北九州監禁殺人事件 -1-

 

“俺は一切の手を下していない。あいつらが勝手に殺し合った”

 

日本国内のみならず、世界でも類をみないほどの”凶悪な事件”。
その詳しい内容を知れば、当時において事件はさぞ大々的に報じられたのだろうと思うことでしょう。
ところが世間を揺るがすほどのセンセーショナルな事件であったにも拘らず、この事件についての詳しいことはあまり知られていません。
それもそのはずで、当時この事件には報道規制がかけられ、ニュースでもあまり取り上げられませんでした。そのため、本事件はその重大さの割に認知度が低いのです。

世の中の出来事を伝えるのがマスメディア。これがその使命を”放棄”するほどに凄惨かつ反道徳的な一連の事件。
それが、
「北九州監禁殺人事件」なのです。

 

『北九州監禁殺人事件』の概要

2002年(平成14年)3月に発覚した監禁・連続殺人事件。福岡県北九州市の小倉で発生した。
この事件の主な舞台は小倉北区にあるマンションの一室であった。

本事件の端緒は1980年にまで遡る。
長きに渡って欺罔(ぎもう)や虐待、マインドコントロールが渦巻く異質の事件。被害者が加害者となり、またあるときは加害者が被害者に。

そして誰もいなくなっていく—。

 

本事件犯人:松永 太

松永 太 (まつなが ふとし)


1961年(昭和36年)4月28日生まれ。福岡県出身(北九州市小倉北区)。

古くから畳屋を営む家庭に生まれる。松永が7歳の頃、父親が家業を継ぐために同県の柳川市に引っ越した。
家庭は裕福であり、祖母や母親には甘やかされて育つ。幼いころから非常に賢い子どもであった。

 

バックグラウンド

小学生時代

松永は小学生になるとその優秀ぶりをいかんなく発揮。入学から卒業までの6年間、すべての科目で最高評価(オール5)であった。

 

中学生時代

中学校に入っても成績は優秀で、頭の回転の速さは抜きん出ていた。それ故か非常に弁が立ち、1年生のときに参加した校内の弁論大会では3年生を差し置いて優勝している。

松永は学級委員長生徒会役員、部活ではバレー部のキャプテンを務めるなど、学年はもとより校内でも目立つ存在であった。
このころから松永はリーダーシップやイニシアティブ(主導権)を大いに発揮するようになる。

一見すると優等生であるが、自己顕示欲が強く、ワンマン気質。それに加え、虚言癖があった。そのため、成績優秀ながら教師からの信用は低かった。
弱い者にはめっぽう強く、威圧して有無を言わせない。取り巻きを作り、悪事はそれらにさせる。自らの手は決して汚さなかった

 

高校時代

松永は高校に入ると、それまで歩んでいた優等生の道から外れていく。
その結果、不純異性交遊が発覚。これによって3年生のとき、男子校への転校を余儀なくされた。
(事実上の退学処分である。皮肉なことに、このとき松永は風紀委員長であった)

 

高校卒業後

男子校への転校を経て、高校を無事に卒業。
高校卒業後は進学せずに、福岡市内の菓子店に就職。しかしこれをわずか10日で退職した。その後、父親の店である「松永商店」の仕事を手伝うようになる。

1980年結婚(当時19歳)
やがて受け継いだ家業を寝具販売業に転換させる。事業は1986年に株式会社化(「株式会社 ワールド」)。
この『株式会社 ワールド』の営業項目は「三井物産株式会社」の丸写し。同社と同じ項目を並べていた。そのため、寝具販売業ながら登記簿上は石油や船舶、航空機を扱うことになっていた。
こうした登記簿上の虚偽もさることながら、その営業方法も詐欺商法そのものであった。その結果、1992年には指名手配されることになる。そして離婚—。

 

パーソナリティー

  • 病的なほどの虚言癖があり、自意識過剰で目立ちたがり屋
  • 礼儀正しく愛想も良いため、人には好かれる。その第一印象では誰もが好感を持つ
  • 雄弁で人を信用させることに長けている。詭弁で人を騙すことが得意で、また躊躇がない
  • 猜疑心・嫉妬心が強いことからアフェクションレスキャラクターの疑いもある。嗜虐性を孕み、執念深い性格

【アフェクションレスキャラクター】
=情愛のない性格。
一見すると愛想が良く打ち解けやすそうにみえる。しかし心から他人に愛情を持つことがなく、盗癖や虚言癖、残忍などの歪んだ性格を特徴とする。


また、松永には自分を大きくみせるために虚勢を張る一面もある。しかしその本質は神経質で臆病。
それを象徴するエピソード(息子の証言)がある。

“反社会的勢力による厳しい借金の取り立てに遭ったとき、部屋で小さくなり閉じこもっていた”

 

虚言癖に関しては挙げたらキリがないが、松永は自身について以下のように語っていた。

“東大卒のコンピュータ技術者”

“京大卒の予備校講師”

“物理学者として期待の星”

“兄は東大卒の医者”

“実家は村上水軍の当主”

 

このように、松永はまるで呼吸をするように口から嘘を吐き出していた。

こうしてみるとなんとも信用ならない男であるが、松永はその甘い顔立ちと巧みな話術から、女性を惹きつける魅力を持っていた。
これと松永の不貞さが相まって、その女性遍歴はきわめて多様であった。複数の女性と同時に関係を持つのは当たり前。交際女性だけに留まらず、その母親とも関係を持つことすらあった。

松永における虚言と女性関係に関しては、枚挙にいとまがない。

 

本事件犯人:緒方 純子

緒方 純子 (おがた じゅんこ)


1962年(昭和37年)2月25日生まれ。福岡県出身(久留米市)。

農業を営む家庭に生まれ、父親は村議会議員を務める地元の名士。いわゆる”お嬢さま”である。
躾(しつけ)の厳しい家庭に育ち、緒方自身はこれに従順であった。
学校の制服や髪型は校則どおりという思春期を送るなど、至って真面目な性格。それ故か、異性への関心が強くなる高校時代も男性と交際することはなかった。
ちなみに、高校は松永と同じであった(松永が転校する前の高校)。

高校卒業後は短期大学に進学し、短大卒業後は幼稚園の教諭になる。

緒方は後に松永の内妻となり、松永との子をもうける。1993年と1996年に出産。


事件の詳細、解説は【パート2】から―。