伊勢市女性記者行方不明事件 -1-

 

“忽然と姿を消した女性記者。事件の顛末は―”

 

『伊勢市女性記者行方不明事件』の概要

1998年(平成10年)11月24日深夜、三重県伊勢市に居住の記者(編集者)が勤務先である出版社を出たのを最後に、消息不明となった事件―。

 

東南アジアでの大旅行の中で、彼女が出会った現地の難民男性”R”。彼女が言った思わせぶりな言葉、そしてその気になってしまったR。

事件の関与を疑われた”X”という人物。このXの素性、そして失踪した彼女との関係。

警察の真摯さに欠けた対応、それが招く遅すぎた初動捜査。「警察」、「検察」、「裁判所」―、正義の権力の揺らぎ。

“売春島”と呼ばれる島にまつわる噂。

北朝鮮による拉致。

 

本事件は―、
さまざまな出来事と憶測が複雑に絡み合った謎多き行方不明事件である。

 

[失踪日について]
事件当時の状況から―、
筆者は彼女が失踪したのは、11月24日の0時を過ぎた翌25日であると考えますが、本記事では公式情報に順従して失踪日は11月24日とします。

 

失踪した女性について

辻出 紀子 (つじで のりこ)


生年月日:1974年11月3日

生まれは母親の実家のある宮崎県宮崎市(旧・宮崎郡佐土原町)であるが、誕生の翌月に父親の赴任先であった徳島県徳島市に移る。その翌年8月には、再び父親の仕事の都合から三重県一志郡一志町(現・津市一志町)へ。三重県は父親の故郷であり、彼女は同県内にある父親の実家で育った。

・一志町立波瀬小学校 (現・津市立波瀬小学校)
・一志町立一志中学校 (現・津市立一志中学校)
・三重県立津高等学校

これらを経て1993年、立命館大学(京都府)に入学。法学部で政治・行政を専攻した。

在学中の1996年秋、「GON! (ミリオン出版)」の読者モデルとして誌上に登場。
彼女にはこのとき交際していた男性がいたのだが、その彼は同誌のライターをしていた西牟田 靖と友人であった。この年、西牟田氏が組んだ「大阪梅田地下街完全攻略大作戦」という企画の中で”カップル”が必要となり、西牟田氏は旅仲間であった辻出さんの交際男性に声をかけた。すると、彼はこのときちょうど辻出さんと交際したばかりであり、「彼女できたんで、連れていきますわ」と快諾した。それはまさに”渡りに船”―、辻出さんが「GON!」に登場したのは、こうしたいきさつだった。

撮影当日、辻出さんはひざ丈スカートのワンピースに赤いカーディガン姿。このとき彼女と初めて対面した西牟田氏は、”上品で大人しそう”という第一印象を抱く。しかしひとたび話すと、「明るく活発な女性であることが分かった」と語った。

この企画はその翌年の1997年10月号に掲載され、彼女は「小田 さくら」という仮名で登場した。

雑誌のロケ企画に登場した辻出さん。高校時代に演劇部であった彼女は、ポーズのリクエストにも快く応えた。
撮影:酒井 透 ,「GON!」(ミリオン出版) 97年10月号より

 

“上品で大人しそう”という見た目と、”奔放、そして明るく活発で好奇心旺盛”という中身―、
このギャップこそ、辻出 紀子という女性を形づくる彼女のパーソナリティーであるが、それを象徴するエピソードをここでひとつ。

辻出さんは大学4年生(1996年)のとき、4か月にも及んで東南アジア周辺を旅行したのだが、そこでミャンマーとタイの国境付近で政府軍に拘束されてしまう。このとき現地の難民キャンプで写真を数多く撮影していた辻出さんであったが、政府軍に写真フィルムを提出するよう要求される。ところが彼女は下着の中にフィルムを忍ばせ、没収を免れたという―。
この一幕からは、辻出さんの確固たるジャーナリズム精神、そして難民問題に強い関心を寄せていたことが窺える。

