池田大作サリン襲撃未遂事件

これはオウム真理教が起こした一連の事件に関する記事です。本記事では【第9のオウム事件】について言及しています。
本編単体でもお読みいただけますが「オウム事件シリーズ」となっているため、第1の事件から順にお読みいただいた方が事件関連の出来事や語句、人物など、より理解が深まります。

【第1のオウム事件】オウム真理教在家信者死亡事件

【第2のオウム事件】オウム真理教男性信者殺害事件

【第3のオウム事件】坂本堤弁護士一家殺害事件

【第6のオウム事件】オカムラ鉄工乗っ取り事件

【第7・8のオウム事件】オウム真理教男性信者逆さ吊り死亡事件 / 亀戸異臭事件

※記事中には、関連する人物や語句などのリンクが各所にあります。別記事から本記事へ戻る際には、ブラウザの「戻る操作」でブラウザバックしてください。


 

“奴らは外道”

 

『池田大作サリン襲撃未遂事件』の概要

1993年(平成5年)11月12月の二度に渡り、オウム真理教信者らによって創価学会名誉会長・池田 大作が襲撃された暗殺未遂事件。

教団が神経ガス「サリン」を用いた最初の事件であり、後に教団が巻き起こす惨劇の序章となった。

 

本事件のキーパーソン

土谷 正実 (つちや まさみ)


1965年1月6日生まれ。東京都出身。
教団幹部。ホーリーネームは「クシティガルバ」。教団内では厚生省次官を経て、第二厚生省大臣を務めた。最終ステージは正悟師
教団の化学者として薬物や化学兵器を製造、麻原から重宝される人物のひとりであった。化学に秀でたそのパーソナリティーから、マスコミには「化学班キャップ」と呼ばれていた。

 

裕福な家庭の長男として生まれた土谷―、
その幼少期は内向的で大人しかったが、中学校に入学すると明るく活発なクラスの人気者となった。

高校時代はラグビー部に所属。高校3年間はこれに熱心に打ち込み、チームの中心選手として活躍した。相変わらず陽気でひょうきんなキャラクターで同級生のみならず後輩にも慕われていた。
ラグビーに熱中していたこともあって成績は振るわなかったが、高校2年生の時に化学に興味を持ちはじめる。やがて本腰を入れて科学の勉強をはじめると、たちまち化学にで学年トップとなる。しかしながら、教師が代わるとその成績が極端に落ち込むなど、非常にムラがあった。
高校生の土谷はこうして学習を進めていく中で、人間が一生のうちに脳細胞の僅か数パーセントしか使わないことを知る。これに”脳細胞をもっと活用できるはずだ”と考えた土谷は、そこから非科学的な思考に偏向していくことに。そんなときちょうどテレビでヨーガの存在を知り、これに興味を持ちはじめた。

1984年、1浪を経て筑波大学第二学群農林学類へ進学。
ここでもラグビー部に入部するも、僅か1か月ほどで怪我による退部を余儀なくされる。大好きなラグビーができなくなったことで、自暴自棄となった土谷の私生活は荒れ果てた。酒浸りの生活、金や時間にルーズになり、破滅的な毎日を送っていた土谷。
やがて高校時代からの恋人との関係が悪化し、これに深く傷ついた土谷は自ら胸をナイフで切りつけた。
このとき土谷は―、

「肉体的苦痛により精神的苦痛が和らいだ」

「この気持ちを合理的に説明するのは宗教だ」

「新たな価値観を見いだせる団体が見つかったら所属しよう。それまでは得意な化学の能力をさらに伸ばしておこう」

そう感じ、そう考えた。
結局、大学ではあまり勉強しなかった土谷であったが、化学にだけは熱心に取り組んだ。

1988年、筑波大学を卒業すると、同大学院博士前期課程化学研究科へ進学。
ここで指導する教授などは、「彼は将来、国際的な研究者になる」と土谷を高く評価していた。しかしこうした周囲の期待を裏切るように、土谷はオウムに傾倒していくことになる。

