北九州監禁殺人事件 -5-

これは「北九州監禁殺人事件」に関する記事の【パート5】です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

北九州監禁殺人事件 -1-

北九州監禁殺人事件 -2-

北九州監禁殺人事件 -3-

北九州監禁殺人事件 -4-


 

※本編文章内で示す各人物の年齢は当時のものです

1987年

【松永】事業を株式会社化 -止まらぬ詐欺商法-

1987年 松永26歳

松永は父親から引き継いだ事業「松永商店」を株式会社化し、「ワールド」へ改名。
元々は畳屋であった父親の商売であったが、これを引き継いだ後、松永は布団をメインに扱う寝具販売に転換していた。
この商売は「株式会社 ワールド」を設立する前から、二束三文の粗悪な布団を暴力や脅しによって高値で買わせるという詐欺商法であった。

一方、緒方は松永の指示によって勤めていた幼稚園を退職し、松永の会社で働くようになる。
そしてこの頃から自分を懇意にしていた人間を騙して金を詐取するようになっており、これに抗議されたときには逆ギレして怒声を浴びせるなど、このときすでに緒方は元の性格から大きく逸脱していた。
(緒方を昔から知る人間は、その変わり様に心底戸惑ったという)

1992年

【松永】妻との離婚 -紙一重の生還者-

1992年 松永30歳

妻をはじめ緒方にも暴行を加えていた松永であるが、自身の義父(妻の父親)の前では粗暴な態度をみせることはしなかった。
ところがこの義父が死去すると、松永は妻の実家でも平然と暴力を振るうようになる。
(義父は松永の性格を見抜いており、終始信用していなかったという)

これがきっかけとなり、この年の1月—、
妻は長男を連れて警察署へ駆け込み、そこでDV(ドメスティックバイオレンス)の被害を申請。
その後は長男と共にシェルターに入り、松永の手の及ばない安全な生活を送った。
一方、妻の逃走を知った松永はその居場所を突き止めようとしたが、それは叶わなかった。
(これには、”住民票を移さないまま長男の転校などを特別に許可する”といった市役所の柔軟な対応が寄与している)

無事に松永の元から脱出し、難を逃れた妻と長男。
それから2か月後に松永との離婚が成立。2人は松永から無事に逃れることに成功。これが結果として、その後起きる一連の凄惨な事件を回避することとなった。

 

【松永】【緒方】指名手配犯となる -生まれた街へ-

1992年 松永31歳, 緒方30歳

詐欺商法で約1億8,000万円荒稼ぎした松永—、
ところが松永の暴力で次々と社員が逃走し、これにより業績は悪化していく。

さらにはこの詐欺商法が警察に知るところとなり、同年7月詐欺罪と脅迫罪松永緒方指名手配される。このとき松永と緒方は、最後まで会社に残っていた男性社員(以下:S)との3人で逃亡。
結果として、松永の会社は9,000万円の債務を踏み倒す形で倒産した。

指名手配—、そしてはじまった逃亡生活。

ところがある日―、
逃亡を共にしながら潜伏生活中の金の工面をしていたSが、松永の虐待に耐えかねて2人の元から逃走してしまう。

一時期は石川県に潜伏していた松永と緒方であったが、共に逃亡していたSが2人の元から脱走したため、拠点を移すことを余儀なくされた。

 

潜伏していた石川県を出た松永と緒方は、地元で土地勘のある福岡県北九州市に戻る。
そこで松永の知人である不動産会社勤務の男性・隆さんに接近。そして松永は隆さんの勤務する不動産会社を通じて複数のマンションの一室を確保し、それらを潜伏アジトとした。
(尚、指名手配で逃走の身である松永と緒方は、これらの契約の際に松永の交際相手らの名義を使った。また、松永がマンションの一室を確保する際、連帯保証人が必要となる場合には、仲介者である隆さん自身が連帯保証人になることもあった。しかしこれは宅地建物取引業法違反であり、違法行為であった)

【不動産会社勤務 隆さん(仮名)】
松永、緒方と同い年。2人と同じ学校に通っていた同級生、もしくは同期生であったと思われる。
報道機関では顔写真や実名は非公開(一部書籍は除く)。

 

当時、隆さんは交際相手である保険外交員の女性と同棲していたが、松永が持ちかけた競馬に関する新会社設立の儲け話に乗るためにこの女性と別れてしまう。また、隆さんには娘・幸子さんがいたが、幸子さんはアジトで緒方が養育することとした。
隆さんには社宅としてマンションの一室があてがわれ、隆さんはそこでひとり暮らしを開始。それから本業である不動産会社の仕事をしながら、松永と緒方のいるアジトに通うようになる。

