グリコ・森永事件 -2-

これは『グリコ・森永事件』に関する記事の【パート2です。本編をお読みになる前に、ぜひとも【パート1】からお読みください。

グリコ・森永事件 -1-


 

1984年(昭和59年)3月21日―、
拉致・監禁されていた江崎が保護された。しかし、それからわずか12日後、次なる事件が江崎の身に降りかかる。
そしてそれ以降、江崎から「グリコ」に標的を変えた事件が連続して起きることとなる―。

 

江崎グリコ連続事件・丸大食品脅迫事件

以下は1984年4月から6月の間に続発した一連の事件です。以下、時系列。

 

1984年4月2日、生還した江崎の自宅へ差出人不明の脅迫状が届く。
その内容は、4月8日に指定場所へ現金6,000万円を持ってくるよう要求するものであった。不可解なことに、この脅迫状にはなぜか目薬が同封されており、不審に思った警察がこれを調べると、その中身は塩酸であった。

そして現金の受け渡しの当日―、
警察の監視体制の中、犯人グループの要求どおりに指定された日時・場所で待つが、ここでも犯人らは現れなかった。

【塩酸】
強い酸性を示す水溶液。
その用途は、医薬をはじめ農薬、調味料の合成など幅広い。一般家庭レベルでは洗浄の用途で活用される。身近な物でいえば、トイレ用洗剤の「サンポール」。この主成分が塩酸である。
塩酸が目に入った場合、早急に多量の水道水(流水)で洗い流す必要がある。これは少なくとも15分間は行う。不十分であったり、洗い流すのが遅れたりすると目の障害を生ずる恐れがある。

 

さらに4月8日犯人グループからの手紙が大阪の「毎日新聞」と「サンケイ新聞」へ届く。
これが意味するところは、”自分たちの犯行声明を世間に公開してくれ”ということであり、これはいわば江崎や警察への”挑戦状”。
実際、まるで挑発するかのように、新聞各社に送られた手紙の「差出人」には江崎の名前が使われていた。

このように犯人がマスコミを利用して自らの存在をアピールすることは、それまで前例がないことであった。つまり、これこそが「劇場型犯罪」の幕開きである―。

[江崎グリコ脅迫事件]

 

4月10日20時50分頃江崎グリコ本社(大阪府大阪市西淀川区)で火災が発生。
火元は工務部試作室であったが、火は棟続きの作業員更衣室にも延焼。火元の工務部試作室(150平方メートル)は全焼したものの、この火事は小火(ぼや)に留まった。
火災現場の状況から、この火災は放火であるとみられている。

また、同日21時20分頃、本社から約3km離れた江崎グリコの子会社「グリコ栄養食品」(同区内)の車庫に停めてあった社用車が炎上。
こちらはすぐに発見され、火は消し止められた。
火元はガソリンと布を詰めた容器であったこと、また出火の直後に現場から走り去る不審な男が目撃されていることから、これもまた放火であるとされている。

[江崎グリコ本社放火事件]

 

4月23日、再び脅迫状。
今度は江崎グリコ宛てであり、
要求する金額は1億2,000万円。指定された現金の受け渡し日は翌日の24日であった。犯人グループの無茶な要求に対して、江崎は急しつらえで準備し、その対応に当たった。
当日、犯人らは指定の現金受け渡し場所を次々に変え、現金の受け渡し人をあちらこちらに誘導。そしてたらい回しにした挙句、ここでもまた姿を現さず。江崎や警察は見事に翻弄されてしまった。
またこの日、2回目となるマスコミ宛ての挑戦状が送られていたが、犯人グループはこのときから、『かい人21面相』を名乗りはじめる。奇妙なこのネーミングは、江戸川 乱歩の小説「少年探偵団」シリーズに登場する怪盗の名前、「怪人二十面相」のパロディであるとみられている。

[江崎グリコ脅迫事件]

 

5月10日、「読売新聞」「毎日新聞」「朝日新聞」「サンケイ新聞」の4社にかい人21面相から犯行声明文が送りつけられる。

「グリコの せい品に せいさんソーダ いれた」

文中の”せいさんソーダ(青酸ソーダ)”は、体内に入ると人体に悪影響を及ぼす危険物質である。
声明文ではさらに、この青酸ソーダをグリコ製品に混入する犯行を全国で行うと予告していた。
また声明文の終わりには、以下のように書かれていた―、

