806号室から人が出てくることがなかったため、関は留守の無施錠と判断。再び806号室へ向かい、ドアを開けて室内へ入った。

ここで万が一、室内に誰かがいたとしても、Nの友人を装ってごまかそうと考えていた。

 

暗い室内―、
806号室に侵入した直後、
関は改めて留守と確信。
ところが次の瞬間、テレビの音がすることに気が付く。それは玄関脇の北側洋室からであり、関は警戒しながらそっと室内を覗いた。
するとそこにはテレビを点けたまま眠っているNの祖母の姿が―。

Nの祖母 K


1908年(明治41年)7月4日生まれ。事件当時83歳。Nの父・A(後出)の実母。
高齢のため、散歩に出るとき以外は自室で過ごすことがほとんどであった。

 

空き巣を想定していた関であったが、ここで居空きにシフト。
そして関は自分の靴をバルコニーに隠した後、リビングを物色して預金通帳・貴金類・現金を探した。ところがそうしたものは見つからず、夕方という時間帯を考えると、そうしている間にも家族が帰宅してくるリスクが高まっていた。
そこで関は洋室で眠っているKの恐喝を決意。それは”年寄りひとり相手なら負けるはずがない”という短絡的かつ卑劣な思考に基づくものであり、居空きが強盗に変わった瞬間であった。

・空き巣  留守時に侵入
・居空き  在宅時に侵入
・忍び込み 就寝時に侵入

 

洋室に踏み込んだ関は、そこで眠っていたKを蹴り上げて無理やりに起こす。
目を覚ましたKは、
見ず知らずの男が目の前にいることに驚き、状況を把握することが困難な状態であった。
そんなKを相手に関は預金通帳・現金を出すよう凄むも、Kは毅然とした態度で対応。財布の中の8万円を差し出し、そして帰るよう促した。さらにKは、”用は済んだ”とばかりに退出しようとする。
その状況に臆せず至って冷静なKの態度、これに関は”バカにされた”と逆上。Kの襟首を掴んで退出を制し、再び預金通帳を要求。しかしそれでもKは頑なに応じることはしなかった。
そんな中、このとき尿意を覚えていた関は、Kに「通帳を用意しておけ」と言い置いてトイレへ―、

関がトイレから洋室へ戻ると、Kがいない。
そこでKを探しにリビングへ行くと、まさにKが受話器を取り上げ、110番通報するところであった。それはさせまいと関はKに体当たり、仰向けの状態で突き倒されたKはこれで手足を骨折。重傷を負った。(右尺骨および右脛骨の離開骨折)
馬乗りになった関はKに殴りかかろうとすると、Kは関の顔面に唾を吐きかけ抵抗。これに激昂した関はKの髪の毛を鷲掴みにして、頭を床に激しく何度も叩きつけた。
それでも尚、関の顔面を引っ掻くなど抵抗を続けるKの態度に、関の中で何かがはじけた。

関は近くにあった電気コードを抜き取り、これをKの首に巻きつけ、そして絞め上げた。
ほどなくして事切れたと思った関が力を緩めると、Kが起き上がろうとしたため、今度は自らの両手でKの首を数分間絞めた。

次に関がその両手を解いたとき、Kが起き上がってくることはなかった。(窒息死)

【プレイバック】
それまで幾度となく傷害事件を起こしていた関であったが、それでも人を殺すということまではしなかった。これは関の中に一片の理性があったといえる。

関が事件を起こすときにはいつだって激昂が伴っていたが、このK殺害時にもやはり関は激昂している。ではなぜ、関はこのとき殺害という一線を越えてしまったのか。
それは―、

“Kは関の顔面に唾を吐きかけ抵抗”

これこそが、K殺害の引き金であったと筆者は確信している。なぜなら、関は重度の潔癖症であったからである。事実、関はK殺害直後、”とうとう人を殺してしまった”という思いよりも、顔面に唾を吐かれたことに対する不快感や憤りを強く感じていた。
通常、はじめて人を殺した人間は、動揺したりその場から逃走したりするものであるが、関は真っ先に洗面所へ向かっている。そしてそこで顔はもちろん頭髪、首、手などを執拗に洗い続けた。いつ家族が帰ってくるかも分からない状況でだ。

 

Kの死亡を確認した関は―、
その遺体を引きずってKの部屋まで運び、そして敷かれていた布団に”寝かせた”。

これは家族が帰宅した際に、Kが就寝中であると思わせるための偽装工作。少しでもK死亡の発覚を遅らせる狙いがあった。

 

Kの殺害・偽装工作を済ませた関は、ここで一旦外出。現場マンション付近にある自動販売機でタバコとジュースを購入。ジュースは数本余分に購入した。

ジュースを余分に買ったのは、その後も806号室に居座るつもりであったから。

 

30分ほど外で休憩した関は、再び806号室へ戻る。
そしてKの遺体のある洋室内を物色し、殺害前にKが8万円を取り出した財布の中から10万円を見つけ、これを窃取。
それから居間も物色し、見つけた小銭や貴金属類を集めてビニール袋に入れ、いつでもこれを持ち出せるようにしていた。

ちょうどこの頃―、
学校帰りのNは、仕事終わりの母・Mと一緒に買い物を済ませ、共に家路についたところであった。

そこに凶悪犯罪者がいるとも知らずに―。


パート7】へ。