オウム真理教男性信者逆さ吊り死亡事件 / 亀戸異臭事件

これはオウム真理教が起こした一連の事件に関する記事です。本記事では【第7・8のオウム事件】について言及しています。
本編単体でもお読みいただけますが「オウム事件シリーズ」となっているため、第1の事件から順にお読みいただいた方が事件関連の出来事や語句、人物など、より理解が深まります。

【第1のオウム事件】オウム真理教在家信者死亡事件

【第2のオウム事件】オウム真理教男性信者殺害事件

【第3のオウム事件】坂本堤弁護士一家殺害事件

【第5のオウム事件】オウム真理教女性信者殺害事件

【第6のオウム事件】オカムラ鉄工乗っ取り事件

※記事中には、関連する人物や語句などのリンクが各所にあります。別記事から本記事へ戻る際には、ブラウザの「戻る操作」でブラウザバックしてください。


 

【解説】オウム真理教男性信者逆さ吊り死亡事件

1993年(平成5年)6月6日、静岡県富士宮市のオウム真理教富士山総本部道場で起きた事件。

 

この事件は、ひとりの末端信者(男性 / 当時25歳)が脱会を希望したことから端を発する―、

男性はこのときすでに教団への信心を失っており、それ故に教団内での態度も傲慢無礼になっていた。これが教団幹部らの目に留まり、教祖・麻原 彰晃の命令によって男性は逆さ吊りの修業を強要されることに。

この「逆さ吊りの修業」とは、ホイストを用いて90分間逆さに吊られるというもの。
このときの監督を務めていた大内 早苗は、これが危険の伴う修行であったにもかかわらず、その場を離れて責務を放棄。男性を逆さに吊るしたまま、翌日に控えていた教団の祭典準備に当たっていた。
その結果、長時間逆さ吊りの状態で放置された男性は死亡した。

そして―、
男性の死を知った麻原は、遺体を愛人・石井 久子の部屋へ運び入れるよう指示。事件を末端信者らに知られないよう遺体を隠匿した。
その後麻原から証拠隠滅の命令を受けた幹部らは、遺体をマイクロ波加熱装置で焼却。粉々になった遺骨は薬品で溶解し、それを浴室の排水溝に流した。

 

ひとりの人間を液体にして、跡形もなく消し去ったオウム真理教。この徹底した証拠隠滅から窺い知れる教団の隠蔽体質。まさにそれを象徴するような事件であった―。

 

ヒトは2~3時間逆さ吊りにされると死に至る可能性がある。すると教団が定めていた1時間30分というのも、非常に危険であったことがお分かりいただけると思う。

 

【解説】亀戸異臭事件

本事件の犯人

遠藤 誠一 (えんどう せいいち) / ホーリーネーム「ジーヴァカ」

1960年6月5日生まれ。北海道出身。
教団内では厚生省大臣を経て、生物兵器開発を担う第一厚生省大臣を務めた。最終ステージは正悟師長。教団幹部であり、麻原の主治医のひとり。獣医師
そのほか、教団オリジナル健康食品の製造・販売を統括する部署「AFI (アストラル・フード・インスティチュート)」の責任者を務めた。また、教団の陸上競技部のコーチでもあった。
このように遠藤は様々な職務を担い、教団に大きく貢献。その生産性の高さから、麻原からの信頼も厚かった。それ故に遠藤は、麻原の四女・松本 聡香を許嫁とされていた。

1989年に四女が教団施設「富士山総本部道場 (富士宮市)」で生まれた際、遠藤はその出産に立ち会っていた。

 

新興宗教(世界救世教)信者の母を持ち、自身もキリスト教系の幼稚園に通っていたことから、宗教が身近にある環境で育った遠藤。少年時代はスポーツ好きで活発、社交的であった。低身長かつ左耳に難聴を患っていたが、その身体的なハンディキャップを跳ね返すように、勉学では周囲を圧倒した。
中学時代には学級代表を務めるほか全教科で好成績、とりわけ理数系が優秀であった。

獣医を志していた遠藤はやがて帯広畜産大学に入学し、獣医学を専攻。獣医師の夢に向けて勉学に励んだ。ところが大学2年生の時に受講した講義に感銘を受け、その後は遺伝子工学を独力で学びはじめる。

獣医学と遺伝子工学の狭間で揺れ動いていた遠藤であったが、あるとき獣医ではなく研究者として生きていくことを決心。とはいえ同大学を大学院まで進んでいたため遠藤は、’86年に獣医学専攻を修了。同時に獣医師の資格を取得した。
そして同年、京都大学大学院医学研究科博士課程に進学。ここでは朝から深夜にまで及ぶ研究に明け暮れた。
こうして遺伝子を研究する中で遠藤は”生命の神秘”を強く感じるようになり、これが「説明のできない何か」に対する興味へと変わっていく。いつしか精神世界に魅せられた遠藤は、
麻原の著作『超能力秘密の開発法』に出会う。その後、遠藤はオウム真理教の前身「オウム神仙の会」の大阪支部の訪問を経て、1987年3月に入信した。

本来、非科学的なものを否定すべき立場の研究者であった遠藤は、超能力や神秘体験の類に傾倒。そしてみるみるうちに麻原に心酔、またオウムの思想体系に侵されていった。

兼ねてより優れた信者として麻原に目を付けられていた遠藤は、あるとき麻原本人から出家を迫られる。このときすでにオウムに染まりきっていた遠藤であったが、出家に対しては抵抗があったため二つ返事とはいかなかった。しかし、出家すれば専用の研究室を与えられることや、出家信者からの強い勧めにより1988年11月9日に出家した。