1989年4月―、
友人の誘いで麻原彰晃の説法会に赴き、そこで科学に精通した村井 秀夫に関心を抱いた土谷は、村井の勧めでその日のうちにオウムの世田谷道場(東京)を訪問。そこで”ここなら本格的なヨーガの修業ができる”と確信し、即日入信した。

入信後、教団の指導どおりヨーガの修業をすると、長年患っていた椎間板ヘルニアが快癒。さらには神秘体験も経験。そして畳みかけるように麻原の著作『超能力秘密の開発法』、これを読んだ土谷は大いに感銘を受け、オウムひいては麻原に心酔した。

その後土谷は博士後期課程に進むも、この頃にはすでにオウムに浸かりきり。研究室には姿を現さず、やがて中退した。それから様々な問題を起こしながら、1991年9月5日に出家した。

出家後、化学に秀でた土谷はやはり教団内でも高く評価された。麻原の期待も大きく、それ故に昇格のスピードも速かった。
教団の拠点であった旧・上九一色村の一画には自身のホーリーネームを冠した「クシティガルバ棟」を与えられ、そこで上役の村井 秀夫
の指示の下、化学兵器製造に駆り立てられていった。

 

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事件の解説

信者や資金を着実に増やし、隆盛期にあったオウム真理教―、

その教祖である麻原 彰晃は、同じ新興宗教の中でもとりわけ強大であった創価学会を敵視していた。
“信者数の多い創価学会の存在は教団繁栄の妨げとなる”と危惧した麻原は、その絶対的存在の池田 大作を消す必要があると考えた。

このときも麻原は、「池田 大作は日本を侵略する秘密結社の手先」「多くの人を騙している」などとお得意の論法を展開。
その結果、「池田 大作をポアしなければならない。サリンでな」と教団幹部らに言って訊かせた。

 

そして1993年8月、土谷 正実がサリンの合成に成功。これを受け、麻原は暗殺計画実行の命令を下した。
このとき麻原から「サリンを撒いてみろ」と言われていた幹部らは、ラジコンヘリでの空中散布を考案。ところが実行前のシミュレーションの際、操作ミスでラジコンヘリが大破してしまう。高度な操縦技術を必要とする空中散布での作戦は白紙に戻り、より現実的な車両を用いたものに変更された。

 

暗殺計画実行 -1回目-

1993年11月

村井 秀夫、新実 智光中川 智正滝澤 和義の4人によって暗殺計画は実行された。
4人は乗用車で東京都八王子市の創価学会東京牧口記念会館へ。

創価学会東京牧口記念会館 (東京都八王子市谷野町)

画像引用:聖教新聞

ちなみに、教団はこの創価学会東京牧口記念会館の平面図を入手しており、浴場付きのプライベートルームの存在も把握していた。
(それが池田専用であることは間違いない)

 

池田の暗殺計画実行―、
このときの装備はサリン600gの入った農薬噴霧器。これを背負い、施設から出てくる池田を待ち伏せ
。そして何も知らない池田がやってきたところを攻撃する算段であった。

背負い式農薬噴霧器「霧どんどん」
このときの犯行に使われたといわれている

ところがいざ襲撃となると、サリンは霧にならずにボタボタと路上に滴り落ちてしまい、池田に被害を与えることはできなかった。それどころか不規則に飛び散ったサリンで自らが被害を被ることに。これにより僅かではあるものの、4人の中にはサリンの中毒症状が出た者がいた。ガスマスクを着用していなかったためである。

4人は作戦に失敗、すぐにその場から逃走した。

 

暗殺計画実行 -2回目-

1993年12月28日―、

この日、創価大学(東京都八王子)では演奏会が行われる予定になっており、池田もこれに出席することになっていたが、教団はこの情報を事前に入手していた。

このときの作戦実行メンバーは、村井 秀夫、新実 智光、中川 智正、遠藤 誠一。
装備はガスバーナー式加熱気化噴霧器を搭載したトラック(サリンカー)。用意したサリンは実に3kgにも及んだ。

