市川一家4人殺害事件 -9-

これは『市川一家4人殺害事件』に関する記事の【パート9です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

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捜査

死の部屋からの符牒

3月5日の晩から6日にかけ、会社事務所に泊まり込んでいた男性社員―、
ところが社長夫妻の娘から突然の電話、その中で知らされたヤクザによる金の要求、そして真夜中の訪問。預金通帳類の持ち出し。事務所マンション下に停められた不審なクラウン。平日深夜の”一家不在”。
これらのすべてに不穏なものを感じていた男性社員は、自宅へと帰っていた。

そして―、
6日早朝、自宅へとかかってきた社長夫妻の娘からの電話。

“早朝に自宅へ電話。そして金の工面の要求。しかし金の都合を頼まれたものの、何かが違う。本当に金を要求している様子がない”

“そもそもなぜ社長らは出てこない?なぜNちゃんだけ動き回ってる?”

“社長宅がおかしい”

一連の出来事を不審に思った男性社員は、8時過ぎに806号室に電話を入れた―。

 

男性社員からの電話に出たNは、目の前に関がいたことで「おはよう」と言ったきりそのまま押し黙るほかなかったが、電話の向こうの状況を察した男性社員は声を抑えて「誰かそこにいるのか」と尋ねた。これにNは「うん」と一言だけ発して答えた。

この暗黙の会話により、男性社員は事件を確信。
そして9時頃、男性社員は「社長の娘から不自然な電話があった。数時間前、深夜におたくの警官と一緒に行ったマンションだ。室内で大変なことが起こっている」と通報。

この通報を受け、男性社員と行徳駅前交番の警官が806号室へ赴くが、玄関ドアは施錠された上に呼んでも応答なし。
そこで警官が別の部屋のベランダから伝い、窓から806号室内に踏み込んだところ、そこには遺体、壁や床に血が飛び散った惨状が広がっていた。そしてまた、リビングでは関とNが呆然と立ち尽くしていた。
警官の突入を察知すると、関はとっさにキッチンにあった文化包丁をNに手渡し、その場からの逃走を試みた。しかしこのときすでに、玄関ドアの向こうには応援の警官らが待ち構えており、関はその場に取り押さえられた。
この際、「俺はやってない!」と叫ぶ関であったが、護身用のナイフを忍ばせていたことから銃刀法違反容疑現行犯逮捕された。一方、Nは警察によって保護された。

警察の突入時、関がNに包丁を持たせたのは、自分が襲われていると演出するためであった。

 

暗号解読事典

真偽

本事件の発覚と被疑者確保を受け―、
千葉県警本部捜査一課と所轄の葛南署はこの日の夕方(3月6日)
捜査本部を設置。その上で事件の被疑者であった関、重要参考人であったNをそれぞれ事情聴取した。

本事件における被害者のNであったが、奇しくもこの時点では関と同様に殺人容疑をかけられていた。その原因となったのが、関による虚偽の供述。
関は取り調べに対し、「Nは昔からの友人。だから自宅の住所や電話番号も知っていた」などと虚偽の供述をし、Nとの関係性を強調。自身に犯行動機がないことを訴えた

その一方、一連の出来事によりショック状態であったNは、取り調べに対して何も話すことができない状態であったために、当初捜査本部は関の虚偽の供述を真に受けていた。

 

次第に落ち着きを取り戻したN―、
事件のことを話せば自身にかけられた疑いは晴れるはずであったが、それどころかその嫌疑は深まってしまう。というのも、事件時の状況をNから聞く中で、そのとき何度も外部へ助けを求める機会があったのにもかかわらず、Nがそれをしなかったことを捜査本部は疑問視したためである。

こうしたことから捜査本部は当初、本事件が関とNの共犯という見方を示しており、実際にそれをマスコミに向けて発表している。
結果として3月6日付の夕刊・テレビニュースでは、『長女・男友達から事情聴取』という報道が流れた。

 

 

