市川一家4人殺害事件 -8-

これは『市川一家4人殺害事件』に関する記事の【パート8です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

市川一家4人殺害事件 -1- 市川一家4人殺害事件 -2- 市川一家4人殺害事件 -3- 市川一家4人殺害事件 -4- 市川一家4人殺害事件 -5- 市川一家4人殺害事件 -6- 市川一家4人殺害事件 -7-


 

父・A


1950(昭和25年)8月10日生まれ。事件当時41歳。
フリーランスのカメラマンを経て、Mとの結婚に伴い雑誌出版社を設立。取締役に就く。
フリーランス時代の1985年(事件の7年前)には、三浦 和義(ロス疑惑)のプライベート写真を撮影。これが写真週刊誌に掲載された経験を持つ。
かつては風俗関連をテーマにしていたが、結婚後はレストランや温泉地といったものにシフトしている。これは年ごろの娘・Nに配慮してのこと。

AとMの会社事務所は行徳駅前のマンションの一室。ここにはNも日常的に立ち寄っていた。

 

事件の解説

誤算

21時40分頃
Nの強姦の最中に父・Aがまさかの帰宅。これに気が付いた関は慌ててNの身体から離れて服を着た。そして包丁を手に取り、再びリビングの食器棚の陰に隠れ、入室してくるAを待ち構えた。

Aが玄関ドアを開けてリビングへ向かうまでには、さほど時間はかからなかったはず。恐らくこのとき関は、下着1枚姿といったように上半身裸の状態であったと思われる。

 

その陰に凶悪犯が潜んでいることなど露知らず、リビングにやってきたA―、
ところがこのときAは関の存在に気付かず、正面の開け放された洋
室前へ向かう。そして室内のベッドに横たわるNの姿をみて「寝てたのか」と声をかけた瞬間、忍び寄った関によって背後から包丁で刺されてしまう。
これによりAは致命傷にもなりうる刺創を負った。

左肩辺りを刺されたAの傷は肺を貫通していた。ここでも明確な殺意が窺える。
関によれば、「人を刺すより、うなぎを捌く方が大変」だという。

 

 

関は負傷して動けなくなったAに対し、「お前んとこの記事でウチの組が迷惑してる。その落とし前として200万よこせ。現金でも通帳でもなんでもいい」と暴力団員を装いながら脅迫した。
このときAは自身の母(K)と妻(M)がすでに殺害されていることを知らなかったため、家族を守りたいその一心で関の要求に応じることに。そしてAは通帳の在りかを教えると共に、Nに家中の現金を集めさせ、それを関に差し出した。

このとき関が手に入れたのは―、

郵便貯金総合通帳 (残高 257万6,055円)
銀行総合口座通帳 (残高 103万1,737円)

これらはいずれも祖母・K名義。

また、Aの指示でNが宅内でかき集めた現金は約16万円であった。つまりこの時点で関は、目標額であった200万円を超える金を手に入れている。

 

Aへの脅迫で実質400万円近い金を手にした関であったが、それで現場を立ち去ることはしなかった。なぜならAから「会社に行けば別の預金通帳・印鑑がある」と聞き出していたからである。
会社に置かれた預金通帳は会社名義、これに加えてA・M名義のものもあると知らされていた関は、これらを強取すればKの預金以上の金を得ることができると考えていた。

200万円という目的を果たした関が尚も犯行を続けたのは、さらなる欲が出たことにほかならないが、”ここまでやってしまったなら、どこまでやっても同じ”という心理が働いたこともひとつある。これはいわば箍が外れた状態にあったということ。もしくは、一時的な現実感を喪失した状態であった可能性も否定できない。
いずれにせよ、Kの通帳や現金16万円を手に入れた時点で関が逃走していれば、それ以上の痛ましい被害が出ることはなかった。

 

さらなる預金通帳を奪うため関は、会社事務所に電話をかけるようNに命じた。これはこの日の晩、ひとりの男性社員が事務所に寝泊まりしていることをAから聞いたためである―、

 