【幸子さん (仮名)】
1984年生まれ。隆さんの娘であり、後の事件発覚まで生き残った”唯一の生存者”。
松永の支配下に置かれたのは、自身が8歳のときである。
まだ幼いながらも松永によってさまざまな虐待を受けたが、松永の支配下において監視役・世話役などといった特別なポストに就いたことで、最後まで殺害から逃れることができた。
父親の隆さんと同様に、報道機関では実名非公開。(幸子さんの場合は書籍でも非公開)

本事件の解明における最重要証人であり、キーパーソン。

 

ちなみに松永は隆さんへの接触後、京大卒の予備校講師を偽って隆さんの姉に接近している。
このとき松永は彼女の相談(夫との不和について)に乗り、やがて隆さんの姉は離婚。そして松永の交際相手のひとりとなった。

 

松永の古くからの知人であった隆さん—、
実はこの隆さんには、このとき勤めていた不動産会社で着服した過去があった。
(賃貸物件の入居前に行う消毒作業を行ったことにして、この代金を自身の懐へ入れていた)

あるとき酒に弱い隆さんを酔わせて過去の着服を聴きだした松永は、「犯罪を犯した」とこれを弱みとして握った。
また、周囲には内緒でカツラを着用していた隆さんであったが、アジトでは松永にカツラを取られるようになる。
(幸子さんはそれまで自分の父がカツラであったことを知らず、父の禿げ頭をみて驚いたという)

松永はこうした弱みにつけこむ以外にも、「娘(幸子さん)に性的虐待をした」などと事実と異なる事実確認書を隆さんに書かせ、これも弱みとして握った。

こうしたことが祟り、やがて会社に出社できなくなった隆さん―、
本業に支障をきたした彼はついに不動産会社を退職。これに併せ、それまでいた社宅を離れて松永らのいるアジトに移ることになる。
これを機に、松永と緒方による隆さんへの虐待が加速していく。

 

尚、翌1993年―、緒方は松永との子、長男となるAを出産する。

1994年

【松永】母子不審死事件 -限りなく他殺に近い自殺-

この年、松永は同窓生の女性(以下:Hさん)に接触する。
Hさんは夫を持つ身であったが、松永から結婚を求められたことで離婚。

その後、松永は結婚を餌にしてHさんに金を要求。これを受けてHさんは別れた夫やその親から様々な名目で金を無心した。
その総額は1,880万円にも上ったが、その金はすべて松永の元へ流れた。

そして、元夫やその親からの送金が途絶えた後の1994年3月31日―、Hさんは大分県の別府湾に投身自殺をした。
Hさんが自殺した理由は明らかになっていないが、送金が途絶えた後の自殺ということからみても、この自殺は松永による圧力が原因であったことは間違いない。

【自殺したHさんの父親による証言】
遺体を引き取りに行った際にみた娘の姿は、家を出たときと同じ服装であったという。
(このことから、Hさんは自殺前に実家へ立ち寄っていたものと推察できる)
また、1,300万円近い送金をしたのにも拘わらず、Hさんの預金口座には3,000円しか残っていなかった。こうしてみると、有り金すべてをむしり取られ、絶望した末の自殺という線が濃厚。いずれにせよ、彼女の自殺は松永が原因であり、松永が殺したも同然である。

 

実はHさんが自殺する5か月前の1993年10月29日―、
Hさんの次女(当時1歳)が急性硬膜下血腫で死亡している。これは頭部を強打したことが原因とみられている。

実はHさんの次女が頭部を強打した際、緒方がこの女児の面倒をみていた。
その後緒方は母親を騙って病院に付き添ったが、このとき病院には「椅子から転がり落ちて頭を打った」と説明している。

結果としてこの母子の死は刑事事件とはならず、疑念が色濃く残ったまま幕を閉じた―。

 

【急性硬膜下血腫 (きゅうせいこうまくかけっしゅ)】
多くの場合、受傷直後より意識障害を呈する。そのほか眩暈(めまい)や嘔気を起こす。頭部の外傷としては重症に分類される。

 

1996年

【松永】【緒方】最初の殺人を犯す -連鎖のはじまり-

松永の命令により、すでに隆さんへの虐待に加担していた緒方—、
そんな緒方が隆さんを虐待する際、たとえ松永が不在であってもその手を抜くことはなかった。それは外出していた松永が突然アジトに帰ってきて抜き打ちチェックをし、隆さんへの虐待の手加減を知れば緒方も制裁を受けるためであった。

そして1996年2月26日―、
松永と緒方は度重なる電気ショック(通電)や食事を満足に与えないなど虐待した末、隆さんを衰弱死させた。(第1の殺人)

 