「グリコを たべて はかばへ行こう」

この声明文を受け、大手のスーパーではグリコ製品の撤去が行われる事態となった。

【青酸ソーダ】
別名:「シアン化ナトリウム」または「青酸ナトリウム」。
主に工業的用途で使われる。毒性があり、経口致死量は成人で200~300mgといわれている。

[兵庫青酸菓子ばら撒き事件]

 

5月31日再び江崎グリコに脅迫状。
今度の要求は現金3億円。
指定する受け渡し日は6月2日、場所は大阪府摂津市内にあるレストランの駐車場であった。犯人らはそこに3億円を積んだ車を用意することを指示した。

そして現金受け渡しの6月2日―、
大阪府警察本部は指定場所周辺に30人ほどの人員を配備。これは特殊事件捜査係を中心に構成された盤石なものであった。
さらに、犯人側の要求に応えて警察が用意した車両には、ある仕掛けが施されていた。それはエンジンを人為的に強制停止させるというもの。
警察はこの装置を作動させるために、トランク内に無線機を装備した捜査員を1人忍ばせた。そして犯人がこの車両で走り去った後、警察の人員がスタンバイしている地点でエンジンストップさせ、車を包囲する算段であった。
こうした万全の体制で現金受け渡しに臨んだ大阪府警、あとは犯人が現れるのを待つのみとなった―。

そして20時45分頃―、
指定場所である駐車場にひとりの不審な男が現れる。そして男は例の車両に乗り込み、走り出した。あとは然るべきタイミングで装置を作動させて車を止めるだけであるが、なんとここでトラブルが発生。トランク内に潜んだ捜査員の無線機が不具合を起こし、外部からの指示を受け取れなくなってしまう。
これにより、予定の地点より手前でエンジンをストップさせる結果となったが、特殊事件捜査係の車両数台がこれを包囲。そして男はその場で取り押さえられた。

“再三、現金を要求しながらも指定場所に現れなかった犯人―、
散々、江崎や警察を弄び、世間を騒ぎ立てた。

警察は遂に、その一端となる男を捕まえた”

ところが―、
その後の警察の調べによって、この男は事件と無関係であることが判明。それどころか、この男(以下:Aさん)は犯人グループによって襲撃された事件の被害者であった。

 

Aさんについて

犯人らに代わって現金受け渡し現場(レストラン駐車場)に訪れたAさんであるが、この日彼は恋人の女性とドライブをしていた。ところが寝屋川市内(大阪府)で車を停車させていたところ、突然3人組の男たち(犯人グループ)に襲われた。
このとき時刻は20時15分頃、Aさんが現場に現れた僅か30分ほど前の出来事である。またAさんがいた寝屋川市は、レストランから約3kmという現場からすぐ近くの場所であった。

恋人とのドライブ中に予期せず襲撃されたAさん―、
彼は元自衛官であったため腕っぷしには自信があったが、さすがに男3人相手には敵わなかった。そんなAさんを犯人ら3人は無抵抗になるまで殴り続け、無力化させたところでAさんだけを車内に残し、犯人グループのうち2人がこれに乗り込んだ。
車から出された恋人女性であるが、犯人グループの残り1人が自分らの車両に乗せ、連れ去った。

一方、Aさんの車内に乗り込んだ犯人の2人はAさんを脅迫していた。

「俺たちの言うとおりにしろ。さもないと女の命の保証はない」

「これからあるレストランの近くまで行く。お前はそこで降りて、店の駐車場へ行け。そして○○に乗り込んで俺が指定する合流地点まで走らせろ」

こうしてAさんは言われるがままに行動し、図らずも警察に身柄を確保されてしまうことになる。
尚、犯人の1人に連れ去られた恋人女性であったが、21時30分頃に車から降ろされた。そしてこのとき、彼女は犯人からタクシー代として2,000円を渡されている。
また、犯人2人に強奪されていたAさんの車であるが、翌6月3日となる未明に寝屋川市内の神社の参道に乗り捨てられているのが発見された―。

 

この事件は、『寝屋川アベック襲撃事件』と呼ばれている。
(「アベック」とは、現在でいう「カップル」の古い呼び方)