また、この旅行の中で訪れた「カレン族」の難民キャンプでひとりの現地男性(以下:R)と出会い、辻出さんはその彼に特別な感情を抱いた可能性がある。

バングラデシュの難民キャンプで子どもたちに囲まれる辻出さん

そして1997年の大学卒業後―、
同年4月、三重県伊勢市に本社を置く出版社「伊勢志摩編集室」に就職。
彼女がちょうど2年目を迎える1998年4月、同社は社名を現行の『伊勢文化舎』へ変更。入社後1年目は雑用であった彼女も、この2年目には特集を任せられるほどに成長。同社の主力誌である「伊勢志摩 (現・伊勢人)」を担当することとなった。そうして編集者兼記者として忙しい毎日を送りながらも、充実した私生活を送っていた彼女。
事件が発生したのは、そのような発展の兆しがみえだした頃。辻出さんが24歳のときであった。

辻出さんが勤めていた「伊勢文化舎」

 

辻出さんの身体的特徴 (失踪時点):
・身長 約161cm
・体重 約46kg
・頭髪 黒のセミロング
・左薬指の付け根に1cm大の火傷痕あり

 

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【難民男性R 関与説】事件の解説と筆者の推察

1998年(平成10年)11月24日 23時頃、辻出さんはこの日の勤務を終え、『伊勢文化舎』を後にしたまま消息不明となったわけであるが―、
実は彼女、この前日まで休暇を取って4泊5日の東南アジア旅行(11月19日出発)に出ており、このときカレン族の難民キャンプを訪ねていた。この難民キャンプとは、「東南アジア4か月旅行 (’96年/大学4年生)」で訪れた場所であるとみられ、つまりそれはRがいる場所を意味する

 

⇒【筆者の推察】失踪直前の「4泊5日旅行」はRに会いに行く目的だった

筆者がそう考える理由として以下のようなエピソードがある。
これは同じく「東南アジア4か月旅行 (’96年)」のときのこと、辻出さんとRが難民キャンプではじめて出会ったときの会話内容である―、

「自分は難民だからどんなに勉強したって仕方ない」

 

悲観的な言葉をこぼしたRに対して辻出さんは、

「私と結婚すればここから出られるのにね」

 

そんな思わせぶりなことを彼に言ったという。

 

そして―、
失踪直前の「4泊5日
旅行 (’98年)」は友人(以下:S)と2人で行っていたのだが、Sはひと足先に帰国。その後、辻出さんも失踪前日に帰国しているわけであるが、この翌日(失踪当日)に辻出さんはSにある一通のメールを送っている。

問題解決したと思ったら、またビッグプロブレム(大問題)勃発です!くそー、なんであんなに可愛いんだ!すみません、ひとりごとです!

 

という内容である。
これは一見するとなんとも要領を得ない文面であるが、その文章から読み解くことのできるものがある。
まずは「問題解決」―、
この”問題”とは、かつて辻出さんがRに言った思わせぶりな台詞により、Rに”ノリコと結婚できるのではないか”と期待を抱かせてしまったこと。つまり失踪直前のこの旅行で辻出さんは、その誤解を解くことに成功したと考えられる。
事実、辻出さんはこの旅行に際し、「彼の誤解を解きたい」とSに話していたことが分かっている。すると先に記した筆者の推察、『
失踪直前の4泊5日旅行はRに会いに行く目的であった』というのは当たり前となる。しかし筆者が言いたいのは、”誤解を解く”というのはRを訪ねるための大義名分であり、彼女自身はただ彼に会いに行きたかったのではないかということである。
この仮説を立てると、辻出さんがSに送ったメールの「なんであんなに可愛いんだ!」という言葉の意味がみえてくる。すると自ずと彼女の心情、そしてこの旅行中(Sが先に帰国した後)に何があったのかということが浮かび上がる。

 

【謎】ここでの不可解な点

辻出さん失踪の当日、Sへ送られた意味深長な1通のメール。
事件発覚後、Sはこのメールをある関係筋に公開している。このときSはメール画面を直接見せたのではなく、それを印刷したものを見せている。
するとこのメールの送受信は携帯電話同士によるではなく、パソコン同士のものであったことがまず分かる。
(この頃は携帯メールが1通10円の時代。まだまだ携帯電話でのやりとりは一般的ではなかった)

印刷されたメール画面に記された受信日時は[11月24日 12:12]、つまり失踪当日の昼。
このことから、例のメールは辻出さんが会社のパソコンからSへ送ったということが導き出される。おそらくは、昼休み中に自分のデスクで食事をしながら送ったのだろう。ところが―、
メール画面を印刷したその紙には手書きで修正が加えられていた。その箇所というのがほかでもない”受信日時 11月24日 12:12″であり、これが横線で消され、[02:41]と書き直されていた。

