秋田園児殺害事件 -2-

これは『秋田園児殺害事件』に関する記事の【パート2です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

秋田園児殺害事件 -1-


 

 

結婚

1999年10月―、
美香が突然実家に帰ってきて
「子どもができた」と報告。しかしあまりにも事務的なその妊娠報告からは、歓びや照れはおろか不安や困惑すら窺えず、このとき母親は異様なものを感じていた。

この妊娠に伴って美香は結婚することになるが、その相手男性は秋田県南部の山奥に暮らしていた。それもさることながら、美香の住まいから車でも数時間かかるような距離にあったため、”どうやったらそのような人と出会えるのか”、不思議に思った母親が交際の経緯を尋ねるも、無口な美香がそれを話すことはなかった。

それが”出会い系”であったことは言うまでもない。

 

それからほどなくして、結婚式の代わりの宴会が相手男性の実家で催されたが、美香はその間ずっと所在なげに黙って座っているだけ。
このように諸々ありながらも、2000年1月結婚それと共に夫
の実家に嫁いだ。
ところが美香はいつもイライラしており、周囲に気を遣わせていた。そのため同居していた義父母は美香のことを「しんけたがり」といって、嫁の人間性を訝しんだ。

【しんけたがり】
「神経質」や「怒りっぽい」という意味。
下北弁(青森県)であるとされているが、秋田県や新潟県などでも話されているようである。

 

美香の嫁ぎ先では夫はもとより義父も仕事に出ていたため、日中は家に美香と義母の二人きり。その中で美香は義母を寄せ付けないほどの態度であったため、日中の家の中はいつも重々しい空気に包まれていた。
また美香には数々の奇行がみられ、それに耐えかねた夫があるとき問いただすと美香は逃げ出し、そのまま別居。そして2000年9月離婚に至った。

結局、嫁ぎ先での新婚生活は3か月で破綻。尚、離婚時に美香は妊娠中であった。

離婚後まもなくして、元夫へ美香の実家からの連絡が入る。
その内容とは、生まれた娘の養育費一括500万円を請求するというもの。しかし元夫は養育費を支払う義務は認めながらも、それを一括で支払うことには応じかねるとして弁護士を立てて話し合いを進め、これを100万円で話を決着させた。
この一件で進藤家と元夫一家は絶縁。そのため美香の元夫は自分の娘に会ったことも目にしたことすらない。

それはわずか8か月間というあまりに短い結婚生活に終わった。

 

二度目の結婚

2001年7月、美香は二度目結婚をする。

離婚後わずか10か月で再婚した美香であったが、結婚相手のAさんとは出会い系サイトで知り合った。そしてまた、この結婚も妊娠によるものであった。

このときおなかの中にいたのが本事件で殺害された諒介ちゃんである。

 

そして結婚から半年経った2002年1月、美香はAさんの実家に入り、Aさんの妹と両親との同居をはじめる。

長女は実家に預けたままであった。

 

やがて諒介ちゃんが誕生
Aさんの父親はこれにことのほか喜んで可愛がり、美香自身も諒介ちゃんには愛情を注ぎ、育児もしっかりとこなした。
また美香の実家も男の子の誕生が嬉しかったとみられ、大きなこいのぼりをAさんの実家に贈るなど、今回は家同士の関係も良好。そして当の本人たち、美香とAさんの夫婦生活もまた順調であった。

Aさんの父親が亡くなるまでは―。


パート3】へ。

 

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