ガスバーナー式加熱気化噴霧器のイメージ
(教団は恐らく草焼きバーナーの類を改造したものと思われる)

大学の敷地内でスタンバイしていたサリンカー。そして作戦決行の時―、
その車上からサリンをばら撒くため、噴霧器を稼働させると突然これが発火。4人は想定外の事態にパニックに陥った。この騒ぎで会館の警備に当たっていた学会員が不審な4人に気付き、車で追跡を開始。これにより4人は撤退を余儀なくされるも、逃走しながら3kgのサリンの散布を完遂した。
とはいえ、ターゲットであった池田へ危害を加えることができず、このときも作戦は失敗に終わった。

 

この逃走の際―、
運転役であった新実は、サリンカーをバックさせるときにガスマスクを外していた。視界が悪いためである。ところがガスマスクを外してしまったせいで、散布のサリンを大量に吸入。これにより重体に陥ってしまう。
新実は村井や遠藤による人工呼吸を受けたのち、すぐにオウム真理教附属医院に搬送された。一時は危険な状態にあった新実であったが、病院で治療を受けたことにより一命を取り留めた。

尚、このとき新実のみならず、追跡していた学会員らにもサリンの中毒症状が現れた。この学会員らが訴えたのは、視力減退や倦怠感といったサリン中毒特有のものであったが、幸いにも軽症であった。その後、被害に遭った学会員らは快癒し、後遺症が確認されることもなかった。
そのため、創価学会はこの件を警察に通報することはしなかっただけでなく、事件を表沙汰にすることすらしなかった。不問にしたのである。
ところが
後にオウムの人間が漏らしたことで、本事件は世に知られることとなった。

創価学会側はこの2つの襲撃事件を受け、情報管理の徹底化を図り、池田の行動予定の漏洩防止を強化。さらには組織の中から厳選した職員による「第一警備」を発足させ、池田の身辺警護に当たらせた。

 

おわりに

こうしてみると、筆者には本事件が異様に映る。というのも、これはいわば暗殺未遂事件であり、この事件で創価学会は2度も攻撃を加えられている。にもかかわらず、警察沙汰にもせず表沙汰にもせず、まるで何も無かったかのような動きをみせた創価学会。これが筆者には不可思議で、逆に不穏なものすら感じてしまう。しかし簡単に言えば、「寛大」であったということで、あれやこれや考えるのは邪推なのかもしれない。

何にせよ、池田氏自身に被害が及ばなかったことこそ、この事件で創価学会が事を荒立てなかった大きな理由であったことは間違いない。
もしもこのときオウム側が暗殺計画に成功していたなら、それこそ創価学会側も何がしかのアクションを起こしていただろう。下手すれば”宗教戦争”が勃発していたかもしれない。

オラクルベリー・ズボンスキ(小野 天平)

 

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コラム 【オウム真理教 サリンプラント建設】

麻原は兼ねてより化学兵器の製造を目論んでおり、そのために必要不可欠なサリンの大量生産計画を打ち立てていた。そしてそれを実現すべく実行されたのがサリンプラントの建設である

サリンプラントの建設は1993年9月頃、「いきなり大きいのを造ろう」と麻原から指示が下されたことから開始された。この設備は教団の拠点であった山梨県の旧・上九一色村にあった第7サティアン内に製造された。

第7サティアン (98年9月撮影)

このサリンプラント製造計画は「ウパヴァーナプロジェクト」と呼ばれていたが、これはこの計画の責任者・滝澤 和義のホーリーネームにちなんでいる。
サリンプラント建設に伴い、幹部らは滝澤をサポートした。村井 秀夫や中川 智正などは技術的支援を、また新実 智光や長谷川 茂之らがサリン製造に必要な薬品の手配といった物的支援を行った。

【新実と長谷川の薬品入手法】
薬品入手のため、新実は一般信者であった長谷川の名を使ってダミー会社を設立している。その名も「長谷川ケミカル」。社長は長谷川である。
新実がこのダミー会社設立の際に長谷川を使ったのは、長谷川が表立って知られていないこと、そしてかつて化学会社に勤めていたという経験から。