隆さんの殺害後―、
松永は緒方と幸子さんに遺体の解体を命じ、バラバラになった隆さんの遺体を海に遺棄させた。
(隆さんの死亡直前、松永は幸子さんに瀕死の隆さんを歯形が付くほど噛ませ、その箇所を写真に収めた。さらに、これを基にして幸子さんに「父親を殺したことを認める」 とする事実関係確認書を作成させた)
こうして松永は、父親・隆さんの殺害に加担した罪悪感を植え付け、そして虐待を繰り返し、幸子さんを自身の支配下に置いた。

 

また、実はこのとき緒方は松永の子を身ごもっており、緒方は解体作業を終えた直後に陣痛に襲われた。そしてそのまま大分県の病院に駆け込んで次男となるBを出産した。

 

コラム【マインドコントロールの手法&死体処理方法】 ※悪用厳禁、閲読注意

【通電:つうでん】

=電気ショック。
本事件のキーワードともいえる虐待方法。松永が用いた虐待方法の中でも主たるもの。

「通電」の発案

松永が経営していた会社に工業高校電気科出身の従業員が在籍していた。あるとき、この従業員がお遊びで”通電ごっこ”をしているのをみた緒方は、通電による虐待を閃く。そしてこの従業員から知識を得たことで、松永は通電装置を完成させた。
この通電装置は、裸にした電気コードの先にクリップを付け、それで対象を挟んで電流を流すという仕組みであった。

通電を受けると激痛が走り、目の前が真っ白に。患部は火傷を起こし、酷いときには水ぶくれとなる。

通電装置のイメージ

通電による火傷痕

※絶対に真似しないでください
(これを実行し怪我を負った場合、いかなる理由においても本記事ではその責任を負いかねます)

 

松永が通電する際の主な部位は、「手」「腕」「足」「太股」「乳首」「口」「耳」「顎」などが対象であった。ところが、ときには性器もこの対象となり、これは男女関係なかった。

女性に対する性器への通電は―、裸で膝を曲げて仰向けの姿勢にさせられた上で局部に通電された。
男性に対する性器への通電は―、下半身裸で直立させられた上で、女性2人に局部を通電された。

この通電はたった1秒でも大きな衝撃と激痛が走り、それは意識が遠のくほどである。
松永はこの通電を3歳の女児にも行っていた。

ちなみに松永が行っていた『通電』には2種類あった。

「秩序型通電」・・・躾(しつけ)が目的
「激昂型通電」・・・松永が腹を立てたときに行われる

通電が行われる際には必ず理由が言い渡され、松永はさながら処刑人のようであったという。執行においてはどんな些細なことも理由になったといい。理不尽極まりないものであった。

 

松永のマインドコントロールを解説

ここからは、松永が行っていたマインドコントロールを筆者が独自に分析・解説する。

 

①【対象に自分を信用させる】

これには松永のような天性の雄弁さが必要不可欠。
人を信用させるための説得力、相手の心を開くためのコミュニケーション能力などが求められる。また、頭の回転も速くなければならない。

ちなみに、松永は対象者に酒を飲ませるという方法を多用していた。
酒で気分を良くさせるなどして感情を揺さぶり、不満や秘密などを引き出す。これらを材料にして対象の弱みにつけ込んだ。

 

②【直接的に指示や要求をしない】

これには責任逃れ、つまり保身の目的がある。

松永は金の要求、殺害の指示などの際には遠回しな表現を用いて、対象者に「これはお金を持ってこいと言っているんだな」「殺せと言っているんだな」などと思わせるよう暗示しながら、その責任追及からの回避を画策した。

 

③【虐待による抑圧】

松永の虐待は「通電」と「制限」の二本柱によるものであった。
通電の詳細は先述のとおり。松永の行った制限には以下のようなものがある。

食事制限

食事は1日1回ないし2回。
以下は食事メニューの例。(グレード順)

  1. 「出前」
  2. 「コンビニ弁当」
  3. 「レトルトご飯(白米のみ)」
  4. 「カロリーメイト」
  5. 「生卵」

また食事を摂る際には制限時間が設けられており、これは7~15分であった。この時間は他の被監禁者がタイマーで測った。
さらに、食事の際は蹲踞(そんきょ)の姿勢が強いられた。

蹲踞 :相撲や剣道にみられる特有の姿勢

 

衣服制限

衣服は基本的に薄着を強いられた。
服装の例—、

  • 「真冬に袖を捲ったワイシャツ、裾を捲った長ズボン」
  • 「ジャージとスウェット」

女性に男性ものを着せることもあった。
酷いときには、
男性:「上半身裸、下半身はパンツのみ」
女性:「上半身裸 (両乳首に小さく切ったガムテープを貼る)、下半身はパンティーのみ」