恋人女性とのデート中に襲撃され、脅迫された挙句、警察に捕らえられたAさん。そう考えるとなんとも不運であった。しかしながら誤認逮捕を免れ、すぐに放免されたことをみれば、それは不幸中の幸いであったといえる。
(誤認逮捕され無期懲役となったケースもあるため、誤認逮捕は本当に恐ろしい)

ちなみに、警察がAさんを確保した際、Aさんから聴きだした合流地点まで捜査員数人が急行した。すると、そこに不審車両を1台確認。これに捜査員らが近づくと、突然走りだしたために追跡するも、国道1号線の交差点で見失ってしまう。

犯人グループはもう一歩のところで3億円を取り逃し、警察はもう一歩のところで犯人グループを捕り逃がしてしまった―。

[寝屋川アベック襲撃事件]

 

 

6月22日、今度は大阪府高槻市の「丸大食品」本社に脅迫状が届く。
その内容は以下のとおり―、

「グリコと同じ目にあいたくなかったら、5千万円用意しろ」

犯人側はこの要求に応じる意思確認の方法として、その意思があれば新聞にパート従業員募集の広告掲載をするよう指示した。

丸大食品は警察に通報。その上で犯人側の要求に応じる決定を下した。
丸大食品の意思表示を受けた犯人側は、「高槻市にある常務宅に現金入りのボストンバッグを用意して待機」という最初の指示を出す。
そして6月28日20時03分、犯人からの電話が入る。
電話口では女性の声で犯人側が指定した場所へ来るよう指示が出された。この女性の声は録音の音声であった―。

犯人側の指示を受け、大阪府警察本部特殊事件係の刑事7人が丸大食品の職員になりすまして指定場所へ。するとそこに犯人らしき人物はおらず、その代わりに指示書が置かれていた。
この指示書によると―、

“国鉄「高槻駅」で指定する時刻の京都行き電車に乗り、車両左側の車窓から白い旗がみえたらすぐに現金入りのバッグを投げ落とせ”

ということであった。
これを受けて捜査員らは犯人指定の京都行き電車に乗り込むも、大阪府警の方針により、バッグを投げ落とさずに終点の京都まで乗ることとなった。

京都へ向かう電車内―、
捜査員の1人が不審な男を発見。この男は切れ長のキツネ目が特徴的であった。
キツネ目の男は、丸大食品の社員に扮した捜査員を見張るような挙動で、何か警戒しているような様子であった。捜査員もこのキツネ目の男を終始警戒し、車内でも目を離さなかった―。

京都に到着した捜査員は、折り返しの電車に乗る。するとこの電車内にもキツネ目の男の姿が。捜査員らは明らかに挙動不審なこの男への警戒を強めた。
(通常、ここまで怪しい人物であれば職務質問をかけるべきであるが、実はこのとき大阪府警は”現金の受け渡し時に犯人を現行犯逮捕する方針”を固めていたため、電車内の捜査員らには逮捕権ひいては職務質問の権限を与えていなかった。そのため、現場の捜査員らは命令がない限りは、犯人や不審人物への接触は制限されており、警戒・尾行以上のことはできなかった。尚、捜査員が電車から現金入りのバッグを投げ落とさなかったのはこの方針によるためである)

やがてキツネ目の男が電車を降りる。捜査員はその後をつけるが、改札口を出たところで雑踏に紛れた男を見失ってしまった。
(一説には、行きの電車の終点「京都駅」で捜査員は男を尾行したが、駅構内でまかれてしまったともいわれている)

警察によって作成された「キツネ目の男」の似顔絵。『グリコ・森永事件』を象徴する有名なアイコンである。

[丸大食品脅迫事件]

 

6月26日、マスコミへ犯人グループからの手紙が届く
その内容は―、

「こども なかせたら わしらも こまる 江崎グリコ ゆるしたる」

それは事実上の、江崎グリコに対する脅迫の終息宣言であった。
また—、

「ヨーロッパへ行く。来年1月に帰ってくる」

終息宣言と併せて犯人グループは、国外逃亡を示唆。
ところがその後また手紙が届き―、

「警察がうるさくて行けなかった。ひと仕事してからまた行くつもりだ」

犯人グループは律儀にも、海外逃亡計画が頓挫したことを報告している。

 

