千里眼事件 -7-

これは『千里眼事件』に関する記事の【パート7です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

千里眼事件 -1-

千里眼事件 -2-

千里眼事件 -3-

千里眼事件 -4-

千里眼事件 -5-

千里眼事件 -6-


 

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事件の解説

【山川実験】終止符

次々と念写を成功させ、まさに破竹の勢いにあった長尾 郁子。そんな彼女の真偽を検証すべく、数日に及ぶ大がかりな透視・念写実験が行われることとなった。

 

そして―、

明治44年1月4日、この日から運命の超能力実験がはじまる。
この実験は郁子の自宅(香川県丸亀市)で行われ、そこには千鶴子の東京実験で主導した物理学者・山川 健次郎の姿があった。
ここでも山川の主導で実験が行われ、そして福来もそこに同席。しかしこのとき福来は、単なる傍聴者にしか過ぎなかった。つまり、この実験において福来は口出しをすることも手出しをすることも許されなかったのである。

山川は超能力の存在を信じる福来とは対極の人物。
新たな逸材を見つけ、暴走状態にあった福来を制止する目的を持っていたと思われる。

山川 健次郎 (物理学者)

「超能力潰し」「福来潰し」「郁子潰し」―、
福来の正確性の欠いた実験とはまるで異なる、山川による真っ当な実験。
郁子の透視・念写実験は重々しい空気の中で進行していくが、それをより不穏なものにしていたのは誰でもない郁子自身であった。

「あなたたちの中に私を疑ったり、邪心を持つ人間がいたりすると精神統一ができない」

郁子はそう難癖をつけ、その場にいた学者らの反感を買ったのだ。

【筆者による超解説】

「疑われると集中できない」

これは自身に突き付けられた厳しい条件から、『透視』ができないと踏んだ郁子が講じた保険。つまり失敗時に、「あなたたちのせいで精神統一ができなかった」と言い訳するための布石であった。
(これは千鶴子も同様であり、何かと難癖をつけて自分の立場を少しでも有利にするための、超能力者の常套手段である)

ほかにも―、
まるで山川に抵抗するように郁子は、透視実験の方式として3つの条件を要求した。

・実験者が用意した実験物は透視部屋に直接持ち込まないこと。まずは別室に置いておき、実験者の全員が透視部屋に集まる。そして私の許可が出てから透視部屋に持ち込むこと
(
実験物の中身を確認するために、実験者たちを自分のいる透視部屋に全員集める。その間に、別室に置いた実験物の中身を協力者に確認させる。協力者から自分に答えが伝えられたら許可を出すという算段)

・実験物に封印の印付けや糊付けはしないこと。また透視直前の問題の書き直しは認めない

・写真乾板に念写する文字は私が指定する。脳裏に浸透させるのに時間を要するので、念写実験を行う際は遅くても前日までには伝えるように

 

 

こうして郁子側と山川側(実験者側)とで、計略の応酬の様相を呈した超能力実験―、

透視に用いる封筒の封印を拒まれた山川であったが、透視実験の前にある行動に出る。封筒の中に短く細い針金を忍ばせたのだ。
そして答え合わせで山川が封筒の中身を確認すると、これが無くなっていた。郁子側の誰かが封筒を開封したのである。
これこそが、透視実験で不正が行われた決定的な証拠を掴んだ瞬間であった。

そのほか、封筒に入れた写真乾板に念写するという実験においては、山川側が封筒に乾板を入れ忘れるという不手際があった。つまり、対象がない状態で念写が行われたということであるが、これは意図的に起こされたことであり、実験の確実性を破壊する郁子へのトラップであったと筆者は推察している。

 

あの手この手で不正手段を見出そうとする郁子らにより、実験は当初山川が描いていたものとはかけ離れてしまった。ところが山川は、そうした状況の中でも正確な結果が導き出せるよう計画を立てていた。

結局―、
郁子の透視が当たったのは、「実験者が郁子側の前で文字を書いたとき」「開封の跡があったとき」など、透視実験の条件に瑕疵があったり、明らかな不正が認められたときだけであった。

 

こうして超能力者・長尾 郁子の詐術を暴いた山川であったが、不正発見の罠は内密にしていたため、「長尾 郁子は真の超能力者」と発表した。山川は郁子側を非難する意思はなかったのだ。
ところが、山川側の学者のひとりが独断で「透視と念写は全くの詐欺である」と報道陣に発表。これにより、郁子は超能力者から一転、詐欺師となった。

