北九州監禁殺人事件 -9-

これは「北九州監禁殺人事件」に関する記事の【パート9です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

北九州監禁殺人事件 -1-

北九州監禁殺人事件 -2-

北九州監禁殺人事件 -3-

北九州監禁殺人事件 -4-

北九州監禁殺人事件 -5-

北九州監禁殺人事件 -6-

北九州監禁殺人事件 -7-

北九州監禁殺人事件 -8-


 

※本編文章内で示す各人物の年齢は当時のものです

2002年

【松永】【緒方】幸子さんの逃亡失敗 -その代償-

松永 40歳, 緒方 39歳

2002年1月30日―、
幸子さんが松永の隙をみてアジトを脱出。北九州市に住む祖父母の家へと駆けこむ。

その後―、
逃亡に成功した幸子さんは、半月ほど祖父母と一緒に暮らしながらアルバイト先まで決めた。これに伴って国民健康保険に加入したり、預金口座を作ったりなど、一般的な生活の基盤を築きはじめていた。

それから間もない2月14日―、
松永の交際相手の1人である幸子さんの伯母(隆さんの姉)から、幸子さんの所在が松永の元へ伝えられてしまう。
これを受けた松永は、「幸子さんが金を盗んだり、シンナー吸引などの非行をしており、このままだと隆さんに叱られる」などといった嘘話を展開して、幸子さんの祖父母を信じ込ませた。
これにより、幸子さんは強引に松永の元へ連れ戻されてしまった。

【幸子さんが連れ戻される時の状況】
幸子さんは松永に連れ戻される際に、”おじさん(松永)”の話はぜんぶ嘘。迎えにきて”という走り書きのメモを祖母に渡していた。

【幸子さんと祖母】
幸子さんは松永の命令により、お小遣いの名目で金を調達するため、祖母とはそれまでも何度か会っていた。
こうした際には、幸子さんの祖母にしてみれば、息子である隆さんに関することをその娘である幸子さんに尋ねたいというのが心情である。
そのため幸子さんは祖母に会うと、そのときすでに死亡している隆さんについて何度も尋ねられていた。

 

隆さんに関する質問は幸子さんにしてみれば厄介であったが、幸子さんは「出張でほとんど会っていない」という返答で毎回これをやり過ごした。しかしそれでも質問してくる場合には、血相を変えて怒ることで、それ以上の質問を封じ込んでいた。
尚、幸子さんは祖母との会話の直後にはいつも、隠れて公衆電話や携帯電話で松永と連絡を取っていた。ところが、その様子を祖母は目撃しており、これを常々不審に思っていた。
また、幸子さんは父親(隆さん)の死に対して罪悪感を抱いていたために、脱走後に祖父母宅で暮らしていた間も父の死を祖父母に打ち明けることはできなかった。

その後―、
松永に無理やり連れ戻された幸子さんは、松永と緒方によって首絞めや通電による激しい虐待を受ける。さらには、自分の血で”もう二度と逃げたりしません”という趣旨の血判状までも書かされた。
またそれだけには留まらず、5分以内という制限時間を設けられた上で、足の親指の爪を自らラジオペンチで剥がさせられるといった拷問も受けた。

 

事件の発覚

2002年3月6日―、
幸子さんが2度目となるアジトからの脱出を成功させ、祖父母の家へ助けを求めたことにより、事件が発覚—。

そして、その翌日となる3月7日―、
松永緒方は幸子さんに対する監禁致傷罪逮捕された。

逮捕直後、松永と緒方は完全黙秘に徹し、それぞれ名前すら明かさなかった。
さらに松永と緒方の所持していた身分証は偽造されたものであったため、当初は2人の身元が不明であった。ところが、緒方が所持していた高校時代の写真アルバムをきっかけに、それぞれの身元が判明した。

本事件、当初は松永と緒方の2人による幸子さんの監禁と傷害事件と思われたが、その後の幸子さんの証言により、一連の事件が次々と明らかになっていった。

そして後日、アジトとは別の場所で幸子さんが世話をしていた4人の子ども(松永と緒方の子ども2人と双子)が発見される。
さらにその数日後には、幸子さんによる「父(隆さん)は松永と緒方に殺された」という証言により、警察は本事件を殺人事件として捜査を開始。
また、「緒方一家6人が殺害され、遺体は解体されて海や公衆便所などに捨てられた」とのさらなる証言で、警察は連続殺人事件として捜査を着手。事件の解明に向けて大きく動き出した。

捜査の難航

本事件における”生き証人”である幸子さんの証言によって、事件の全貌がだんだんと暴かれていく—。

まず警察は、幸子さんの証言を基に殺害現場(浴室)の排管を切り出し、DNAの採取・鑑定を行った。ところが松永が排管や浴室のタイルを張り替えるなどの証拠隠滅工作をしたこと、また7人の遺体が完全に消滅していたために、物的証拠が全くないという状況であった。

尚、幸子さんは4人(隆さんや誉さん、彩ちゃん、優貴くん)の殺害状況をみていたが、他の3人(静美さん、理恵子さん、主也さん)のそれはみていなかったために、これら3人の殺害方法は不明であった。
こうして、監禁被害者である幸子さんの目撃証言のみが唯一の手がかりのまま、捜査は続けられ、難航した。

ところが2002年10月23日―、
逮捕から約6ヶ月、長い間黙秘を続けていた緒方がついに自供をはじめる。これにより、さらなる事件の内幕が明らかになっていった。

緒方の供述を基に—、

  • 脅迫や虐待をされる中で被害者たちが作成させられた「事実確認書」等の書類
  • 解体に使われた鋸(のこぎり)やミキサーなどの死体処理道具を購入した際の領収書
  • 隆さん殺害後の解体に使用され、その後河川に遺棄された鋸
  • 死体解体時に発生した音や臭い、ゴキブリの大量発生等を不審に思っていたマンション住人の証言

物的証拠がない状況の中—、
間接証拠が徹底的に集められ、そして捜査は少しずつ進んでいった。


逮捕・起訴を経て、いよいよ裁判。そして判決へ—。次なる【パート10】にて完結。

 

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