『グリコ・森永事件』ここまでの所感

本編冒頭にも触れているが、最初に起きた江崎の拉致事件、そしてその直後に江崎宅へ脅迫状が送りつけられた事件以降、犯人グループの標的は「江崎 ⇒ グリコ」というように変遷している。犯人らが意図的にそうしたのかは明らかになってはいないが、筆者は犯人らがこれを意図していたとみている。

江崎の拉致後―、
新聞社へ犯行声明文を送り、”自らの声”が世間へ轟いたことで、恐らく犯人らは高揚したのだと思う。そこで犯人らは次に、「江崎グリコ本社」と「グリコ栄養食品」に放火。
グリコ本社の放火においては―、大火災を目論んでいたのではなく、あくまで脅しの範疇で考えていたと推察。
またグリコ栄養食品の放火に関しては―、建物に火を放つ機会を得られなかったか、本社放火の延長、更なる騒ぎを起こす目的でちょっかい程度に行ったのだろう。

世間からすれば、第1の事件となる『江崎グリコ社長拉致事件』(3月18日)の間にあった「江崎宅への脅迫状」や「新聞社への犯行声明文」は無きに等しく、この放火事件(4月10日)が世間にとっての第2の事件となった。
この放火事件の報道、そしてそれに反応する世間の様子をみて、犯人らは手応えを感じたはずである。これはその後、江崎グリコ宛てに送りつけた脅迫状(4月23日)からもみてとれる。犯人らはそれまで脅迫状・犯行声明文を各所に送りつけているが、このときから「かい人21面相」を名乗りはじめている。これに対する筆者が抱いた印象は、”調子に乗ってきたな”というほかになかった。きっと犯人らにしてみても、楽しくなってきてしまったのだろう。

変遷したものといえばもうひとつ、「標的」のほかにもある。それは、「犯行の方針」。
犯人らは何度も脅迫状を送り、その度に多額の金を要求していたが、いずれも現金の受け渡し時に現れなかった。ところが
6月2日の3億円受け渡し時においては、第三者を利用して現金の受け取りを試みている(寝屋川アベック襲撃事件)。このとき犯人らは受け渡し場所に直接現れたわけではないが、その影をみせた。”現場に姿を現した”のである。
(尚、姿をみせなかったそれまでの現金受け渡しの際にも、犯人らは現場付近で様子を窺っていたことは間違いない)

当初、”金はいらない”という姿勢であった犯人らであったが、途中から”金を受け取ろう”という様子をみせはじめた。
最初から金を受け取るつもりで、ずっとそのチャンスを窺っていたという見方もあるかもしれないが、筆者はそうは思わず、犯行を続けているうちに欲が出てきたのだと思う。つまり、調子に乗ってきたのである。”いちびってきた”のだ。

また、グリコに対する脅迫の終息宣言となる6月26日の”お手紙”では、「許してやる」としてそれ以上の犯行を犯さないことを示唆。その様はまるで、ひとしきりボコボコにして気が済み、捨てゼリフを吐いて立ち去るいじめっ子のようだ。
この終息宣言もさることながら、海外逃亡を示唆する一文も笑える。

「ヨーロッパへ行く。来年1月に帰ってくる」

これは旅行者のことづけだろうか。
極めつけは―、

「警察がうるさくて行けなかった。ひと仕事してからまた行くつもりだ」

言わせてもらえば、”知らんがな”である。
なにより、警察がうるさいのは自分らのせいであるし、”ひと仕事”はその言葉どおりの「お仕事」なのか、「ほかなる犯行」という意味なのか。

「拉致」、「脅迫」、「放火」、「暴行」などの様々な犯行が行われている手前、本事件を茶化すつもりはないが、正直なところ筆者には犯人らが幼稚でどこか可愛くすら思える―。


パート3】へ続く。

 

【特殊事件捜査係】
日本警察の刑事部に設置されている部署のひとつで、高度な科学知識や捜査技術を備える組織。
その通称は統一されておらず、日本各地の警察組織によってそれが異なる。

警視庁(東京)、愛知県警:SIT (Special Investigation Team)
大阪府警:MAAT (Martial Arts Attack Team)
神奈川県警:SIS (Special Investigation Squad)
埼玉県警:STS (Special Tactical Section)

拉致やハイジャック事件、爆破事件といった大きな危険が伴ったり細心の注意を要する局面に臨む特殊部隊。その職務は人質の救出や犯人確保に特化している。