Sはなぜわざわざメールの受信日時を修正したのか。それも誰がみてもわかる手書きによる修正。そして、書き直された「11月24日 02:41」の意味は―。

 

[実際の受信日時] 11月24日 12:12 ⇒ [書き直された日時] 11月24日 02:41

メールの受信時間は10時間ほど早められている。午前2時といえば真夜中。この時点で辻出さんがパソコンを所有していたかは定かではないが、この時代はパソコンがまだ一般化しておらず、”1人に1台”などというものからは程遠い。
辻出さんがパソコンを所有しておらず、また住んでいた実家にもなかったと仮定すると、彼女はこのメールを会社から送信していることになる。それも真夜中の2時にだ。さらにいうならば、旅行から帰ってきたばかりの状況で。

とはいえ―、
そもそもSが書き直した[02:41]に対してあれやこれや臆度する必要などない。メール画面に表示された受信日時が正しいのは間違いないのだから。

結局、Sによるメール受信日時の書き換えに関しては筆者も皆目見当がつかず、不可解でならない。しかし確かにいえるのは、Sがメールの受信日時を早めなければならない何らかの理由があったということだ。

 

【難民男性R 関与説】結論

ここまでお伝えして、筆者が描く「4泊5日旅行」のシナリオは―、

’96年の「東南アジア4か月旅行」でRと出会った辻出さんは、彼に好意を抱く。それは恋愛感情とまではいかなかったが、辻出さんはつい彼に思わせぶりな態度をみせてしまった。それによりRは辻出さんを意識し、求婚するように。

そして’98年―、
辻出さんはRと再会するため、失踪直前となる「4泊5日旅行」で難民キャンプを訪ねるが、社会人となった辻出さんに許されたのは僅か4日の滞在。辻出さんはキャンプを去る際、Rに「帰らないで」と懇願され、その様子に心を揺さぶられる。(これがSへのメールの「なんであんなに可愛いんだ!」の意味)。

事件の関与が疑われているカレン族のR。この写真は辻出さん在学中の「東南アジア4か月旅行」のときに撮影されたもの。
画像:「ニコ生タックルズ」(TABLO)

 

本事件における様々な説の中に、『Rとの駆け落ち説』がある。それを唱える者の中には—、

“実は辻出さんは、「4泊5日旅行」から帰国していなくて、現地でRと愛の逃避行に出た”

そう憶測する者もいる。
しかし辻出さんはこの旅行から帰ってきて、その翌日(失踪当日)に出社している。さらにはその後、彼女が出国したという記録はない。つまり、彼女が現地でRと逃避行に出たということはまず考えられない。
一方で、辻出さんの大胆で奔放なパーソナリティーをみれば、”Rを日本へ連れてきてしまう”なんてことも一瞬頭によぎるが、難民のRを日本へ連れてくることはあまりに現実離れしている。また辻出さんを訪ねる目的で、Rが自身の力で単身日本へやってくることもまた非現実的。

辻出さんがRに対し、他の現地難民にはない特別な感情を抱いていたことは間違いなさそうであるが、それでRと辻出さんの関係が発展していくということは考えづらい。なぜなら彼女は男性関係にも奔放であったからだ。彼女がRにみせた思わせぶりな態度もこれに起因している。
これは乱暴な言い方になるが、おそらく彼女は男性を”つまみ食い”していた。そのため、Rはそのうちの1人にしか過ぎなかったというわけである。

こうしたことから筆者は、「Rとの駆け落ち説」をはじめとした『難民男性R 関与説』を完全に否定。

Rは辻出さんの失踪に関係していない。

 

[その後のRに関して]
ある関係筋の情報によると、その後Rは「市民権を得てタイ・バンコクで暮らしている」とも「アメリカに移住した」ともいわれており、現にUNHCRの手引きで約7万人の難民がアメリカに移住したという記録が残されている。
いずれにせよ、Rはキャンプ生活から脱し、辻出さん失踪のことを知らずにどこかで暮らしているのだろう。


さらなる事件の被疑者については【パート2】にて。

 

 

