千里眼事件 -5-

これは『千里眼事件』に関する記事の【パート5です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

千里眼事件 -1-

千里眼事件 -2-

千里眼事件 -3-

千里眼事件 -4-


 

事件の解説

千鶴子の死の約2か月前―、

福来は帝国京都大学の精神医学者である今村 新吉と共に、あるひとりの女性の実験を行っていた。

 

長尾 郁子である。

長尾 郁子 (ながお いくこ)

1871年(明治4年)10月、山口県で生まれる。
裁判所判事の妻であり4人の子どもの母親であったが、長男の死を機に神仏への信仰に傾倒。やがて信仰心が強くなるにつれて精神統一に没頭していき、特殊な能力を開花させていった。当時の位置づけとしては、「ポスト御船千鶴子」。

夫の仕事の関係で各地を転々とするが、本事件当時は香川県に居住。

 

長尾 郁子の登場と台頭

すべてのはじまりは明治42年―、

「栃木県宇都宮市で大火災が起きる」

郁子が家族にそう伝えて警戒していると、その後本当に宇都宮市で大規模な火災が発生。全市の大半が焼けたといわれている。
これこそが、郁子が自身の特殊な能力に気付いた出来事であったものと思われる。
そうした中、当時全国で超能力者として有名であった御船 千鶴子に触発され、精神統一の修練を積んだ郁子はやがて透視ができるようになったという。

いつしかその的中率の高さが評判となり、郁子は讃岐実業新聞(現・四国新聞)に取り上げられるが、これが福来の目に留まったことで後の透視実験に繋がることとなる。

【筆者による超解説】

郁子による「宇都宮市で大火災が起きる」という予言・予知に関してであるが、これは『念写とDr.福来』(著・山本 健造)がソースとなっている。それをお伝えした上で筆者の見解を示したい。

にわかには信じがたい大火災の予言・予知。
これを受けて筆者は、栃木県立図書館所有のデータベースから宇都宮市史を紐解いた。すると確かに郁子が言ったと伝えられているとおり、明治時代に宇都宮市で大規模な火災が発生していたことが明らかになった。
どうやらこの火災は5月25日に起きたようだが、これが明治39年とある。すると、山本氏の本にある明治42年頃という記述と異なる。しかし、あくまで”42年頃”とされているので、3年の違いは誤差の範疇だろう。なにしろ約115年もの前の出来事である。(2021年現在)

ところが市史によると、「59戸焼失」とある。一方、山本氏の本には「全市の大半が焼けた」とある。この点においては両者の乖離が甚だしい。
なにより冷静に考えれば、全市の大半が焼けるほどの大火災が本当に起きていたのであれば、間違いなく市史に残っているはずである。市史はおろか日本史にもだ。しかしそのような記録は見つからなかった。しかも山本氏の本によれば、「宿屋(前書では”ホテル”と記述)から出た火が市一体を焼き尽くした」とある。あり得ない。

 

一刀両断するようであるが、本編のごく一部のソースとした山本氏の「念写と~」に書かれていることの信憑性は非常に疑わしい。事実の歪曲・誇張だらけだろう。俗にいう「トンデモ本」である。

本編のごく一部のソースとなった山本氏の著書

山本氏は超心理学者、哲学博士であり、「飛騨福来心理学研究所」や「福来出版」の創立者。いうなれば”福来信者”である。そのため、山本氏の著書では福来を持ち上げるような記述はもとより、超能力の真実性を演出、強調している。故に、郁子による宇都宮大火災の予言・予知の描写も恣意的に入れたのだろう。
そのようないかがわしい本をソースに記事を書く筆者であるが、もちろん意図してのことである。

この胡散臭さである


まるで千鶴子と入れ替わるように現れた超能力者・長尾 郁子。その真偽は―。【パート6】へ。

 

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