新実らはこのダミー会社でサリンの原材料をトン単位で購入していたほか、爆薬「ニトログリセリン」の原材料であるグリセリンを72トンも購入している。
(ちなみに、このとき新実らは相場より高い額で薬品を購入しているが、おそらくこれは販売者に怪しまれていたものと推察。”高く買うから”ということで取引に応じてもらったのだろう)

 

 

幹部らのサポートを受けながら進められたサリンプラントの建設であったが、これが難航。それをみた麻原は半ば脅すようにして、滝澤にその完成を急がせた。
最終的に麻原は”無間地獄行き”をちらつかせながら、滝澤に1994年4月25日までに完成させることを厳命した。
ところが結局、滝澤のサリンプラント建設はこれに間に合わなかった。

麻原の期待に応えられなかった滝澤であったが、尚も不眠不休で建設を続けていた。
そして1994年7月9日、滝澤は睡眠不足や過労からバルブの栓を閉め忘れてしまったことにより、独特の刺激臭を持つ「亜リン酸トリメチル」が施設中に充満。これが施設から漏れ出たことにより、周辺住民を巻き込んだ異臭騒ぎを巻きへと発展した。

旧・上九一色村といえば、富士山の麓にある村。故に人は少ない。さらにはこのとき午前1時頃、つまり多くの人が眠っている時間帯。こうした中、異臭騒ぎとなったということは、相当な量の亜リン酸トリメチルが流出したとみられる。

 

周辺住民を巻き込むほどの異臭騒ぎを起こした滝澤であったが、その僅か6日後にも同様の騒ぎを起こした。さらには11月にも起こしている。
滝澤はもはや疲労困憊であったが、麻原は滝澤を休ませることなくその完成を急かし続けた。

 

そして―、
11月の異臭騒ぎからまもなくして、教団内に”警察の強制捜査が入る”という情報が流れる。
これを受け、サリンプラントの建設は急遽中断。さらには、タンクに「二次発酵原料」「汚泥沈殿」と書いて肥料工場に見せかける偽装工作を行った。

そのほかタンクには「ウンコ」も書かれた。
さらに教団は、強制捜査の際に警察を退散させるため、糞尿を撒くつもりであった。

 

11月の異臭騒ぎ直後、周辺住民の通報を受けていた警察は山菜採りを装って第7サティアン周辺の土壌を採取。そしてこれを調べた結果、サリン製造の証拠となる物質を検出した。

サリン製造の証拠を掴み、強制捜査のタイミングを窺っていた警察であったが1995年1月1日、読売新聞がこれをスクープ。これにより教団は、警察がサリンプラント建設を嗅ぎつけていると知る。
そこで教団は第7サティアンのカムフラージュを画策。神殿に偽装するために、急設えで施設内にシヴァの像を設置した。

シヴァ (ヒンドゥー教の神)

シヴァ像は発泡スチロール製であった。
これをみた村井は、「目からレーザー光線が出たりしてね」などと軽口を叩いていた。

発泡スチロール製シヴァの手

 

そして―、
1995年3月22日、第7サティアンに強制捜査が入る。
神殿然としていた施設内であったが、警察が立ち入ったことで全貌が明らかに。追及された教団は「農薬の製造工場だったが、建設に失敗したので神殿にしただけ」と誤魔化した。

トラブル続きで遅々としていたサリンプラント建設であったが、この時点で全5段階の工程中4段階まで完了していた。ところがこうして、オウム真理教のサリンプラント建設計画は失敗に終わった。

その後公開されたサリンプラント

このサリンプラントの規模は史上最大級ともいえる大規模なものであり、その建設費は実に30億円であったともいわれている。

 

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【創価学会】

創価学会の三色旗(八葉蓮華章入り)
青は「平和」、黄は「栄光」、赤は「勝利」を表す

:そうかがっかい
日本の代表的な新興宗教。1930年(昭和5年)11月18日創立。東京都新宿区信濃町に本部を置く。
創価大学の母体であるほか、宗教政党「公明党」の支持団体として一般に知られる。名誉会長は池田 大作。(1979年4月就任-現職 / 2020年3月現在)