「父から頼まれたので、これから通帳を取りに行きます」

Nによる電話で事務所の男性社員に要件を伝えると関は、もがき苦しむAをそのままに、Nを引き連れて806号室を出た。このときすでに日付が変わり、0時30分頃(3月6日)であった。
エレベーターでNと共に1階まで下りた関であったが、ふと部屋に残したAのことが頭によぎる。

“瀕死ではあるが、アレをそのまま生かしておくと通報されるかもしれない”

そう危惧した関はNを1階エントランスに残し、806号室まで引き返した。
預金通帳の所在を吐き出したAは関にとって無用の存在、関は部屋に入ると躊躇なくAの背中を包丁でひと刺し。このときもAは肺を貫通するほど深く刺され、ほどなくして失血死した。

 

関がひとりで806号室へ引き返したこのとき、Nにとって2度目となる逃走のチャンスであった。しかしNは、年老いた祖母・Kと幼い妹・Eを残して逃げることはできなかった。この時点でまだNは、Kが死亡していることを知らない。

 

Aを殺害した関は1階へ戻り、Nの道案内で行徳駅前の会社事務所へと車を走らせた―。

 

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犯罪者は夜うごく

日付が変わり3月6日 深夜1時頃―、
関の運転する車はA・M夫妻の会社事務所の入るマンション前に到着。そこで関は、「俺はここで待ってるから、お前が行ってこい」と命じてNを事務所へと向かわせた。
Nは会社事務所であった204号室へ入り、そこにいた男性社員へ「お父さんの記事が悪いってヤクザが来てる。お金をもってこいって言ってる」と告げ、事務所内から会社名義及びA・M夫妻名義の預金通帳計7冊 (合計残高 63万5,5620円) と印鑑7本を持ち出した。

このときもやはりNは、事務所の男性社員に助けを求めることはしなかった。

 

預金通帳・印鑑を持ったNが関の待つ車へ戻ると、関はラブホテルまで車を走らせた―。

 

【関がNを連れ込んだラブホテル】
市川市塩浜3丁目。
関とNはホテルの5階、501号室にチェックイン。奇しくもこのホテルからわずか50mほどの距離、道路を挟んだ隣に行徳警察署があった。

 

ホテルの部屋に入室後すぐに関は、手に入れた預金通帳に記帳された額を確認したり、通帳の印影と手元の印鑑を照らし合わせるなどのチェック作業を30分ほどかけて行った。

ちょうどこの頃―、
会社事務所の男性社員は葛南警察署員(現・浦安署)を引き連れ、現場マンションへ出向いていた。
ところが806号室は玄関チャイムに応答がなかったため、ドアを叩いたり室内に電話をかけるがこれにも応答なし。施錠され、明かりも点いていなかったことから、”不在”と判断してその場を引き上げていた。

【事件の分岐点】
社長夫妻の娘・N―、
真夜中の突然の訪問もさることながら、通帳を急に必要としていること、”ヤクザに脅されている”というにわかには信じがたい話。そして自身の上司であり、Nの両親であるA・Mのいずれにも連絡が取れないこと。こうしたことからNの行動を不審に思った男性社員は、Nが事務所を去った後すぐに通報していた。
その結果、男性社員は警察署員と806号室へ赴くが、室内は暗く応答もなし。そこで引き上げている。

この時点での日時は金曜日深夜1時頃。このような時分に一家5人が出かけるだろうか。4歳の幼女がおり、83歳の老女もいる。平日の夜中に家族全員で家を空けるだろうか。なにより、”今しがた訪ねてきた15歳の少女は、家に帰らずどこへ行った?”―、何をどう考えても不自然である。
このとき男性社員
が不自然さをどれほど感じていたか知る術もないが、それを少しでも感じていたのならば、同伴の警察署員に事件性を強く主張すべきだった。
仮に、「留守みたいですね。一度帰って様子をみましょう」などと対応されていたとしても、食い下がるべきだった。

