城丸君事件 -3-

これは『城丸君事件』に関する記事の【パート3です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

城丸君事件 -1-

城丸君事件 -2-


 

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事件の解説

加寿子と寿美雄さんが結婚した1986年―、
この年の12月30日 午前3時頃、寿美雄さん宅から出火。それは猛火ともいえる様相で、火の手は瞬く間に寿美雄さん宅を包み込んだ。
そして午前5時頃鎮火。焼け跡からは寿美雄さんの無残な焼死体が発見された。

 

寿美雄さん宅から出火、そして寿美雄さん死亡の報せを受けた義兄は、それが加寿子によるものであると確信。義兄は寿美雄さんの身を案じていただけに、その悔しさから「やられた!」と叫んだ。

火災により焼死してしまった寿美雄さんであったが、それでは加寿子と娘はどうなったのか。以下はその後の警察の調べで明らかになった事実である―、

火災当夜、加寿子と娘は寝間着姿ではなく外出着であった。おまけに加寿子の髪はセットされ、足元はブーツ。午前3時にである。
なにより不可解であったのは、助けを求めたのが隣家ではなく300mも離れた家であったという点。その際も、チャイムを鳴らして家人が出てくるのを冷静に待っていたという。火に包まれた自宅の中に夫がいる状況であれば、普通はそんな落ち着きをみせられないはずである。

そもそも、眠っていた寿美雄さんを起こすことはできなかったのかという疑問も抱かずにいられない。そしてまた、このとき年末ということもあり、寿美雄さんが深酒していた可能性が高い。となれば、加寿子が意図的に寿美雄さんを起こさなかったとすれば、手遅れとなる段階まで寿美雄さんが眠り続けていてもおかしくはない。もっといえば、加寿子が寿美雄さんに睡眠薬を何らかの形で服用させていた可能性すら考えられる。
いずれにせよ、この火災が加寿子によって引き起こされたものであれば、誰もが気を緩めて無防備になりがちな年末こそ、絶好のタイミングであったと筆者は考える。

尚、納屋だけは焼失を免れたが、その納屋には加寿子と娘の物が運び込まれており、そこには寿美雄さんの物は何ひとつなかった。これは加寿子が”火災を予め知っていた”ことを裏付けているといえるのではないだろうか。

 

寿美雄さんの死後、彼には1億9,000万円もの保険金が掛けられていたことが明らかになった。
それまでの加寿子の行動に加え、夫婦関係の破綻、火災時の状況や加寿子の挙動、そして多額の保険金―、
誰もが寿美雄さんは加寿子に殺された、つまるところ保険金殺人であると、そう疑った。
当然、警察も事件性があるとして捜査を進めるも、火災現場から放火の証拠が見つからなかったことで、立件を断念せざるを得なかった。

不仲の夫が消え、立件もされず、あとは保険金を受け取るだけ。すると加寿子の画策どおりに事は進んだかのようにみえたが、ここで加寿子にとっては予想外のことが起きる。
保険会社が保険金の支払いを拒否したのである。これに加寿子は激怒、そして保険会社を相手取って訴訟を起こす姿勢をみせたが、後にこれを取り下げ、そしてそれまで嫁いでいた寿美雄さんの地元・新十津川町から姿を消したのだった。

 

寿美雄さんが亡くなり、加寿子が町を去った後の1987年6月、義兄は焼け残った納屋を整理していた。そこには雑多に物が置かれていたが、義兄は棚の上のビニール袋にふと目をやる。

“これはなんだろうか”―。


パート4】へ。

 

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