 

池田 大作 (2010年撮影)

政界などにアンチが多いほか、組織内にも池田に対する批判的な立場を取る幹部も多い。そのため池田を嫌って脱会した幹部も多数いる。
人に嫌われるそのパーソナリティーを象徴するエピソードとして、ある評論家によるインタビューがある。
池田はこのインタビューで、「私は日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」と豪語した。

 

創価学会といえば、芸能界の中にも多くの学会員(信者)がいることで知られている。しかしその一方で、多くの著名人が批判している。実際、創価学会は社会問題や疑惑に事欠かず、フランスやベルギーではカルト指定されている。

[タブー視される創価批判]
日本においては、マスメディアで創価学会の批判をすることはタブー視され、これは「鶴タブー」と呼ばれている。(近年では単に「創価タブー」ということが多い)
創価批判がタブー視された原因は池田による圧力にほかならず、実際に70年代には創価学会の批判本を出版した関係者すべて(著者、出版社、取次店、書店など)に圧力がかけられた。このとき池田は社会からの強い批判を浴び、謝罪している。
しかし近年においてもその圧力はなくならず、創価学会は憲法で保障された「言論の自由」「出版の自由」といった自由権を侵害し続けている。

創価学会が「宗教」であるか『カルト』であるかは、個人の感性に依存する。どちらにせよ、日本に深く染み込んでいることは間違いない。

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【サリン】

着色されたサリン

神経ガスの一種。無色・無臭。自然環境中には存在しない。
化学兵器としてのサリンは1938年にナチス・ドイツが独自開発し、翌1939年に開戦した第二次世界大戦で大量生産された。
こうした中、ナチスの指導者アドルフ・ヒトラーは、サリンによる化学兵器の実戦投入を側近に進言されたものの、彼自身が
これに消極的であったためにサリンが実用されることはなかった。

ヒトラーがサリンの実戦投入に消極的であったのは、自身が毒ガス攻撃で一過性の障害を負った経験があったから。
つまりその苦しみを分かっているだけに、それ以上の苦しみをもたらすものを武器として用いることにヒトラーは懐疑的であったということである。

悪名高いヒトラーが武器としての使用を拒むほどの脅威、それがサリンである。
いかにサリンがヤバいかを感じていただけるだろうか。またそのサリンを躊躇なく用いたオウムのヤバさも。

 

[毒性]
殺傷能力が極めて高い。大量吸入した場合、数分で症状が現れる。サリンの恐ろしい点は、呼吸器系からだけでなく、皮膚からも吸収されるということ。そのためこれを取り扱う際には、ガスマスクだけではなく防護服が必要となる。
尚、サリン僅か200mgが”服の上から”皮膚に付着しただけで、成人男性が死亡する。つまり女性はさらに少量で、子どもはさらに少量で死に至る。
一説には、皮膚に直接一滴垂らすだけで確実に死に至らしめるともいわれている。いずれにせよ、極めて危険なものであることは間違いない。
またサリンは揮発性が高いため、サリンが衣服や皮膚に付着するとこれが気化する。この気体になったサリンを周囲の人たちが吸入するなどして、二次被害が起きてしまう。

[症状]
低濃度サリンの場合:
縮瞳*、呼吸困難、めまい、頭痛、胸部圧迫感、発汗、嘔吐(嘔気)、腹痛、下痢、倦怠感、不安感

*瞳孔が過度に縮小すること。低濃度サリンによる症状の中では多くみられる。

高濃度サリンの場合:
心肺停止、全身痙攣、意識混濁、失禁

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【滝澤 和義】
:たきざわ かずよし
石川県出身。オウム真理教の幹部のひとり。ホーリーネームは「ウパヴァーナ」。
教団内では科学技術省次官を務めた。最終ステージは師長

1988年に専門学校を中退し出家。在学中は制御工学を学んでいた。
麻原からの評価は低かった。

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