これもまた”たられば”になってしまうが―、
806号室を訪ねた男性社員らは玄関チャイムを鳴らしたり、ドアを叩いたり、室内の電話を鳴らしていたが、中で眠っていた4歳のEが目を覚まさなかった。これが悔やまれる。しかもEが眠っていたのは外廊下に面した部屋であり、ガラスたった1枚隔てた距離にいた。
もしもこのときEが目を覚まし、家中真っ暗闇であることに恐怖を覚えて泣き声を上げたり、殺害されたAやMの姿を発見して泣き声を上げれば、ドアの向こうの警察署員らも室内の異常を間違いなく察知していただろう。そうなれば、”ひとつの悲劇”は避けられたかもしれなかった。

 

ラブホテルの501号室―、
強取した通帳・印鑑のチェック作業が済むや否や、関はNを強姦。行為が終わると4時間ほど熟睡し、目覚めてから再びNを強姦した。

 

6時30分頃、関はNと共にマンションの806号室へ戻り、束の間そこで平穏に過ごした。このとき関は友人に電話をかけて他愛もない話をするなど、3人の遺体がある室内で異様なほどリラックスした様子をみせていた。
そうした中、目を覚ましたEが突如泣きはじめる。

Eの起床―、
これは関にとって都合の悪いことであった。なぜならEが起きてくれば両親A・Mの
死を目の当たりにすることは必至であり、それを知れば泣き叫ぶことは想像に容易いことであった。Eが激しく泣けば近隣住民にその声が聞こえ、犯行発覚のリスクが高まってしまう。これを危惧した関はEの殺害を決意した。

 

6時45分頃、関は包丁を持ってKの寝室へ入り、背を向けて座っていたEに近づいて背中をひと突きした。

この際、関はEの顎を左手で押さえつけながら、右手で力いっぱい包丁を背中に突き刺しており、殺意を持っていたことは明らかであった。小さな背中に突き刺された包丁の刃先は胸から突き出していた。

 

「痛い、痛い」と弱々しく声を出しながらもがき苦しむ幼いE―、
関はNを呼びつけ、その姿をみせた上で、「妹を楽にさせてやれよ。首を絞めるとかあるだろ
」と殺人に加担させようとする。ところがショックのあまり動けなくなっていたN。関はそのNを傍らに、激痛に泣き叫ぶEの首を絞めて殺害した。

このときまで唯一の希望であった妹・Eを守るため、自ら逃走をせず、助けを求めず、また度重なる強姦にも耐えてきたNであったが、このときばかりは「どうして妹まで刺したの!」と関に食ってかかってみせた。
それまでずっと従順であったNの反抗に関は驚き、そして逆上。すると手元にあった包丁でNの左腕と背中を切りつけた。これによりNは全治2週間の怪我を負う。

Nは関に切りつけられ怪我を負った後、同じクラブに所属する同級生の少女宅に電話を入れ、「今日は学校にいけない。部室の鍵を持っていけなくてごめんね」と詫びている。
この一幕からは、彼女の気丈かつ他人思いで責任感のあるパーソナリティーが窺い知れる。普通であれば家族が4人殺されている状況で他人のことなどに気は回せない。

尚、この時点でNは、それまで眠っていたと思っていた祖母・Kの死をすでに知っていた。

 

妹を殺され、もう守るべきものがなくなったNは、ここでアクションを起こす。

「もうやめて。私を殺さないで。さっきの事務所にいた社員さんがお金をたくさん持ってる。私がうまく言ってお金をもらうから」

Nは関にそう断って会社事務所に電話をかけるが誰も出ず。そこで男性社員の自宅へ電話をかけ、これに出た彼に金の工面を求めた

 

806号室には一家の遺体が4体―、
凄惨を極める密室には、殺人鬼と15歳の少女の2人きり。

 

このままだと私も殺される―。


パート9】へ。

 

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【806号室の一家】
祖母:柳沢 順子
父:柳沢 功二
母:柳沢 照夜
妹:柳沢 宇海

柳沢 功二さんはかつて、三浦 和義のスワップパーティーをスクープ。三浦の全裸写真を激写し、これが週刊誌「Emma」(文藝春秋)に無修正で掲載された。ところが後にこれが裁判沙汰に。

東京地方裁判所 昭和61年 (ワ) 13561号
(裁判長裁判官:大喜多啓光 裁判官:小澤一郎 裁判官:相澤眞木)

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