市川一家4人殺害事件 -7-

これは『市川一家4人殺害事件』に関する記事の【パート7です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

市川一家4人殺害事件 -1- 市川一家4人殺害事件 -2- 市川一家4人殺害事件 -3- 市川一家4人殺害事件 -4- 市川一家4人殺害事件 -5- 市川一家4人殺害事件 -6-


※本編のアイキャッチと本事件は一切関係ありません

 

少女・N


1976年(昭和51年)3月19日生まれ。事件当時15歳。千葉県船橋市内の県立高校1年生。
4歳の異父妹・E(後出)がいる。

 

母・M


1955年(昭和30年)6月19日生まれ。事件当時36歳。熊本県八千代市出身。
1度の離婚歴あり。再婚相手のA(後出)と共に雑誌出版社を設立し、自身は代表取締役。
4歳の次女・EはAとの間にもうけた子。長女のNは前夫との子。

 

事件の解説

本事件当日 (1992年3月5日)

19時過ぎ、Nと母・Mが帰宅。
2人が北側洋室内に声をかけるも返答がないため、室内を覗く。
すると明かりの消えた室内、”布団の中で眠る”Kの姿を確認。こうして何の異常も感じなかった2人は、いつものようにリビングへと向かった。

一方、このとき関はキッチンにある食器棚の陰に隠れ、リビングへ入ってくる2人を待ち伏せしていたが、その手には柳刃包丁が握られていた。

そして関は、何も知らずにリビングへ入ってきた2人の前に飛び出して回り込み、廊下を背にしてその退路を断った。
包丁を構えながら「静かにしろ。大声を出したら殺す」と言って脅した関であったが、それに怯える様子をまるでみせなかったM。さらには、「あんたはどうしてここにいるの?」と詰問。
極めて毅然としたその態度に、凶器を持って脅している立場の関が怯んでしまった。

手にした刃渡り約23cmの包丁と、「殺すぞ」の言葉で2人を制することができると思い込んでいた関は、思いのほか手応えのなかったことに激しく動揺。これにより素手の女性とはいえ、2人相手では厳しいと判断。1人を襲っている間にもう1人に反撃されたり、逃げられることを危惧した。
そこで関は2人をリビングの床にうつ伏せにさせて無力化。そして関にとって脅威であったMの背中や腰を5回に渡って包丁で突き刺した。

複数回刺したこともさることながら、このとき関は包丁を力の入る逆手で持っており、明確な殺意を抱いていたことは明らかであった。

柳刃包丁 (イメージ)

 

背中から刺した3か所の刺創は肺にまで達しており、その激痛によりMは失禁。そしてあまりの痛みに身をよじったことで仰向けになり、その体勢のまま脚で床を蹴るようにして1mほどずりずりと移動した。
Mが動いたその先には関の脱ぎ捨てたジャンパーがあり、これにしがみついたM。すると関は「血が付くじゃねえか」と吐き捨て、Mの脇腹を力いっぱい蹴り上げた。

 

そして―、
この後帰ってくると思われるNの父・Aを警戒して関は、目の前の惨状に固まるNに声をかけ、瀕死のMの移動を手伝わせる。
血に塗れた母の足を持ち、関と共にその身体をリビングから南側和室へ運ぶN。さらに関は、リビングの床の血溜まりや尿をNに拭き取らせた。

傷害・脅迫・強姦・監禁―、
かつて自分を襲った男がある日突然、自分の家にいることだけでも恐ろしいことであるが、その男が自分の母を刺しまくる光景を目の当たりにしたNの恐怖は想像を絶する。
なにより彼女が絶命寸前の母の足を持ったときの気持ち、これは計り知れない。さらには関に命令されて母の血や尿を拭き取っているが、この一幕では関の潔癖症が露見している。

 

 

母・M死亡、幼き子は我が家へ

南側和室へ運ばれたMはその後すぐに死亡。(失血死)

Nがリビングの掃除を終えてまもなくすると、玄関チャイムが鳴る。
玄関ドアの向こうにいたのは、Nの妹・Eを連れた保育施設の職員であった。関に促されたNは玄関ドアを開けてEを室内に入れ、そして玄関のドアは閉まる。