尚、洗濯はごくたまにしか許されなかった。

睡眠制限

布団などまともな寝具は使えず、週刊誌を敷いて新聞紙を被って眠る。
台所で雑魚寝が基本だが、いびきがうるさい場合は扉と窓に南京錠がかけられた浴室に閉じ込められた。

睡眠時間は昼間に3~4時間の睡眠で、昼夜逆転の生活であった。

会話制限

松永の許可がない限り会話は禁止。

移動制限

室内を移動する際には、壁を向いたままの移動や匍匐前進を強いられた。

排泄制限

排泄には松永の許可が必要。
その排泄の際にもトイレを使うことは基本的に許されない。男女問わず、小便は浴室か台所に置かれたペットボトルにすることが強いられた。
大便は1日1回の制限。大便に限ってはトイレの使用が許されたが、便座に腰掛け禁止。便座の腰掛けは他の被監禁者に監視された。

物品使用制限

室内の物を使用する際には松永の許可が必要。

外出制限

アジトであるマンションの一室に連れてこられると、まずは運転免許証と車のキーが松永によって取り上げられる。

外出が許された際には、携帯電話で頻繁に松永へ連絡を入れ、どこで何をしているのか報告せねばならない。
(アジトのマンションは松永の地元にあるため、松永の頭には周辺地理が入っていた。そのため被監禁者が居場所を報告すれば、どれくらいの時間で戻ってくるかなどは目算がついた)

外出の際には必要最低限のお金しか持たされない。外出前には必要となる金額を事細かに申請し、そのお金を松永から受け取る。
尚、受け取ったお金は借金として、借用書を書かされた。

 

また、マンションの部屋はさまざまな細工が施され、監禁に適した環境が造りあげられていた。
例えば―、

「玄関ドアは南京錠で施錠」
(南京錠は内側に取り付けられていたと推察。故に南京錠のカギを持つ松永以外は内側からでも玄関ドアを開けられない)

「玄関ドアのチェーンは短くされていた」
(チェーンをかけた状態でドアを開けても、ほとんど開かないくらいに短かった)

「玄関ドアのドアスコープやドアポストは遮られていた」
(これにより外部から室内を覗き込めないようになっていた)

「すべての窓に遮光カーテンと南京錠」
(窓を介して外部から室内を覗けないほか、内部からも外の様子をみることができなかった。また、玄関ドア同様に松永以外は窓すら開けることができなかった)

 

※こうした「通電」「制限」による抑圧のほかに、付加的な抑圧として『文書』がある。実際、松永は事あるごとに「事実確認書」といった文書を作成していた。
(例えば、”○○は私が殺しました”などといったように)

松永はこれを盾に被監禁者たちを抑圧、そして操った。

上記の「制限」に違反する者は、松永による通電や暴行などの酷い虐待を受けた。
こうして心身ともに追い詰める抑圧の一方で、松永は食事に一品付けたり、時には外食させてまともな食事を施すなどした。こうすることで被監禁者たちに幸福感や感謝の念を抱かせ、より一層服従させていった。いわゆる”飴と鞭”である。

 

④【被監禁者の中にヒエラルキーを形成する】

松永が行ったマインドコントロールの根幹ともいえる「監禁」であるが、この監禁生活を強いられた被監禁者たちの中にはヒエラルキー*が存在していた。
*ピラミッド型の身分制度

松永は自分を頂点とした支配構造を形成して、被監禁者たちを序列化。
通電される者は下位の人間となり、松永だけでなく上位の人間が下位の人間に通電を施した。上位の人間から下位の人間の通電は松永の指示によって行われるが、万が一これを拒否すると下位に落とされるため、被監禁者同士での通電がやがて日常化していった。

また、松永は被監禁者同士で憎しみ合わせ、最終的には互いに殺し合わせるためのシステムを構築。
例えば―、
ある者が他の者の悪口や不満を述べればランクアップのためのポイントとなる。そのほかにも、他の者のルール違反などを松永に報告すればこれもポイントとなった。
こうすることにより、監禁生活の秩序を保つだけでなく、被監禁者同士で不信感や嫌悪感を抱かせるほか、被監禁者たちの間に敵対関係を生み出すことができる。
その結果、虐待ひいては殺害を促すだけでなく、松永への服従をより強固なものにしていった。

このヒエラルキー構造こそ、本事件における”自らの手を汚さずに人を殺す”ことの基盤といえる。

 

死体処理方法

死体処理の方法については、浴室で鋸(のこぎり)とミキサーを使って分解・粉砕し、それを鍋で煮込む。最終的にはペットボトルなどの容器に入れ、その中身は公衆トイレに流して処分した。
いうまでもないが、この作業を行ったのは被監禁者たちである。

松永はこの死体処理方法について、「自分のオリジナル。魚解体の本を読んで応用した。煮物を作る要領」と誇らしげに語る。


松永によるマインドコントロールで完全に支配され、従順な奴隷であったと思われていた緒方。ところが―。【パート6】へ。

 

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