【GON!】
かつて「ミリオン出版」が発行していた『実話ナックルズ*』の前身となる雑誌。
実話ナックルズは「裏社会」「事件」「芸能スキャンダル」「アウトロー」「オカルト」「サブカルチャー」などをテーマに扱う伝説のアングラ実話誌であるが、GON!はいわばその元祖。
尚、GON!を発行していた
ミリオン出版には、実話ナックルズの歴代編集長として有名な久田 将義が在籍していた。

*2021年現在は「大洋図書」が発行

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【西牟田 靖
:にしむた やすし
ノンフィクション作家、ライター。
これまで「日本の領土問題」や「日本と旧植民地の関係」など、硬派なテーマを取材執筆。近年では「シングルマザー」や「離婚により子どもと会えない親」、「改革開放による中国の変遷」、「極限の状況の中での食事」というように、変わらず硬派なテーマをベースにしながらも、”貧困”を扱う傾向が強い。これには自身の離婚経験が大きく関係しているとみられる。
そんな西牟田氏であるが、ミリオン出版発行の『GON!』で記事を書いていた駆け出し時代は、「貧乏旅行ライター」や「サブカル突撃ライター」といったスタイルであった。
辻出さんがGON!のロケ企画に参加して面識を持ってからは、メールでのやりとりを中心に彼女と交流。そして辻出さんが行方不明となってからは、本事件の取材に没頭した。

かつて遺書を残してアフガニスタンを旅行し、武装勢力「タリバン」に拘束されたほか、ブルガリアで睡眠薬強盗に遭って約36時間意識不明、約30万円奪われるなど、ともすれば命を落としていた危険な経験を持つ。
しかしこうした好奇心旺盛な彼のパーソナリティーが、同じく好奇心豊かな辻出さんと共鳴、これが事件の真相追求へと駆り立てたものと思われる。
本事件を真摯に取材した人物のひとり。

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【カレン族】
ミャンマーの南部・東部(タイとの国境付近)に居住する山岳民族の総称。
『白カレン』『黒カレン』『赤カレン』、その他のカレン系部族から成り、これらそれぞれの部族がさらに細分化されている。

カレン族は、ミャンマー(ビルマ語)で「カイン」、タイ(タイ語)では「カリアン」と呼ばれているが、これらをまとめて英語化したのが『カレン』という呼称である。尚、これらの他称が自分たちを指すと認識しているカレン族は一定の教育を受けた者のみ。カレン族の自称は地域や言語グループにより様々ある。
カレン族は種々の部族の総称である故に、社会的・文化的な特性は実に多様。一般に「カレン族 = 首長族」という認識であるが、首長族自身は「カヤン」を自称しており、厳密にいえば一般認識とは異なる。

通称「首長族」、カヤンの女性たち。長い首は美しさの象徴とされる。
出典:トリドリ

 

ミャンマーでは1947年の独立以来、軍事政権が敷かれ、政府軍と反政府武装組織による闘争が続く。やがて戦乱から逃れるために隣国のタイに流出する者が続出し、こうした人々はタイ国内で難民(ミャンマー難民)となった。
本事件への関与が疑われるRもこうした経緯から難民になったとみられ、Rは以下のいずれかの難民キャンプに居住していたと思われる。

 

主にカレン族が居住する難民キャンプは上記の7か所。その中で最大なのは「メラ難民キャンプ」。Rもここにいた可能性が高い。
一説には、Rは「モケ」というキャンプにいたという情報もあるが、そのような難民キャンプが存在していたという情報が掴めない。上記の難民キャンプはあくまで主要なものであり、ほかにもカレン族のいる小さなキャンプが点在していたことは十分に考えられる。
Rが居住していたキャンプに関して確かなことは分からないが、この点についてはとりわけ重要なことではないため、ここで打ち切る。

メラ難民キャンプ (2007年撮影)

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【UNHCR】


:国連難民高等弁務官事務所
国連に置かれた難民問題に関する機関。

一般的な呼称は、略称である『UNHCR (ユーエヌエイチシーアール)』であるが、一部地域では「アンカー」と呼ばれている。これは助けられたアフリカ難民らが”UNHCR”をそのように誤読したことから広まった。いわばこれは間違った呼称であるが、UNHCRに助けられた難民らの敬意と感謝によるものであったために、組織はそれを否定しきれず、結果として特定の地域で定着したという経緯がある。
かつて組織内で”「アンカー」を正式名称として認めてはどうか”という声が上がり、それを巡る会議が開かれたこともある。

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パート2】へ

 

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