続く事情聴取―、
捜査本部はようやく口を開いた重要参考人・Nの供述を詳細に聞き出し、関の供述と照らし合わせてこれらを精査。やがて関の供述が偽りであることを突き止めた。
これによりNの容疑は晴れたのだった。

そして―、
この日の深夜、それまでとは一転し、関はすべての犯行を認めた。これを受け、捜査本部は当初の逮捕容疑「銃刀法違反」における釈放手続きを取った上で、改めて強盗殺人容疑で関を逮捕した。

 

3月7日9時30分頃、現場検証が行われ、現場からは血液の付着した柳刃包丁が発見される。
その後、凶器の柄などから採取した指紋を鑑定するなどの裏付け捜査を進めたほか、関のアパートを家宅捜索して書類など数点を押収した。

 

3月8日、捜査本部は関を千葉地方検察庁へ送検。

 

3月9日・10日、殺害された4人の遺体の司法解剖が千葉大学医学部で行われる。その結果、Kは首を絞められたことによる窒息死、ほか3人は刺されたことによる失血死と確認された。

 

3月12日、徳願寺で被害者4人の葬儀が営まれる。このとき一家唯一の生存者・Nが喪主を務めたが、葬儀の最後にはそのNに代わってAの従兄弟が親類代表の挨拶をした。

「平和な家庭を一夜にして奈落の底に突き落とした信じがたい事件。警察やマスコミが中心となり、このような惨劇が二度と起こらないよう努めてほしい」

徳願寺会館


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19歳 一家四人惨殺犯の告白

コラム 【事件発覚当日の報道】

【事件発覚当日 1992年3月6日付】新聞各紙夕刊における事件報道の見出し

 

読売新聞


「一家4人殺される 市川のマンション 部屋に高一の養女 男友達も、事情聴く」(東京)

被害者4名:実名表記
N:匿名表記

 

毎日新聞


「マンションで5人家族の一家4人、刺殺される 千葉・市川市」(東京)

「一家4人、刺殺される 高1長女無事、男友達も 千葉・市川」(大阪)

被害者4名:実名表記
N:匿名表記

 

朝日新聞


「一家4人刺殺される 長女・友人から聴取 市川」(東京)

「一家4人殺される 市川」(千葉)

被害者4名:実名表記
N:匿名表記

その後、警察発表によって事実関係が明らかになると、全国版の社会面では『19歳の少年逮捕へ』という見出しに修正された。
また発表翌日の千葉市以西に配達される予定であった朝刊の見出しは急遽変更され、『事件は少年の単独犯』となった。その一方で、県南部・北東部向けでは修正が追い付かず、3月7日付朝刊地方面では『数カ月間深夜に物音』『詳しい事情聴取 長女と男友達から』という見出しのまま配達された。

 

中日新聞


「一家4人刺殺される 長女と男友達から聴取 千葉のマンション」

被害者4名及びN:実名表記

 

日本経済新聞


「一家4人殺される? 千葉・市川のマンション」

被害者4名及びN:実名表記

一家全員の実名報道を決めた当時の編集局次長は、Nの実名報道について以下のようにコメントしている―、

「第一報の段階では嫌疑をかけられていた状況であったため匿名としていたが、その後Nが完全な被害者であることが判明した。そのため、それを明確に示すためには実名報道が適切と判断した。しかし家族全員を奪われ、まだ10代である彼女のことを考えると、果たしてそれが適切だったのか。今後の報道は考えていきたい

 

産経新聞


「家族4人殺される 千葉のマンション 長女と男性から事情聴く」

被害者4名及びN:匿名表記

主要紙の中で唯一、事件被害者全員を匿名で報道。
このとき社内では、「実名報道の大原則に反する」として反対する者が多くいた。ところが当時の社会部長は、殺害された4人の実名表記が及ぼすNへの影響を考慮。家族の氏名を掲載することで、残されたNが特定されてしまうことを危惧した。

中日新聞と日本経済新聞が一家全員の実名報道を行っていたため、実質的にこの方針の意義は損なわれてはいたものの、社会部長はあくまで一家全員匿名に踏み切った。

 

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新聞という病

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