・教団はさまざまな企みを実現するために、高学歴で理系の信者を求めていた。

・遠藤のオウム入信は、「思い込みが激しい」「影響されやすい」というパーソナリティーに起因していたと筆者は考える。

 

豊田 亨 (とよだ とおる) / ホーリーネーム「ヴァジラパーニ」

1968年1月23日生まれ。兵庫県出身。最終ステージは正悟師
教団では核開発を担当し、オーストラリアに「豊田研究所」なる施設まで所有していた。

 

豊田家は教育者の家系であり、豊田の父は東京大学の教員であった。真面目な父を持つ豊田自身もまた真面目。慎重かつ温厚、明るい性格だったため人当たりは良かった。約束は必ず守り、有言実行。これらに加えて「知的」、まるで非の打ちどころのないパーソナリティーであったといえる。

大学は父がかつて勤めていた東京大学理学部物理学科を卒業し、そして東京大学大学院理学研究科物理学専攻修士課程修了。物理学の分野でノーベル賞を取るべく、学習の日々を送っていた。
ところが豊田は東大に入学したばかりの頃、本屋で『超能力秘密の開発法』に出会い、麻原 彰晃という人物に興味を抱いていた。それから東大1年生であった1986年9月には「オウム神仙の会」に入会している。
やがて大学院在学中であった1992年4月、博士課程へ進学したばかりであったにもかかわらず中退。出家した。

東大大学院の博士課程にあった豊田が中退(出家)したその背景には、その指導体制に対する失望があった。

 

事件の経緯

1993年(平成5年)―、

兼ねてより無差別テロを計画していた麻原は、これに炭疽菌を用いることを考えた末にその培養を遠藤 誠一に行わせた。そして、その炭疽菌を散布するため豊田 亨らが開発した噴霧装置(ウォーターマッハ)を教団新東京総本部の屋上に設置した。

教団新東京総本部 (東京都江東区亀戸)

そして―、
麻原と村井 秀夫の主導により、建物の屋上から炭疽菌を6月28日7月2日の二度に渡って散布した。

噴霧装置のスイッチを押したのは麻原。

 

こうして行われた散布によって、辺りは炭疽菌特有の異臭に包まれた。周辺住民らはその異様な臭いの発生源をすぐに特定し、教団新東京総本部に抗議した。
これを受けて教団は、「儀式に使う薬品の調合に失敗した」と言い訳した上で、二度と異臭騒ぎを起こさないと約束。事態を収拾した―。

・このとき麻原たちは、炭疽菌の異臭をごまかすためにシャネルの香水を混ぜていた。

・炭疽菌は極めて危険な菌である故に、散布すれば甚大な被害をもたらすことは不可避であったはず。しかし、このときテロとはならず異臭騒ぎに留まったのは、炭疽菌が未完成であったから。つまり遠藤の技術が未熟であったために、このバイオテロ計画は失敗に終わったということである。
また一説には、「
噴霧装置の威力が強すぎたため、あまりの高圧で炭疽菌が死滅した」ともいわれているが、いずれにせよこの犯行は失敗していただろう。

尚、このとき仮に炭疽菌が有効なものであったなら、散布の実行者であった麻原らも死んでいた可能性が高い。着用の防護服が粗末であったからである。

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【ホイスト】
ワイヤロープで重量物を上げ下げする機械。工場や倉庫内で多くみられる。

ホイストの例

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【炭疽菌】

:たんそきん
炭疽症の病原体となる細菌。
致死率・感染力が高いだけでなく、増殖力も強いため培養しやすい。
腐臭のような独特な臭いを発する。

炭疽菌は土壌中に常在するが、羊やヤギなどの体毛に付着している。そのため、家畜や野生動物への接触でヒトに感染する恐れがある。炭疽症はいわゆる人獣共通感染症であるが、ヒトからヒトへは感染しない。

[炭疽症とは]
炭疽症には3種類あり、それぞれに症状が異なる。

<皮膚炭疽症>
皮膚の傷口から炭疽菌が侵入することにより発症。
感染すると7日以内にニキビのような丘疹ができ、その周囲には皮疹と浮腫が現れる。この丘疹には痒みが生じる場合がある。やがて丘疹が潰れると黒いかさぶたができる。そのほか高熱を伴う。

ヒトが炭疽症を罹患する場合、ほとんどがこれに当たる。つまり傷口からの感染ケースが大半。

未治療の場合の致死率は10~20%

皮膚炭疽症による黒いかさぶた

<肺炭疽症>
炭疽菌が肺に吸入された場合に発症。
高熱や咳をはじめとしたインフルエンザ様症状を呈しながら、気道出血により呼吸困難に陥る。

未治療の場合の致死率は90%以上

本事件でオウム真理教が目論んだのは、まさにこの『肺炭疽症』によるテロであった。

<腸炭疽症>
炭疽菌が付着した食べ物を摂取することにより発症。
高熱、吐血、頸部のリンパ節炎、腹部の激痛、激しい下痢(膿や血が混じる)、腹水貯留などの諸症状を呈する。

未治療の場合の致死率は25~50%

炭疽菌の噴霧―、
肺炭疽症は呼吸によって感染するだけに、容易かつ不特定多数を罹患させることができる。その上、ターゲットに接触する必要もないために犯行現場を押さえられるリスクもない。そしてなにより致死率が極めて高い。しかも他2つの炭疽症の併発にも期待ができる。
例えば露出した肌に傷口があれば、そこから「皮膚炭疽症」を発症。また屋外で食事をしていれば食べ物に炭疽菌が付着、これを食べてしまえば「腸炭疽症」を発症する。

無差別テロを画策していた教団にしてみれば、これほど費用対効果の高い方法はなかった。

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