806号室は安全な外界と一瞬繋がったが、すぐにまた断絶された―。

このとき妹のEを玄関まで迎えに行ったNであったが、その瞬間こそ外部に助けを求めるチャンスであった。

玄関でEに同伴していた保育施設職員に助けを求められなかったのか―、
例えば、「た・す・け・て」の口パクや目でのサイン(ウィンク)。
さらに言うならば、Eを迎え入れるとみせかけ、「助けて!」と大声を出しながらEと職員の手を引いて逃げ出す。

これらはやろうと思えばできたはずである。ではなぜNはそれをしなかったのか―、

それはNの祖母・Kの存在である。
この時点でNはKの死亡を知らず、ただ眠っているだけと思っていた。そのため、”おばあちゃんを現場に残せない”という思いが、目にみえないNの足かせとなっていた。
当初、殺害したKを”眠らせた”関であったが、それはここまで計算したものではないと筆者は考える。
(関には衝動的・場当たり的な行動が散見するものの、状況の変化に対応する判断能力は確かに優れている。とはいえ、やはりそこは19歳。そこまで頭はキレないというのが筆者の見解)

 

妹・E

 


1987年(昭和62年)3月17日生まれ。事件当時4歳。
Nの異父妹。市川市内の保育園に通っていた。

 

Eが保育園から帰宅すると、関はNに夕食を作らせ、そして3人で食事を摂った。
食事が済むと、関によってKの部屋へ追いやられたEは、そこでテレビを観て大人しくしていた。そしてしばらくすると、幼いEはやがて眠ってしまった。

このときまだ4歳であったEの心情を考えると、非常に心苦しい。恐らくは、自分の家に知らない男がいる状況をよく分かっていなかったのではないか。

自分の姉と、知らない男との奇妙な夕食。
おばあちゃんの部屋でテレビを”ひとりで”観る。ずっと眠っているおばあちゃん。

“おばあちゃんはご飯食べないの?”

“起きて一緒にテレビ観ようよ”

“知らないおにいちゃんがいるよ”

あどけないだけに、その状況を想像すると余計に辛い。
尚、関がEを隔離したのは、Nを強姦する上で邪魔になるからである。

 

21時20分頃―、
Nから父・Aの帰宅が23時過ぎと聞かされていた関は、その時刻までまだ余裕があったことから、この間にNを強姦しようと考える。

そこで、Mを刺殺した包丁でNを脅して南側洋室へ連れ込み、「服を脱げ」と迫った。
ところが恐怖で尻込みしたNがそれに応えられずにいると、これに逆上した関はNを押し倒した。そしてNの着ていたブラウスのボタンを引きちぎり、さらには暴行を加えて抵抗を抑圧。無力化したNを全裸にした後は自らも全裸になり、Nに対する3回目の強姦に及んだ。

 

21時40分頃、玄関ドアが開く。
父・Aが予想より早く帰宅。関がNを犯している最中であった―。


パート8】へ。

 

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コラム 【現場マンション】

凄惨な事件の現場となったマンション。

事件から20年近くが経ち、その詳細は一部の事件マニアや不動産関係者のみが知るものとなり、現在では事件の面影をまるで感じさせない場所となっている。

 

【本事件の現場】
千葉県市川市幸2丁目5-1 行徳南スカイハイツC棟 806号室

 

行徳南スカイハイツC棟


JR京葉線 / 市川塩浜駅 徒歩20分
東京メトロ東西線 / 行徳駅 徒歩20分
東京メトロ東西線 / 妙典駅 徒歩26分

【築年月】
1981年8月

【構造】
鉄骨鉄筋コンクリート

【分譲 / 分譲賃貸】 (参考)
1,912万円~2,383万円 / 9.2万円~10.4万円

【間取り / 専有面積】(参考)
3LDK もしくは 2LDK /
71.61㎡
※間取りは部屋により異なる。専有面積は共通

間取りの一例

行徳南スカイハイツC棟は分譲マンションのため、一戸ごとに室内設備が異なる。

【周辺環境】
愛泉保育園徒歩3分 / 193m
市川市立幸小学校:徒歩7分 / 555m
市川市立妙典中学校:徒歩19分 / 1.5km
行徳総合病院:徒歩8分 / 640m
市川幸郵便局:徒歩5分 / 327m
フォルテ 行徳店 (スーパーマーケット):徒歩8分 / 635m
塩焼中央公園:徒歩15分 / 1.1km

※ここに掲載の情報は2021年2月時点のものです


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