また、そんな郁子に追い打ちをかけるように、当該の透視・念写実験おいて郁子側の人間による妨害行為があったことが報じられた。この妨害行為を行ったのは、自称催眠術師の男。郁子と不倫関係にあった人物だった。
こうして郁子は詐欺と不倫、ダブルのスキャンダルで追い込まれることに。それはまさに急転直下であった。

自称催眠術師のこの男が、郁子の協力者のひとりであったとみられる。

 

 

一連の報道後、郁子は以後の超能力実験は断固拒否。そしてそれから間もない明治44年2月26日、郁子は急逝。死因は急性の肺炎といわれているが、真相は闇の中である。

長尾 郁子による念写
漢数字の「一」

 

山川はその後、郁子の透視・念写実験の結果を写真付きで公表。

「超能力は手品にしか過ぎない」

そう結論付け、千里眼事件を終息させた。

 

その後

山川の実験結果発表を受け、日本中が超能力の類に否定的な見方を強めた。
その結果、日本各地にいた千里眼たちが激しく非難されることとなり、それまでの特別な存在からたちまち蔑むべき存在となった。千鶴子や郁子に至っては本人らが死しても尚、家の者たちが世間からの非難を浴びるという始末であった。

 

そしてもうひとり、その後彼はどうしていたのか―、
詐欺師の御船 千鶴子、長尾 郁子というプレーヤー2人をプロモーションした福来友吉だ。

この千里眼事件の黒幕ともいえる福来は山川実験後、やはり世間からの激しいバッシングを受けていた。「イカサマ師」「偽学者」などと罵られていたが、それでも尚も福来は超能力実験を続けた。その挙句に、透視と念写の存在を認める旨の本を出版。これには千鶴子や郁子も登場する。

福来の著書『透視と念写』
大正3年(1914年)9月出版

この本を出版した福来は、「詐欺行為を助長する。東大教授として好ましくない内容」として、当時の東大学長から警告を受けていた。それにも拘らず、福来は頑なに透視や念写の存在を主張。その結果、福来は東京大学(旧・東京帝国大学)を追放された。

映画「リング」の中で伊熊博士なる人物が登場する。
作品の中盤、”伊熊が大学を追放された”という描写があるが、この伊熊のモデルになった人物こそ福来である。

 

 

福来は学会を追放されてからも尚、透視・念写実験を続けた。そして”月の裏の念写実験を成功させた”と発表するにまで至る。

人類が初めて月の裏を確認したのは、1959年(ソ連/ルナ3号)。福来の月の裏念写実験から23年も後のことである。

昭和6年(1936年)6月24日

 

 

千里眼事件の終焉に伴って、明治30年頃より続いた催眠術ブームも下火となった。しかし福来はその生涯を通じて超能力という非科学的なものに憑りつかれ続けた。

福来 友吉
昭和27年(1952年)3月13日 没

 

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おわりに

千里眼事件―、
その名前の響き、そして「リング」のモデルとなった事件ということで、どこかオカルトめいて不気味な事件という印象で語られる。しかし千里眼事件はあくまで、当時の時代背景を鮮明に映した世俗的な事件なのだ。

本事件当時、日本国内は超能力ブームにあったが、これが起きた要素として大きかったのはやはり、当時の医学がまだ発展途上にあったこと。現代であれば治る病気も当時は命に係った。そのため、医学ではどうしようもできない病や怪我を、何か超常的な力にすがる心理が当時の人々の中にあったのだ。
そうして起きた超能力ブームに
便乗して超能力者を名乗る者が現れ、金儲けをする。こうした人間は当時たくさんいたが、千鶴子や郁子のように有名となる者は一握り。すると今度はそうした人間を利用しようとする者が現れる。この事件でいえば、千鶴子の父、猛雄、そして福来だ。
これら3人の中でも最も質が悪いのは、学者であった福来。学者や東大教授という肩書だけで説得力があるのだから。

福来は―、
権威や名声、そしてそれらがもたらす金。そのために千鶴子や郁子を利用した。

本事件はオカルトな事件でもスピリチュアルな事件でもなく、詐欺事件である。

 

もしも福来博士を好意的に捉えるのならば―、
彼は被暗示性の高い人間であったが故に、自己暗示が生み出した幻覚や妄想に溺れてしまった超心理学の犠牲者ともいえる。

オラクルベリー・ズボンスキ(小野 天平)